【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 Vol.49
大人の流儀
伊集院 静さんの『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。
時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院さんはこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。
帯には「あなたのこころの奥にある勇気と覚悟に出会える。『本物の大人』になりたいあなたへ、」(『続・大人の流儀』)と書かれています。
ご存知のように、伊集院さんは小説家ですが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。
「私はなぜ仙台を離れなかったか」から
伊集院 静の言葉 1 (145)
「私はなぜ仙台を離れなかったか」から
伊集院 静の言葉 2 (146)
「エリートは被災地に行かないのか」から
伊集院 静の言葉 3 (147)
⭐ 出典元
『大人の流儀 2』(書籍の表紙は「続・大人の流儀」)
2011年12月12日第1刷発行
講談社
✒ 編集後記
『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。
伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。
伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。
🔷 「エリートは被災地には行かないのか」
行かないでしょう。
政治家(屋)や役人たちは自分たちをエリートを自認しているので、被災地に限らず、何かが起こった時に、現場に足を運ぶことはしないでしょう。
そのようなことをするのは、地位の低い者や馬鹿がすることだと信じて疑わないからです。現場に足を運ぶという考えすらないでしょう。
彼らは国民や地元民の代表です。
であるならば、代表らしく民意を汲み取り行動すべきだと思いますが、国民や地元民と意識や行動が大きく乖離しています。
役人は国民や地元民より政治家(屋)の方に顔を向け、行動しがちです。
エリート意識と真のエリートは違います。
例え偽善と言われようが、売名行為だと言われようが、被災地にボランティアをしている俳優がいます。杉良太郎さんと奥様の伍代夏子さんです。
「『偽善とか売名と言われることもあると思いますが…』
と聞かれた杉さんが、
『ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ』」
と答えたそうです。
杉良太郎ご夫妻の復興支援の具体的な数字が示されていますが、スケールが違います。
さらに、
「『福祉をやるには確かに時間とお金がかかる。特にお金がないと見栄えのいい福祉はできません。でも、お金がない人は時間を寄付すればいい。お金も時間もない人は、福祉に対する理解を示し、実際に活動をしている人に拍手を送るだけで十分。それでもう立派な福祉家なんです。福祉ってそういうもんです』」
と。
頭が下がります。
このように言えるのは、きちんと行動している人だからです。
「百の言葉は一つの行動に如かず」
百の言葉より一つの行動の方が説得力があります。
⭐ 出典元: 「偽善で売名ですよ」杉良太郎の復興支援インタビューが男前すぎる
🔶 伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。
<著者略歴 『大人の流儀』から>
1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。