【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第58回】
🔷 「入院」の中の「一筋の涙」を掲載します。🔷
『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者 藤巻 隆
発行所 ブイツーソリューション
✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第58回)✍
「入院」の中の「一筋の涙」を掲載します。
入院
「一筋の涙」
病室でパイプ椅子に座り、由美子の斜め左側にいました。由美子の様子を時々チラチラ窺いながら本を読んでいました。ふと見ると、由美子の顔の左側しか見えなかったのですが、左目から一筋の涙が流れていました。
私がその瞬間を見たことに、由美子は気づいていたかどうか、確認することはできませんでした。ただし、確かなことは、この一筋の涙は悔し涙であったことです。
「あの時、精密検査を受け、治療に専念していたら、深刻な状態に至らなかったかもしれない」という後悔の念が、一筋の涙となって流れたのでしょう。さらに言えば、冷徹な現実を突きつけられることが怖かったのかもしれません。その気持ちを考えると、由美子がとても不憫でなりません。由美子はそのような絶望的な状況にあっても、取り乱したりせず、冷静に現実に向き合っていました。これは凄いことです。
もしも私が由美子の立場にあったら、冷静に対処できたかどうか甚だ疑問です。末期がんで余命幾ばくもないと知ったら、とても耐えられなかったでしょう。取り乱して周囲の人たちに大変な迷惑をかけたかもしれません。そうした意味で、由美子はとても立派でした。
『悼む人 上』
由美子の気持ちを推し量ることは難しいため、もしかしたらこのような気持ちを抱いていたのではないか、という記述を小説の中に見出しました。
その小説は、『『悼む人 上』』(天童荒太 文藝春秋 二〇一一年五月十日 第一刷)です。直木賞受賞作です。
「巡子の母は、死ぬとわかっていたら妻として母として女として、いろいろ準備もしたかっただろうに、告知を受けぬまま、自分の病気と家族を疑いながら生涯を終えた。せめて自分はこれまで生きてきた人生の整理をつけてから死にたいという想いが、入院中に強まった」
(前掲書 九二ページ)
(PP.130-131)
➳ 編集後記
第58回は「入院」の中の「一筋の涙」を書きました。
由美子は一度も号泣することも、慟哭することも一切ありませんでした。一筋の涙だけでした。そこにすべてが集約されているように思います。
自分の選択が間違っていたことに気づき、その現実を直視し、受け入れたのでしょう。
しかし、その結論を出すまでには相当悩み続けたはずです。そして覚悟したのでしょう。
病室でこんなに近くにいるのに、私はただ見守ることしかできず、このままではお互いの心が離れていってしまうのではないかと感じていました。