
【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 Vol.3】
大人の流儀
伊集院 静さんの『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。
時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院さんはこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。
帯に自筆で「ちゃんとした大人になりたければこの本を読みなさい」と記しています。
ご存知のように、伊集院さんは小説家ですが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。
出典元
『大人の流儀 1』
2011年3月18日第1刷発行
2011年7月14日第11刷発行
講談社
「旅先でしか見えないものがある」から
伊集院 静の言葉 1(7)
日本人は受動的で、自ら何事かをしようとすることが歴史的にもなかなかできなかった。だからと言って日本人が劣っていたわけではない。むしろ逆で目的意識をいったん持つと、驚くほどの推進力を持つ人々である。ところが今の日本人には目標、進むべき標べが見えない。衆もそうであるが、治めるべき役割の政治家もしかりである。
「危険に気付く人、気付かない人」から
伊集院 静の言葉 2(8)
当人がどれだけ注意していても災難の大半はむこうからやってくる。交通事故と同じだ。
スイスの登山鉄道、ユタ州の自動車事故と楽しいはずの海外旅行での悲劇が続いた。
自動車事故の方はまだ原因がはっきりしないが、運転手の過労による運転が取り沙汰されている。同乗者の弁で、何度か車が右に左にゆれるように走ったと言う。
このことが事実だとしたら、なぜ誰かがその場ですぐに運転手に注意しなかったのか、が私には解せない。
伊集院 静の言葉 3(9)
昔の人は“鹿島立ち”と言って長い旅に出る前にはわざわざ鹿島神宮の前立に参り、旅の途上の安全を神に守ってもらうようにした。それほど旅に出ると無事に戻ってくる確率が低かったのだ。旅は旅だから、旅の本質は現在でもかわらないはずだ。
私の母に言わせると、長旅より短い急ぎ旅の方が危険だとなる。
「その根拠は何ですか?」
「知りません。でも昔、そう聞きました」
そう言われると根拠がない分、正しいのではないか、と私は思ってしまう。
✒ 編集後記
『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。
伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。
伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。
旅の話で、このような捉え方ができることに感心すると同時に、どんなに小さなことでも問題点を見つけることはできる、と気付かされました。
伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。
<著者略歴 『大人の流儀』から>
1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。
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