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『クリスマス・キャロル』

 友達に勧められたので、この映画を見てみました。『クリスマス・キャロル』(自分が見たのは実写版だけど、良い予告編がないので、ディズニーアニメの予告編をリンクしました。)は、自分のビジネスに一生懸命に生きてきた一人ぼっちの老人スクルージが、クリスマスの夜に夢を見て、生き方を考え直す物語です。
 
 夢で最初に現れたのは、長年のビジネスパートナーであり、7年前に亡くなったマーレーです。彼はいくつもの〝千両箱〟がつながった鎖を引きずっていました。彼はスクルージに告げるのです。「仕事だと?。本当の仕事は人類愛だったのだ。肝心なのは人々の幸せだ。慈悲や善行、そういうことが本来の仕事なのだ。商売の取引などこの世の修業に比べたら、海の中の一雫にも値せん。今晩3人の幽霊があなたを訪れるだろう。一人目の幽霊が深夜1時に現れ、あなたを過去に誘うであろう。深夜2時に二人目の幽霊が訪れ、現在のあなたの知らない現実を見せるだろう。そして3番目の幽霊が未来の世情を垣間見せるだろう」。そう言い残すとマーレーの幽霊は、窓の外に消えてしまいます。
 
 深夜1時になりました。一人目の幽霊が、スクルージを過去の自分に誘います。スクルージは、友達や家族からも見放された孤独な子供でした。友達と言えば、本の中の登場人物だけだったのです。青年になると、「寄宿舎生活は終わりだ。年季奉公の口を手配した。3日後にその店に移れ。」と父親に言い渡され働き始めます。そのお店で青年スクルージは、美しい女性ベルと恋仲になります。「苦労を分かち合える女性がいるといないでは大違いだ。」と店主からもアドバイスを受けます。しかし、スクルージは仕事のことで頭がいっぱいです。結局数年後のクリスマスイブに、「私は邪魔者ね。あなたのお金に対する情熱は動かせないわ。お金が全てだもの。いいわ、あなたを自由にさせてあげる。」とベルに三行半を突きつけられ、破談になってしまいます。数年後ベルは別の男性と結婚し、子宝に恵まれ、幸せに暮らしました。

 深夜2時になります。スクルージが知らない現実を教える別の幽霊が現れます。まず案内されたのが、スクルージが雇っているクラチットの家庭です。子供たちは、仲がとても良いです。また、クラチット家は敬虔なクリスチャンで、食事の前にお祈りをし、末息子のティムは「皆に神のご加護を。」と添えます。そして雇い主であるスクルージの幸せを祈るのです。たまらずスクルージは、右足に障害を持つ末息子ティムは生きられるのか深夜2時の幽霊に問います。幽霊は、「未来がこれらの影を変えない限り、その子は死ぬ。」答えるのです。
 次に案内されたのが、スクルージの姉の息子、つまりスクルージの甥のフレッドの家庭でした。フレッドは友達を招き、クリスマスのパーティーを催していました。フレッドは、数少ない肉親のスクルージを食事に招待できなかったことを本当に残念がっていました。お金持ちの出身ではないけれども愛情あふれる妻も紹介したかったのです。
 最後に案内されたのが、ホームレスの暮らしを送る家族です。拾ってきた薪を焚き、暖を取っていました。その中で馬車からこぼれ落ちたじゃがいもを拾って焼き、子供に与えていました。夫は自分の不甲斐なさを責め、妻に救貧院に行くよう話しましたが、妻は、「家族がバラバラになるのは嫌です。」と返答し、火のそばに戻りましょうと話すのです。「働き者の私に怠け者を助ける義理はない。私は公共施設のために税金を払っている。救貧院にいけば良い。」とスクルージは思いました。幽霊は、「それだけか?。」諭しました。そして時間が来たと言って、スクルージを置いて消えてしまいました。

 スクルージは戸惑い狼狽しますが、そこに3番目の幽霊が登場します。(余談になりますが、このあたりの演出というか、舞台美術は見事だと思う。ヨーロッパの国民は週末に劇場に足を運ぶと聞きますが、そうした文化の重厚さを感じずにはいられない。)3番めの幽霊が最初に連れて行ったところは、他ならぬスクルージの自宅でした。ベッドの上には誰かの亡骸があり、毛布を掛けられていました。スクルージは遺体を確かめようとしますが、気が引けて出来ませんでした。それを受けて幽霊は、(たぶん)救貧院にスクルージを連れて行きます。そこでは火事場泥棒のような老婆と、その老婆が持ち込んだ品を買い叩く業者がいました。スクルージはそれを見て、「死を哀れむ者はどこにいるんだ。強欲な奴ばかりで、優しさや情の深き者はどこへいったんだ。」と言いました。その願いを幽霊は聞き受けて、今一度スクルージをクラチット家に連れていきました。そこでは残念なことに、末息子のティムは亡くなっていました。「ティムのためにも私達は行きていかなければ…。ティムは私達の中で生きているのよ。もしもこの先家族が離れ離れになることがあっても、ティムのことは誰も忘れないわよね?。」と母親が子供たちに問いました。「ずっと忘れないよ。」と子供たちは返しました。母親は続けて「それに小さなティムの優しさと我慢強さを思い出せば、喧嘩などできなくなるわ。」と話しました。父親は、「私は幸せものだ。」と引き取りました。スクルージは、人間の優しさや情の深さを見せてもらったと思いました。
 そうすると幽霊は次に彼を墓地に連れていきました。スクルージは幽霊に懇願しました。「今見た未来の影は動かぬのか?。それともまだ変えられるのか?。日々の生き方がその人の結末を決める。だが、その道を外れれば結果も変わるはずだ。そうだと言ってくれ!。私は昔の私と違う。今夜を境に生まれ変わる。救いがあるから来たのだろう?。亡霊よ、この私に情けを掛けてくれ!。もう一度チャンスをくれ!。クリスマスを大切にするし、過去も現在も未来の亡霊も決して忘れない。彼らの教えは肝に銘じておく。頼む、助けておくれ!。約束は守る!」。
 気がつくとスクルージは、ベッドにもたれ掛かるように寝ていました。「天国とクリスマスに感謝します。私はひざまずいて感謝するよ、マーレー。」と呟きました。心も身体も軽くなったように感じました。それ以来スクルージはクリスマスの精神を守り通しました。街中の人々から信頼され慕われるようになったのです。

 以上が『クリスマス・キャロル』のあらすじです。私は、この物語はヒューマニズムの発露として単純化してはいけないのだと思う。私は新自由主義者ではないけれども、「働かざる者食うべからず。」というのは、一面の真理を突いているように思うからだ。(映画の中でも、「人は皆 自分で自分の身を立てるべし」というセリフがありましたね。)経済学者の岩井克人さんは次のように指摘します。。

 確かにグローバル化は、資本主義の効率化を進め、平均的には世界全体に大きな経済成長をもたらす事になりました。事実、1980年代には40%を超えていた世界全体の絶対的貧困率は、2015年には10%近くまで減少しています。(この歴史的事実は絶対に忘れてはなりません。)だが、それは同時に、「100年に1度」と言われた世界規模の経済危機をもたらしてしまったのです。

岩井克人「欲望の貨幣論」を語る

 私自身は、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。」社会でも良いと思っていますが、残念ながらそれでは世の中は動かないようです。そうした現実を前提にこの物語を見直すと、原作者のチャールズ・ディケンズが伝えたかったことは、ノブレス・オブリージュ(=noblesse oblige)ということだと思います。ノブレス・オブリージュとは、19世紀フランスで生まれた言葉で、「noblesse(=貴族)」と「obliger(=義務を負わせる)」をあわせた言葉です。権力、財力、社会的地位を保持するには、責任が伴うことを指しています。身分の高い者はそれに応じて果たさなければならない社会的責任があると言う、欧米社会に定着している倫理感です。自己の利益を優先することのないような行動を促す規範意識となっているのです。スクルージが幽霊の言葉として受け取ったのは、そうした社会的な規範意識だったのでしょう。因みに日本でもそうした規範意識はあって、新渡戸稲造武士道などがそうでしょう。アニメでは鬼滅の刃の煉獄杏寿郎の母親などもそうですよね?。また、Appleの創業者でCEOでもあったSteve Jobsも述べていることですが、食うに困らないだけの金が出来れば、あとは好きなことをして人生を謳歌するのが良いと思います。あの世にはお金を持っていけないし、株や為替の上がり下がりに一喜一憂するのは、充実した時間の使い方には私は思いません。\(^o^)/

 【追記】稲垣潤一の『クリスマスキャロルの頃には』の〝クリスマス・キャロル〟とは、この映画のことなんだろうか?。(^o^)


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