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多様な価値

おはようございます。中嶋です。今日は9月16日(木)です。深夜のワールドカップ観戦での生活リズムの乱れが、この年になると結構ズッシリ来てしまうと感じる今朝の体の感じです。

習慣づけてたものを変えるのも労力掛かるし、習慣に戻すのもちょっと労力掛かる。如何に習慣で積み重ねてきたものが今の自分を創ってるのか?分かります。

でも、ワールドカップと言う機会なので楽しみたいというのが本音...そんな、葛藤をしながら今日もがんばります。

さて、今日のタイトルは多様な価値。

様々な価値をどう考えるか?  という話をしたいと思います。

例題を1つ。この世の中であなただけがお金を持っています。それ以外の人はお金を持っていません。

要は、お金と言う紙幣を持っていて暮らすあなたとお金を持たずにも暮らせてる他の人が居ます。その時点でお金は価値があるでしょうか?? 既にお金は要らなくても生活が出来ているところにお金をどれだけ持っていてもそこに価値は生まれるでしょうか?

って話です。

お金よりも、もしかしたら寄り添い支え合う心が価値として活かされる社会があれば、そういうものがお金よりも価値高いものかもしれません。

味は体が覚えています。どれだけ高級な食事よりも、妻や母の味はお金に代えがたい食事に感じることだってあります。

どんなに大きい大会で勝つことよりも、目の前の草サッカーでの勝利の方が意味があると感じる人も居るでしょう。

そう、価値って様々なのです。

だからこそ、持つだけの価値には意味がなく、多様な価値、自分が出来ることそれこそが価値なのかもしれません。


僕が、拙い記事を毎日書くこと。


それももしかしたら価値になるかもしないし、誰かが書いたベストセラーよりも僕の一記事が誰かの何かに価値として刻まれるかもしれないし、そもそも価値ってお金的な数字の話ではなく、どれくらい大切か?どれくらい役立つか?って事だし、どれくらい自分を心身ともに満たすのか?って事だし、社会的にも1人1人にもその違いはあり、売れるのと価値とは全く違うような気がします。

お金で高く売れる価値もあるでしょうけど、お金ではなく高く売れる価値もあると思います。

本当に欲しい物はお金の金額ではなく買いたいと思うし、そんなに欲しくないものは価格で価値を選ぶものです。

そう、実は多様な価値観の中で、人はそうやって価値に向き合ってるんじゃないかな?と、思っています。

自分自身の価値がどうなのか?は分かりません。

でも、多様な1つの価値としては生きていけるんだと思います。そこに少しでも誰かのお役に立てれたらそれが価値付けされていくんでしょう。でも、それは価格ではなく、自分を必要としてくれることが価値に繋がるのです。

今の時代、価格として売れたほうがよいかもしれませんが、価格だと高いとか安いで決められてしまうのです。

価値は人の心が決めていきます。

価格高い人になることよりも、価値高い人になって生きていきたいと思います。

では、今日はこの辺で、また明日!!!



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TAKAYUKI NAKASHIMA
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