往復書簡 2024/08/05 ケケ谷→イマヘイ
ついこの前、21世紀になったばかりだと思っていたのに、もう四半世紀を終えようとしている。
21世紀になる瞬間は、雪降る札幌だった。紅白歌合戦が終わり、初売り商戦を控えた市民の胸の高鳴りのようなものも全部積もる雪に飲み込まれていたような印象。
1世紀の長さなんて、こんなもんなのか。
そう考えると、大正も明治も、江戸時代も、戦国時代も地続きなんだなあ、と思いを馳せたり、馳せなかったり。
鮮明な「動画」が記憶に刷り込まれて以降の世代は、3.11と9.11の間と、9.11と3.11の間を往復し続ける運命にあるんだろうなあ。
と考えると、時間の流れが加速を続けて、意識が追いつかない。
ふと見た、昔のインタビュー動画に出てくる立花ハジメが44歳で、今の自分よりも歳下だった。
それでも、自分よりは遥かに歳上に見える。
Twitter(現X)世代は、どこで思いの丈を吐き出しているんだろう。
140字じゃ、人間の意志は伝えられない。
伝える必要もなくなって来ているのか。
テレビでは、フランス五輪中継が真っ盛りのようだ。
普段からテレビを見ない自分には縁のない話だが、インターネット上ではその話題ばかり。
特に、柔道の審判問題が盛り上がっている模様。
柔道でアレなら、剣道だとどうなることだろう。
武道の競技化、「茨の道」なんだろうなあ、とタイムラインを眺める。
大学時代まではよく聞いていたラジオも離れてしまった、自分の生活ではPodcastがその座を取って代わった。
喋れる人は、素人にもたくさんいる。編集の工夫はあるんだろうけど。
話芸は死んだのか。
いや、やっぱ神田伯山の講談もラジオも面白い。
YouTubeでは、上岡龍太郎の動画を掘る。
誰かに何か喋ってて欲しい。
それでも、時間に縛られる苦痛は年々増す。
リアルタイムで見聞きすることは、ほとんどなくなった。
自分のタイミングで。
Twitter(現X)世代は、批評家が多い。
自分の立場は棚に上げて、世の中を批評したいようだ。
自分の立場なんてないのか、それは都合がいい。
TM NETWORKのデビュー40周年記念トリビュート盤を購入した。
デジタルだけどね。
今、欲しい音楽は、スマホですぐに手に入る。
掌の中で全て完結する。
ありがちな話だけど、
CD屋に足を運んで、陳列されているCDを発見する喜び、
現金を引き換えにそのうちの1枚を自分のものにする喜び、
自転車で家に帰ってビニール袋から開封するわくわく感、
プレーヤーに入れてCDが回転し音が出るまでの緊張感、
そうしたものは代わりに失ってしまった。
感想は、とりあえず「くるり」がよかった。"Still Love Her"が、愛に溢れていた。
ビジネス的なポーズじゃなくて、ちゃんとTM好きなんだな、って伝わってきた。
あと、坂本美雨の出来が、想像の上を行ってた。よかった。
B'zは、ヘッドライナー的な役割を十二分に果たしていた。
あと、遠回しに言うと、いいものとそうでもないものの差は大きかった。
先日、美術館で演奏してきた。
貸し箱的なのではなく、ちゃんとアレコホールで。
コンペ、無事に通過できた。ちゃんとした人に認められるのは、嬉しいことだ。
普段、ポピュラー音楽をやっていると、有象無象の評価に晒される。
それらの意味の有る無しを考えながら日々生きているが、芸術としての意味、ビジネス的な意味、人との繋がる的な意味、色々あり、それらの荒波を泳ぎ続けているので、たまに疲れる。
美術館はいい、しがらみがない。純粋な批評しかない。そうあるべきだ。
当日のライブ映像を、ダイジェストに編集して、公開している。
映像の持つ力は恐ろしい。
MVとかあった方がいいんじゃないかという話もある。
それでも、映像の持つ力は恐ろしい。
有象無双に評価がとっ散らかる。悩ましい。
それでも、映像に対しては、まだ初期衝動で触れることができる。
「初期衝動よ、栄光あれ(C200/WATERFALL)」