【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第33回】
🔷「新婚時代」の中の「新居と転居」の後半を掲載します。🔷
『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者 藤巻 隆
発行所 ブイツーソリューション
✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第33回)✍
「新婚時代」の中の「新居と転居」の後半を掲載します。
新婚時代(11)
新居と転居 後半
運転免許取得
Mさんご夫妻の優しさと思いやりは、弔電にも表れています(「葬儀 通夜式と告別式」をご覧ください)。可奈が生まれてから運転免許を取得した由美子は、この頃には運転に慣れ、自家用車で実家に一人で出かけることがありました。
父が他界
最寄り駅は、花小金井駅→小平駅→久米川駅と移り、高田馬場駅から遠ざかりました。別の言い方をしますと、由美子の実家に近づいたことになります。平成十年、父が他界しました。二年続けて父親が亡くなりました。
四度目の転居
四度目で最後の転居先は私の実家でした。平成十五年のことです。十二年ぶりに私の実家に戻ることになりました。この頃、勤務先の洋販は業績が大幅に低下し、同業他社のタトル商会と合併することになりました。この合併後、私は約十八年勤務していた本社経理部から浦和物流センターへ異動させられました。明らかな左遷です。旧洋販の社員の大半は私同様、左遷させられました。
片道二時間半の通勤
私は毎日片道二時間半かけて自宅から浦和物流センター(最寄り駅は東川口)へ通いました。往復で五時間ですから毎日小旅行をしているようなものでした。経理業務から在庫管理と出荷業務へ変更になったのです。私が長年経理に携わっていたので、新経営陣にとって目障りだったのでしょう。
私がすぐに退職すると高をくくっていた会社側は先に音を上げ、会社都合で退職することになりました。平成十七年のことです。小平市鈴木町に四年間、同市大沼町に二年間、さらに東村山市本町に六年間住みました。
(PP.82-84)
➳ 編集後記
第33回は「新婚時代」の中の「新居と転居」の後半を書きました。
4度の転居を繰り返すうちに、由美子と私の運命の歯車は徐々に逆回転し始めていました。岳父と父が二年続けてこの世を去り、岳母が後を追いました。そして、私の左遷。さらに由美子は不治の病に蝕まれていました。