ボードゲーム交流会に行って人間心理の〇〇を学び得た話
聞いてくれ!ボードゲームめちゃくちゃ楽しかったんだよ!
色々なゲームをやったからその感想を話すわ。
下にやったゲームを載せる。
上から順にito、お邪魔物、あやつり人形、SKULL、
後、写真に撮り忘れたがゴキブリポーカーもやった。
ここで、分かったことがあった。僕が今日やった中で一番好きなゲームはitoだった。
だから、この記事ではitoでやった時の感想となぜ、僕はボードゲーム交流会に行くのか?その考察をここでは載せる。
itoというゲームとは?
このゲームのルールはざっくり説明すると、お題カードと数字が1〜100まで書かれたカードがある。
プレイヤーには1~100までの数字カードが1枚ずつ配られ、「数字を口にしたらアウト!」という制限の中、テーマに沿って自分のカードの数字を表現し合う。
その時、小さい数字を順に出していき、途中他のプレイヤーが場に出したカードよりも小さい数字カードを持っていたら失敗というゲームだ。
例えば、
「強い言葉」や「居酒屋に行ったら頼むメニュー」など
全員のカードを小さい順に並べて出せればクリアというゲームである。
itoをやって自分の心の内でなぜ一番楽しかったか分析してみた
このゲームめちゃくちゃ楽しい。なぜ、楽しかったか考えてみると、人との共感と同調、そして"価値観のズレ"があるから楽しめるゲームなんじゃないかと思った。
どんなことでもそうだが、人は無意識に自分の心が満たされる何かに惹かれ、満足するものだと僕は感じている。
例えば、
ビジネスとは相手の問題解決だという人が多い。確かにそうだ。だが、ゲームも同じだとも思う。何かしらの人の感情を満たしているからこそ面白いし流行るのだと感じる。
その面白いという感情を満たすものが、"理解の同調"、"価値観のズレ"だと思った。
理解の同調に関しては、数字をテーマに沿った表現した時のプレイヤー間のやり取りで成功した時の
「そうだよな!」、「その数字で〇〇か!?」
と言ったような共感とも言えるし、この「分かって欲しい」が上手くいった時の感情の爆上がり。
また、数字と表現がズレた時の周りとの価値観のズレもプレイヤーの感情を満たすものの一つとなっているということに気づいた。
なぜなら、
「なんでだよ!」というこの自分の価値観に合わないものが来たときのギャップそれがこのゲームを面白くする醍醐味であり、人の感情を満たすアクセントになっていると思う。
僕がなぜボードゲーム交流会に行ったのか?
心の触れ合いが欲しいからだ。
ここで、あなたはこう思ったかも知れない。
「友達誘って遊べばいいじゃん」
と、、。
僕もそう思うが、なぜかそうしなかった。
これは、僕だけの話ではないと思うのでぜひシェアさせてもらう。
人は友達でもなく知人でもない不確かな人間関係に心地良さを感じる。
友達と遊ぶ時に大体決まって似た内容の会話しか話さないだろうか?
自分の好きな趣味を話す。
しかし、友達はそれについて全く興味が無かった。
では、この好きは誰と共有すれば良いのだろう。また、友達にそんな話をしたら友達が興醒めしてしまうかもしれない。
つまり、人との関係とはどこかカテゴリーとされ分別されており情報のコミュニケーションにスケールがあり、そこから情報のズレが発生すると微妙な関係になるのだ。
だから、人は自分が全く知らない人、今後繋がるか分からない人と一緒に趣味を共有することで、友達や知り合いに掛ける気遣いは必要なく済むのだ。
それが、別の意味での心の触れ合い・心地よさに繋がるのだろう。
僕は自分が満たしたかった感情はこの心の触れ合い・心地よさがあるから、ボードゲーム交流会に行く理由なのではないかと学んだ。