【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第82回】
🔷 「伊集院静と城山三郎」の「『別れる力 大人の流儀3』」を掲載します。🔷
『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者 藤巻 隆
発行所 ブイツーソリューション
✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第82回)✍
伊集院静と城山三郎
『別れる力 大人の流儀3』
私が伊集院静さんに興味を持ったのは、彼の先妻が女優の夏目雅子さんであったこともありますが、『いねむり先生』という題名の小説を読み、不思議な感覚を味わい、また『大人の流儀』という辛口のエッセーを読んだからです。
『別れる力 大人の流儀3』(講談社 二〇一二年十二月十日 第一刷発行)は、「大人の流儀」シリーズの三作目にあたります。ご存じのように、夏目雅子さんは急性骨髄性白血病で、二十七歳という若さで亡くなっています。三十年前のことで、伊集院さんが三十五歳の時だった、と語っています。つまり、伊集院さんは私より五歳年上ということになります。ちなみに、現夫人は女優の篠ひろ子さんです。
伊集院さんと私には共通点があります(地位や肩書き、名声を除いて)。それは、妻に先立たれたということです。そうした経緯がありましたので、この本を読んでみることにしました。読んでみると、体験者でなければ書けないことが多く語られ、私の現在の心境にとても近いものがあり、また勇気づけられました。
妻に先立たれた夫の心境を率直に、ときには開き直りとも取れる言葉をご紹介したいと思います。これらの言葉は、私がお伝えしたい内容とほぼ同じ、とお考えください。
「親しい人を失った時、もう歩き出せないほどの悲哀の中にいても、人はいつか再び歩き出すのである。歩き出した時に、目に見えない力が備わっているのが人間の生というものだ。その時は信じられないかもしれないが、確実にあなたにはその力が与えられている。そうしたその力こそが、生きる原動力であり、人間の持つ美しさでもある」
(前掲書 二~三ページ)
「人間は別れることで何かを得る生きものなのかもしれない。別れるということには、人間を独り立ちさせ、生きることのすぐ隣に平然と哀切、慟哭が居座っていることを知らしめる力が存在しているのかもしれない」
(同 一七ページ)
「初春に逢いに行く人がいなくなった。人の死はこれが切ない。死はただ逢えぬだけのことなのだが、二度と逢えぬことが真実である。真実は残酷である」
(同 三五ページ)
「出逢えば別れは必ずやって来る。それでも出逢ったことが生きてきた証しであるならば、別れることも生きた証しなのだろう」
(同 四七ページ)
「最愛の人を亡くして絶望の淵にいても、時間はいつかその気持ちをやわらげ、新しい光さえ見せてくれる。ましてや死別でなければ、それぞれ平気で生きて相手の知らぬ場所で大笑いもする」
(同 五〇~五一ページ)
「長く連れ添った妻に先立たれた男の哀しみは思わぬ時にやって来る。それは他人にはわかりえない。それでも踏ん張って生きるしかない」
(同 一二三ページ)
この本の中で、伊集院さんは、経済小説の開拓者にして、『総会屋錦城』で直木賞を受賞した城山三郎さんについて言及しています。城山さんと親交があったのです。その城山さんの遺稿に『そうか、もう君はいないのか』(新潮文庫 平成二十二年八月一日発行 平成二十四年十一月十五日 十二刷)があります。
(PP.213-216)
➳ 編集後記
第82回は「伊集院静と城山三郎」の「『別れる力 大人の流儀3』」を書きました。
今でも伊集院静さんの『別れる力 大人の流儀3』や城山三郎さんの『そうか、もう君はいないのか』を読み返すことがあります。
そうしますと、妻に先立たれた夫は何とも弱い存在であると痛感します。簡単に頭を切り替えることができなくなります。