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【五木寛之 心に沁み入る不滅の言葉】 第16回

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之講演集


 五木寛之さんの『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』から心に沁み入る不滅の言葉をご紹介します。

 五木さんは戦時中から特異な体験をしています。
 「五木さんは生まれて間もなく家族と共に朝鮮半島に渡り、幼少時代を過ごしました。そこで迎えた終戦。五木さんたちは必死の思いで日本に引き揚げたそうです」(「捨てない生活も悪くない」 五木寛之さんインタビューから)


 今年9月に90歳になるそうです。今日に至るまで数多の体験と多くの人々との関わりを掛け替えのない宝物のように感じている、と思っています。

 五木さんは広く知られた超一流の作家ですが、随筆家としても、講演者としても超一流だと、私は思っています。

 一般論ですが、もの書きは話すのがあまり得意ではないという傾向があります。しかし、五木さんは当てはまらないと思います。 



「憂いなきに似たり」から

五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 1 (46)

 私は日頃から山本夏彦さんの文章を大変愛読している者ですが、その文章を読んで、胸を衝かれる思いがしました。
「俺はもう金輪際人間なんかには生まれ変わってきたくねえ」
 そう吐いて捨てるように言わせるような、人生の陰影というものが、じつはあの川口松太郎さんにもあったのでしょうか。あんなに明るく生き生きと、そして華やかにふるまっておられた川口さん。その川口さんが、心の深い所で「二度と人間なんかに生まれたくない」という、そのような思いを抱いて生きておられたのか。
 それを気づけなかったというのは、小説家としてなんと恥ずかしいことだろうと、大変ショックを受けたことを覚えています。

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之                  




「憂いなきに似たり」から

五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 2 (47)

 人間というものは、じつにどんな人間でも、他人にはわからないような痛みや悲しみ、自分にさえもそのことを思い出させたくないようなことを抱えながら生きている存在なのです。
 あれは良寛りょうかんさんの書にある台詞せりふだったでしょうか。
「君よや双眼の色、語らざればうれいなきに似たり」
 ということばを読んだことがあります。
(中略)
「語らざれば憂いなきに似たり」
 なにも言わないので、まるでなにひとつそのような悲しみを心のなかに持っていないかのように見えるが、本当はそうではありません。
 このことばは、それを物語っているのではないでしょうか。

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之                  



「憂いなきに似たり」から

五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 3 (48)

 私は時々、中国の残留孤児の方たちの里帰りのテレビのニュースを観ながら、なんとも言えない感覚を味わうことがあります。
 ああ、自分もあのまま外地に残っていたかもしれない、と思いながら、こんなことも考えるのです。
 中国とは一応国交も回復して、そしてある程度の調査も、ある程度の援護活動もできる。しかし、あの時北朝鮮(現在)のピョンヤンで現地の人たちに託されたら、と。南北分断から六十年を過ぎ、その存在さえも知られぬままにたくさんの人たちが今あの国に生きているのだ。調査もされず、その人々にたいする援護の手も届かない。そういうなかで、どんなふうな生き方をしているのだろう。
 そのことを考えると、居ても立ってもいられないような気持ちになることがあります。
 と同時に、その人たちの日本の家族、両親、そういう人たちもまた、この平成の豊かな社会のなかで、じつはひっそりと自分だけの傷というものを心に抱えこんで、そして静かに語らずに日本で生きているのではないか。

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之                  


出典元

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編 五木寛之講演集』から
2015年10月15日 初版第1刷発行
実業之日本社




✒ 編集後記

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編 五木寛之講演集』は、講演集ということになっていますが、巻末を読むと、「2011年8月東京書籍刊『生かされる命をみつめて』『朝顔は闇の底に咲く』『歓ぶこと悲しむこと』に加筆の上、再構成、再編集したものです」と記載されています。

裏表紙を見ると、「50年近くかけて語った講演」と記されています。それだけの実績があります。

🔷 「『語らざれば憂いなきに似たり』
 なにも言わないので、まるでなにひとつそのような悲しみを心のなかに持っていないかのように見えるが、本当はそうではありません」

この言葉はとても重いと感じています。
本当なら悲しみを誰かに分かってもらいたくて言いたいところですが、言ったところで分かってもらえないという諦めの境地に達していると推測します。

言葉をいくら尽くしても、自分の深い悲しみは理解してもらえないと考えているためになにも言わないのです。

親族の度重なる不幸に筆舌に尽くし難い悲しみを味わいました。


🔶 五木寛之さんの言葉は、軽妙洒脱という言葉が相応しいかもしれません。軽々に断定することはできませんが。

五木さんの言葉を読むと、心に響くという言うよりも、心に沁み入る言葉の方が適切だと思いました。

しかも、不滅の言葉と言ってもよいでしょう。



著者略歴

五木寛之ひつき・ひろゆき

1932年福岡県出身。早稲田大学露文科中退。67年、直木賞受賞。

76年、吉川英治文学賞受賞。

主な小説作品に『戒厳令の夜』『風の王国』『晴れた日には鏡をわすれて』ほか。

エッセイ、批評書に『大河の一滴』『ゆるやかな生き方』『余命』など。

02年、菊池寛賞を受賞。

10年、『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞受賞。

各文学賞選考委員も務める。







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藤巻 隆
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