柳澤協二 『亡国の集団的自衛権』⑥
この文章は、柳澤協二さんの『亡国の集団的自衛権』【集英社新書】を読者の皆さんと一緒に読んでいく試みの6回目です。
第五章 集団的自衛権は損か得か
1 日米同盟のバランス感覚
日米安保条約の「双務化」と言うこと考えるのであれば、集団的自衛権が日本にとってプラスかマイナスかというバランスシートを検討する必要があります。集団的自衛権論の論拠の一つが、今の安保条約ではアメリカは日本を助けるが日本はアメリカを助けないというアンバランスな関係だからそれを是正しないといけない、というものです。しかし、この議論には、日米安保条約におけるバランスはもともとそういうものだったという視点がかけています。
現実には、このバランスは、次第に日本側の負担を増す方向へ移ってきました。まず、打ち出されたのが、いわゆる「思いやり予算」に始まる駐留経費負担です。次が、80年代の中曽根内閣の時代です。NATO諸国とともに実質3%の防衛費増額を目指し、1000海里シーレーン防衛といった、日本の自助努力を強化する政策により、これまでの基地提供と経費負担以上の役割を日本は負うことになりました。更に、2000年代にアメリカが対テロ戦争を始めると、国連協力というかたちを取りましたが、実質的には同盟協力として日本は自衛隊を海外に派遣し、戦後処理等を行っています。この段階で、基地、経費負担、自助努力に加えて人も出すというかたちが日米同盟のバランスとなったわけです。しかし、それ以上に、「血を流す」という貢献のバランスシートは明らかに日本にとって損であり、不利なものです。
確かにイラク戦争当時、国連決議は出たものの国際的孤立を深めていたアメリカを有志連合の一員としてサポートすることは、非常に重い政治的な意味があリました。しかし、対テロ戦争から手を引きつつある現在のアメリカが、今もなお日本が「血を流す」ことを望んでいるのか考える必要があります。
仮に「血が必要だ」として、今、日本がどういうケースで「血を流す」のかというシミュレーションを行うならば、イスラム国掃討のために地上兵力を投入するケースがアメリカのニーズとして最も分かりやすく、「血の同盟」を実現する機会になるでしょう。ただし、そこには日本に対する報復テロという大きなリスクが有り、和解に向けた仲介の努力もできるというポジションを失うことにも繋がります。よって「血を流す」ことが日本に望ましいかどうかという視点からは、やはりマイナス要因と言わざるを得ません。
また、一度憲法上の制約を外してしまえば、集団的自衛権はもともと限定できるようなものではありませんから、後から法律を作って、いくらでも行使できるようになるでしょう。
「血を流す」例として政府が挙げているのは、日本の近海で日本を守るために警戒にあたっているアメリカの船が襲われた時に日本も救出のために出動する、というケースですが、こうした状況下で日本が血を流してアメリカを守るのは、アメリカのニーズではありません。このような場合にしか集団的自衛権を行使しないのであれば、それは本来の集団的自衛権から離れた、非常に利己的なものとして受け止められるでしょう。
同盟という客観的な国家間の国益の取引に於いて、「対等になるためには血が必要だ」という安倍総理の主張は、本当に正しいのでしょうか?。日本とアメリカの軍事的ポジションや力の差を考えれば、軍事的に完全に双務的というのはあり得ません。安倍総理は、「双務性に」したいということが自己目的化しており、それによってどのように日本の安全が高められ、世界の平和構築に役立つか説明もありませんし、自衛隊員の「血」を流して何をアメリカに言いたいのかも分かりません。
アメリカはグローバルな覇権国であるがゆえに日本との同盟を必要とし、日本に基地を置く必然性があります。しかし、自国の防衛を目的とする日本がアメリカに基地を置く必要はありませんし、もし日本がそうした必然性を持つ覇権国だとしたら、アメリカは日本を同盟国として選びません。
同盟のバランスは同種同量でなければいけないわけではなく、互いの目的に合致しているかが重要です。日本にはまずアメリカにとって必要不可欠な基地を提供しているという大きなアドバンテージがあり、それに加えて財政的支援を行い、政治的にアメリカの助けになるようなかたちで人も出すようになったのだから、現在でも同盟のバランスは十分に取れているのです。
アメリカが日本に求める最重要事項は、アジアにおける前線拠点であるべき日本を、日本自身が血を流してでも守ることです。その意味で、「血」という要素は、日米安保条約第5条(=日本有事)の中に当然含まれていた事になります。
2 米中対決のシナリオと日本の役割
アメリカと中国は、民主主義や人権といった価値観に於いては相容れないものの、経済的には相互に深く結びついているという非常にユニークな対立関係にあります。両者の間には直接の領土問題はないので、紛争が起こるとすれば、結局、海洋のルールをめぐる争いになるでしょう。
アメリカと中国にとって最大の関心事は、西太平洋における行動の自由や制海権をどちらが握るのか、という事です。両者の間に軍事衝突が起こったら、それは西太平洋戦争になるでしょう。西太平洋には南シナ海も含まれますが、この海域でアメリカの空母が自由に出入り出来れば、そこから中国に対する攻撃が可能になります。逆に、中国の原子力潜水艦がそこに潜んでいればアメリカ本土にミサイルが届くことになり、まさに軍事的な要所と言える場所です。
アメリカ側は、航行の自由はアメリカの死活的利益だと主張しています。対する中国は、自分の排他的経済水域の中でアメリカが演習や情報収集といった軍事行動をするのは認めない、という立場です。更に、中国にとっての死活的利益は、かつての清の時代の最大版図を原状回復することだとも主張しています。
両者の思惑が交差する南シナ海は、世界の貿易量の約三分の一が関わる重要なシーレーンであり、その航行の安全は実際、アメリカの死活的利益です。その背景には、航行の安全を守る海軍の行動は自由であるべきだというアメリカの価値観があります。一方の中国の「大中華の復興」という論理の背景には、南シナ海の資源を獲得したい、そしてそこに軍事拠点を作って軍事的優位を保ちたい、という思惑があるように思います。
「航行の自由」が旗印のアメリカは、民間船舶やアメリカの海軍の行動に直接有害な影響を及ぼさないのであれば、西太平洋における中国の行動に多少の不安があったとしても、すぐに軍事的な対応を取るとは考えにくいです。中国の側でも、海軍ではなく〝海警局〟の船を使って権益確保のための法執行という手段を取るなど、アメリカが本気で軍事力を行使しないように配慮しています。お互いにどこまで許されるのか腹の探り合いをしているのです。
今後起こりうる最悪の米中の軍事ケースでは、いわゆるエア・シー・バトル・コンセプトに基づき遠方から中国の軍事インフラを攻撃する可能性が高い。これは、潜水艦や対艦弾道ミサイルによってアメリカの空母が西太平洋で自由に行動できないようにする中国のA2/AD(接近拒否・領域拒否)能力に、アメリカが対抗する手段としてのコンセプトです。中国には正面からアメリカの空母と戦って勝つだけの能力がまだありません。空母にとっての最大の脅威は潜水艦ですが、日本の周辺を通る潜水艦はすべてキャッチされているので、潜水艦による空母の直接攻撃も難しいはずです。
そこで、例えば西日本にある米軍基地や通信網をサイバー攻撃も含む先制攻撃によって無力化し、南シナ海、東シナ海、台湾周辺といった中国の周辺に於いて、アメリカ軍に干渉されずに中国軍が自由に動き回れる空間を作り出す。中国が取る戦略は、おそらくこのようなものになるでしょう。
アメリカ側は、そうした戦略に対抗するために、特に中国のミサイルの射程の外に兵力を分散配置し、あるタイミングを捉えて反撃していくシナリオを想定しています。そこで中国の移動式発射台を狙うことは難しいため、ミサイル管制システムといったものを無力化すると同時に中国の衛星や通信網も攻撃していく、ということが考えられる。日本は、個別的自衛権で日本本土や日本の周辺海域を守るという従来の方針に則ることで、アメリカのニーズは満たされます。
集団的自衛権が必要になるのは、中国を牽制するために南シナ海に展開してきたアメリカの空母機動部隊に対し、中国が潜水艦やミサイルで攻撃するという事態が起こったときです。こうしたケースは日本有事とは言えないので個別的自衛権の範囲ではなく、同盟国を守るために集団的自衛権が活かされる場面になります。自衛隊には攻撃してくる潜水艦を沈めるだけの能力はありますし、イージス艦搭載の迎撃ミサイルで対艦弾道ミサイルを撃ち落とすことも可能ではあります。
しかし、ミサイル攻撃というものは何十発、何百発というミサイルが打ち込まれるので、たとえ最初の一発は撃ち落とせても、とても自衛隊の能力では守りきれません。仮に守り切ろうとするのであれば、一発何千万円もするような迎撃ミサイルの大量備蓄を始めとする軍事力の大幅な強化が必須で、現実的な話とは言えません。
そもそも可能性として考えられる米中衝突に於いて、アメリカが想定している最悪の事態は、核ミサイルの撃ち合いになるようなものではなく、ほんの出来心で起こるような通常兵器レベルの戦争です。その場合、中国側の戦略は、ミサイルでアメリカ空母の接近を牽制し、その第一列島線の防衛網を先制的に破壊するものになることが考えられ、アメリカはそれに対抗する戦略を準備することになります。日本がそれに付き合うのなら、アメリカの船を守るために必要な兵力をあらかじめ計算しておくべきでしょう。
海上での衝突になるので、対応するのは海上自衛隊になります。現在、海上自衛隊は四個護衛隊群というものを持っているのですが、その理由は、一個護衛隊群を常時最高練度の状態で維持するためには四個護衛隊群が必要である、と言う発想があるからです。2013年末に決定された中期防衛力整備計画の完成時(約10年後)で、海上自衛隊には54隻の護衛艦があることになるものの、そのうち2隻はソマリア沖に派遣されており、その2隻体制を維持するために6隻がそれに充当されなければなりません。これだけの能力で中国の奇襲攻撃から西太平洋にいるアメリカの空母を守るのは、ほとんど不可能です。遠距離での補給を考慮すれば、船に搭載できるだけのミサイルや弾薬の備蓄は、今の数倍に増やしたとしても、おそらく足りません。また、日本の防衛は手薄になりますから、その分の補強も必要です。このような大規模な軍備の増強と防衛費の増加を見込まなければならないはずですが、その財政的裏付けはどこにもありません。
米中戦争が勃発すれば、常識的に考えて、中国が真っ先に行うのは、まず西日本の米軍基地や自衛隊基地を攻撃し、その防衛力を無力化することでしょう。仮に、いきなり西太平洋にいるアメリカの空母を攻撃してきたとしても、日本がその防衛に加わった時点で、必然的に日本は中国との戦争に関わることになりますから、中国から日本に対する攻撃も始められることになります。日本がその状況に耐えられるかどうかと言えば、国民に対する被害の大きさを考えれば、おそらく難しいでしょう。
3 日中戦争とアメリカの対応
尖閣諸島をめぐる問題について言えば、もしそれで日中の間に紛争が起こったとしたら、見せかけでは軍事力を出すけれども、上陸作戦の場合は自衛隊でなんとかしろ、ということになるでしょう。アメリカは、尖閣は日米安保条約第5条の適用範囲だとしていますが、それは、中国を牽制すると同時に、日本に自制を求める意味があります。2013年2月3日の米軍機関誌「スターズ・アンド・ストライプス」に掲載された「無人の岩のために俺達を巻き込まないでくれ」という論評があります。尖閣諸島のような、アメリカにとってなんの値打ちも、戦略的価値もない島の領有権争いに地上兵力を投入して軍事的介入をするなど、アメリカの論理ではあり得ないのです。
実際にアメリカが尖閣諸島における争いに介入しないとなれば、それは他の同盟国に対するアメリカの信頼性を失わせることに繋がります。それ故アメリカがどういう行動を取るかと言えば、おそらく空母を沖縄近辺に持ってくるようなオペレーションを行って中国を威嚇し、それと同時に日本と中国を仲介して早く紛争を終わらせるというのが、アメリカの国益から考えて最も妥当なやり方でしょう。尖閣諸島をめぐって、アメリカが報復のために中国本土を長距離爆撃機や長距離ミサイルで攻撃することは、まずあり得ません。中国にしても、尖閣がアメリカとの軍事的対決に発展するようなことは望みません。紛争を局地的なものにし、拡大を防いで早期に収拾するかということについては、アメリカも中国も一致するのです。
日本が取るべき防衛戦略もまた、既成事実化を可能にするような行動を中国にさせないだけの力を備えつつ、尖閣なら尖閣だけに紛争を限定し、そこで早く決着をつけて外交的に解決するしかありません。
以上を踏まえると、本来の日本の国力や国土に応じた望ましい防衛戦略、あるいは可能な唯一の防衛戦略である紛争の局地化や早期集結、拡大の防止という方向性と比べると、集団的自衛権の行使は日本の防衛にとってはむしろ有害であることは明らかです。また、アジア地域の防衛は、日本単独では不可能なので、アメリカが本気にならなければ無意味です。しかし、アメリカが本気になってやるとなったら、日本は相当な損害を被ることを覚悟しなければなりません。国民に対する被害が甚大なシナリオであるという認識がもっと必要ではないでしょうか?。
(柳澤協二 『亡国の集団的自衛権』⑦ に続く)
参考文献
山田邦夫 『自衛権の論点』 国立国会図書館
朝日新聞デジタル 『100年をたどる旅~未来のための近現代史~』
朝日新聞連載
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