枯山水から考える
何かの本で読んだことがあった気がする
「枯山水とは世界を表現しているものだ」
初めて「庭園」といわれるものを見たのはいつだろう
地元が沖縄のため
日本庭園というものを日常で目にすることはほとんどない
おそらく、認識したのは高校生くらい
修学旅行か何かの機会だと思われる
その時の印象は、
「何もないじゃん、なんだこれ?」
枯山水の本質は
それぞれの物質が意味していることについての知識
自分自身のこれまで得てきた経験
そして、香りやせせらぎなど五感で感じる感覚
きっとそれらを総動員して、やっと受け取れるものなのだろう
実はそれに気づいたのは最近になってからだ
きっかけはお母さん大学かもしれない
子どもとの生活を記録する意識がついてきた頃
これまでは何気なく流れていた日常が
かけがえのなく大切なものなのだと気付かされた
それは、
知識や経験、感覚がなければ
ただの風景として流れていってしまう日常
その日常に新たな意味を創造し記録することで
自分にとっても、
周りの多くの人々にとっても
心を動かす思い出の1ページとなるのだろう
多くの人々の心を掴んでしまう「枯山水」のように