【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 第94回
大人の流儀
伊集院 静氏の『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。
時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院氏はこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。
『大人の流儀3 別れる力』をご紹介します。
ご存知のように、伊集院氏は小説家(直木賞作家)で、さらに作詞家でもありますが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。
大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 第94回
第4章 本物の大人はこう考える
「大人が人前で取るべき態度」から
伊集院 静の言葉 1 (279)
「大人が人前で取るべき態度」から
伊集院 静の言葉 2 (280)
「大人が人前で取るべき態度」から
伊集院 静の言葉 3 (281)
⭐出典元
『大人の流儀 3 別れる力』
2012年12月10日第1刷発行
講談社
表紙カバーに書かれている言葉です。
✒ 編集後記
『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。
伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。
伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。
🔷「ほとんど五十歳から七十歳くらいの男である。戦後に幼年期を過ごした男たちだ。このあたりの連中は気質が悪いのが多い。金を払ってるのだから、と口にする。
そういう輩は決まって、この頃の若者は行儀がと言う」
この一節は耳が痛いです。
私がその年齢の範囲に収まっているからです。
もちろん、同様なことはしませんが、周囲の人たちからは「同類だ」と見なされているかもしれません。
年齢を重ねると、自分の行動が見えなくなり、良いことなのか悪いことなのか冷静な判断ができなくなるのかもしれません。
⭐伊集院静氏は城山三郎氏について言及しています。お二人に交流があったことはこの著書で知りました。
城山氏の著書で強く印象に残っているものは『そうか、もう君はいないのか』(平成22年8月1日発行 平成24年11月15日 12刷 新潮文庫)です。
購入したのは2015年9月19日のことです。妻が亡くなったのが同年8月8日ですから1ヵ月後のことです。
この著書を読んだのは、私の個人的な体験と重ね合わせて、心に響いたからです。
妻の死後、私はなかなか心の整理ができず、これからどうして生きて行けばよいのかと考えると、辛くなることが多くありました。
そのような時、アマゾンで検索し購入したのがこの著書でした。最初は小説かと思っていましたが、城山氏の死後に発見された手記でした。
そこには奥様への感謝と、奥様を亡くした深い悲しみが延々と綴られていました。読んでいくうちに涙がとめどなく流れ出しました。
城山氏は奥様に先立たれてから7年後に亡くなられました。心身ともに疲れ果て、生きていくことが辛くなったのかもしれません。
タイトルになった個所をご紹介します。
(3,544文字)
🔶『大人の流儀3 別れる力』について『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』の中で言及しています。
夏目雅子さんのプロフィール
🔶伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。
<著者略歴 『大人の流儀』から>
1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。