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【スロー・リーディング(遅読)とスピード・リーディング(速読)】 Vol.3
第1回 スロー・リーディング(遅読)とは何か?
第2回 質の読書と量の読書
第3回 スロー・リーディング(遅読)による鑑賞
最終回は、実際の小説の一節を題材に、平野啓一郎さんによる、「読み方」の実例をご紹介します。
こんな読み方があるのか、と感心すると同時に、本来、本を読むとはこうしたプロセスが大切なのだ、と思い知らされました。
明治の文豪と言えば、夏目漱石と森鷗外が双璧ですが、現代でも文豪と言えば、漱石と鷗外の名が挙がります。
つい最近、「朝日新聞」で夏目漱石の『こころ』が連載されたそうですね。家内は、新聞ではなく文庫で読んだそうです。私は読んでいません。
鷗外に関して思い出すことは、高校生の頃だったと思いますが、鷗外について書かれたエッセイの内容の一部と、その本に書いてあったかどうか定かではありませんが、印象に残っている一節があります。
『鷗外―闘う家長』(山崎正和 河出書房新社1972年)という本です。42年前に出版されました。
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鷗外は、ご存じのように作家であり、軍医でもありました。非常に厳格な人だったようです。
家の内でも外でも、その点では一貫していたようです。
思い出す一節は、どのような文脈であったのか覚えていませんが、「無臭が一番いい」というものでした。
整髪料であれ、もちろん体臭であれ、無臭が一番いい、と書いてあったことが、特に、印象に残っています。
鷗外らしいと思いました。
他に鷗外に関して覚えていることは、『即興詩人』(アンデルセン)の訳書がありますが、この訳書は原作以上に高く評価されたということです。
鷗外の作家として、また翻訳家としての力量が、遺憾なく発揮されたといったところでしょうか。
文豪森鷗外による典雅な擬古文訳で名高く、「原作以上の翻訳」と評された。
鷗外は本作をドイツ語訳で読んで「わが座右を離れざる書」として愛惜していた。
平野流「本の読み方」
さて、平野さんは鷗外の『高瀬舟』を題材に平野流「読み方」を詳細に語っています。
まず、平野さんの要約の部分を含め、読んでみましょう。
庄兵衛は、高瀬舟で護送している喜助が、罪人であるにもかかわらず、いかにも晴れやかな、「遊山船にでも乗ったような」顔をしていることをずっと不思議に感じている。
大抵の罪人は、高瀬舟では「目も当てられぬ気の毒な様子」をしているものである。
そこで、庄兵衛はその理由を尋ねてみる。
(中略)
喜助の答えは、まずこうだ。自分は今日までずっと、ひどく貧しい暮らしをしてきたが、遠島の刑とはいえ、生活費として鳥目二百文をもらえた。
二百文は些細な額だが、自分にとってはこれまで手にしたことのない額で、 それがうれしいと。庄兵衛は、その心情に理解を示しつつも、喜助の欲のなさ、「足ることを知っている」ことをやはり不思議に感ずる。
(中略)
庄兵衛が感動したのは、喜助が欲望の増進に対して、極自然に踏み留まることを知っていたからだ。その事実に気づいた庄兵衛は、「喜助の頭から豪光(ごうこう)がさすように思った」。
三島由紀夫の再来と言われた平野さんは、ここで三島由紀夫の鷗外評を紹介しています。
文庫(「高瀬舟」(ちくま文庫)『森鷗外全集(5)』252-255ページを引用しています 註:藤巻隆)にしても4ページほどの短い場面だが、ムダのない、それでいてゴチャッと詰め込んだ感じもない、極めて端正で、悠々たる文章だ。
三島由紀夫は、この魅力を「鷗外の味」と呼んだが、確かにこの妙味は、一度知ると、ちょっとやみつきになる類のものだ。
(中略)
鷗外は漱石と違い、言葉の使用に関してかなり厳格なので、見慣れない使用法が出てきたときは、丹念に辞書を引いておくと、語源も含め、様々な言葉の教養が身につけられるはずだ。
注目すべきことが、2つ指摘されています。
1つは、三島由紀夫も鷗外を高く評価していたことで、もう1つは辞書を引くことを煩わしく思わないことです。
スロー・リーディングにおいて、辞書を引くことは重要な意味を持ちます。もちろん、インターネットで検索してもよいと思います。インターネット辞書がありますから。
鷗外は、普段の仕事や生活だけでなく、「作品」の中での言葉の使用法にも厳格な人だったのですね!
『高瀬舟』のテーマの一つは、「安楽死」です。
兄が、病気になった弟が自殺を遂げることができず、望んだ死を手助けすること(現代の法律では自殺幇助)――それが「安楽死」を意味しています。
平野さんはこのようにも書いています。
大切なのは、小説を奥へと読み深めていくイメージだ。
さらに、平野さんの深読みは続きます。
自殺未遂の現場を発見した後の兄弟のやりとりは、簡潔だが、その分、読者の想像力を刺激するものとなっている。
このあたりは、分析的な読みよりも、じっくりと文章に浸って読むことのほうが大切だろう。
スロー・リーディングでは、もちろん、そうした言葉にできない感覚的な読みの部分も大きなウェイトを占めるはずだ。
記事がだいぶ長くなってきましたので、最後に川端康成の『伊豆の踊子』の一節をご紹介して終わりにします。
日本語の大きな特徴の一つである「曖昧さ」を象徴する場面が登場します。
さらに、川端康成自身による自作の解説もご覧いただきます。
きっと新しい発見に遭遇するはずです。
平野さんは、『伊豆の踊子』(新潮文庫42-44ページ)から引用しています。
尚、番号と傍線は平野さんによるものです。
誰がさよならを言おうとしたのか、うなずいて見せたのは誰か、一読して考えてみてください。
はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。
私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、①さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺん②うなずいて見せた。
はしけが帰って行った。
栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。
ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。
川端康成「伊豆の踊子」(新潮文庫『伊豆の踊子』42-44ページ)
さて、いかがでしたか?
平野さんはご自分では答えず、川端康成に語らせています。
引用しているのは、川端康成「私の文学」(講談社文芸文庫『一草一花』300-302ページ、新仮名遣いに変更)からです。
はじめ、私はこの質問が思いがけなかった。
踊子にきまっているではないか。この港の別れの情感からも、踊子がうなずくのでなければならない。この場の「私」と踊子との様子からしても、踊子であることは明らかではないか。
「私」か踊子かと疑ったり迷ったりするのは、読みが足りないのではなかろうか。
「もう一ぺんただうなずいた。」で、「もう一ぺん」とわざわざ書いたのは、その前に、踊子がうなずいたことを書いているからである。
(中略)
ところがしかし、読者の質問の手紙にうながされて、質問の個所を読んでみると、そこの文章だけをよく読んでみると、「私」か踊子かと迷えば迷うのももっともだと、私ははじめて気がついた。
川端康成「私の文学」(講談社文芸文庫『一草一花』300-302ページ、新仮名遣いに変更)
川端が指摘しているように、確かに、引用した部分の前に、「『皆まだ寝ているのか』踊子はうなずいた。」(P.178)と書いています。
この一文の後、川端は『伊豆の踊子』の翻訳者、サイデンステッカー氏が、踊子ではなく、「私」にしていることを披露しています。
「私が」の「が」は「さよならを言おうとした」のが、私とは別人の踊子であること、踊子という主格が省略されていることを暗に感じさせないだろうか。
それにしても、「(踊子は)さよならを言おうとした」の踊子という主格を省略したために、読者をまどわせるあいまいな文章となった。
英訳者のサイデンステッカー氏も、「私」としている。
"As I started up the rope ladder to the ship I looked back. I wanted to say good-by, but I only nodded again."
川端康成「私の文学」(講談社文芸文庫『一草一花』300-302ページ、新仮名遣いに変更)
川端自身も「あいまいさ」を認めているのです。
さらに、サイデンステッカー氏も日本語の「あいまいさ」の罠にかかったのでしょう。
日本語はしばしば主格(主語)が省略されるので、読み違える可能性はつきまといます。
ちなみに、サイデンステッカー氏による翻訳が優れていたため、川端はノーベル文学賞を受賞できた、と言われました。
三島由紀夫の傑作と言われる『金閣寺』についても、平野流「読み方」が披露されていますので、興味のある方は、『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(平野啓一郎 PHP新書 2006年9月1日第1刷)をご一読下さい。
今回のテーマに興味のなかった方には、退屈だったと思います。
ですが、私たちが「noteやブログを投稿する際にも」、とても参考になるテーマだった、と確信しています。
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⭐ 出典元
(現在ではこちらの文庫となっています。)
著者をご紹介しましょう。
平野啓一郎さんは、1975年生まれで、京都大学
在学中に雑誌「新潮」に投稿した『日蝕』(1998年)が、翌年、芥川賞を受賞しました。
この元記事は8年前にAmebaブログ『藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ』で書きました(2014-12-21 20:31:07)。「スローリーディング(遅読)」というカテゴリーに入っています。
その記事を再編集しました。
平野啓一郎さんが、noteに『マチネの終わりに』を全文掲載されていたことはご存じだと思います。
ぜひ、こちらもご覧ください。
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