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小説・祭りのあと②

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8月22日早朝、24時間体制で半月やってきた実験が今やっと終わった。あとは結果の資料まとめである。10月初めの研究室の予備発表に備えるまでには、充分な余裕がある。「暑いし、眠いなぁ」と、田中が大欠伸をかきながら「卒研旅行に行かんでよかったなぁ。実験がこんなにかかるとは思わんかった」と、間延びした声で言う。

3人でこれまでの4か月半取組んだ課題だが、実際は朝田と2人でやってきたのと同じであり、これからも何ら変わらないだろう。

などと考えながら、「朝田、下宿まで歩いて帰らんか? ワンカップ買うて仁和寺で飲もうや」と、声をかけた。嵐電の始発には少し早い時間でもあるし、朝の寺は人っ子一人おらず、私の好きな場所であり時間帯でもある。

「そんなら俺、どないするんや。……よし、じゃあ吉岡の下宿に行って飲もう。ええやろ」と、田中が言う。

田中は吹田から通学しており、私は仁和寺、朝田は大覚寺の近くに下宿していた。ただ、朝田の下宿は遠くもあり、個人宅の2階の一室を間借していたが、私は福王子神社の旧宿坊であった。大家からは離れて迷惑をかけることもほとんど無かったし、また学校からは割りと近かったので、田中なりに考えたのであろう。

しかし私の下宿は、襖で仕切られた3畳一間が連なっており、男3人で宴会など、周りの下宿生には迷惑至極なことだ。なにしろ、まだ朝の4時なのだ。
「そらあかんで。まだ皆寝とるわ」と異を唱えると
「そんなら自販機で酒買ってくるから、ここで市電の始発まで飲もうや」と一方的に言い、私が言葉を発する前にそそくさと部屋を出て行った。私の反論が怖いのだろう。

これもいつものパターンである。
「おい。ここで飲んだら寝てしまうで。どうする?」と朝田に言うと

「しょうないなぁ、田中に付き合うたろうや。先生の部屋にツマミくらいあるやろう」とプリンスが隠してある鍵を奥の部屋のマージャン台のマット下から取り出し、これまた欠伸をかきながら部屋を出て行くのだった。

本当に疲れる奴ばかりだが、考えてみれば私と酒を飲もうという事だけでも有り難いかもしれない。私は酒を飲んだ時の自分をよく自覚しおり、いつもあくる日には後悔するのである。まず相手の考えを否定し、自分の考えを押し通す。そして、最後には「ボケ、カス、アホ」の連発で終わるのが常であった。誠に酒癖の悪さには、自分でもホトホト嫌になり、いつも反省はしているのだが一向に直らない。

 机の上にはワンカップ9本と缶詰3個――蟹缶、鮭缶、オイルサーディン、と貧乏学生には豪勢なツマミであった。今日は眠さもあり、実験が終わった虚脱感からか、喋る気もしない私だが、田中は調子にのって朝田相手に一人喋っている。朝田は眠たそうな顔をしながら、それでも全てに相槌を打っている。

(朝田は気のいい奴だが、それが田中を調子に乗せるのに。分からん奴だ)

そんな事を考えながら酒を飲んでいると、喋っていた田中が突然振り返り
「吉岡、ツマミばっかり食うたらあかんで。1本飲む間にもう無いやん」と大声を出した。
ばれたか。彼らはまだ1本目を空けていない。私は3本目がほとんど空で、缶詰はすでに無くなっていた。仕方無しに、「よし。ほんなら俺、先生の部屋からツマミ取ってくるわ」と立ち上がると、少しひんやりした薄暗い廊下に出てホッとため息をついた。

歩きながらいつもの事が頭をよぎる。実験の検証とまとめといっても何年か前にプリンスが発表した理論式の肉付けでしかなく、新鮮味は全く期待できない。実験に使っている設備も材料もこれまでと代わり映えしないものばかりで、目新しい事が出てくる訳が無い。否、4ヶ月程度の研究で新しいことを探るための実験など、我々2流私大のやる気のない学生に出来るはずがないのだ。ただ、卒業するが為――卒論という単位を取るが為のものにすぎないのか。まさにそうだ。虚しくなってくる。高校時代までの夢はどこに行ってしまったのだろう。

そんなことを思いながら先生の部屋の前まで来ると、ガラス窓越しにほのかな明かりが見えた。何やろう?と、びくびくしながらそーっとドアのノブを回し中を覗き込むと、細長い部屋の奥でプリンスが1人、机の上に両足を投げ出し、目を閉じて酒を口に運んでいるところであった。こりゃまずいところに来た。と、ドアを閉めかけると「何しとんや。酒もツマミもあるから持って行け。」という声がする。「こいつ、今頃ここで何しとんや?」と思いながら、仕方なく部屋の中に入っていった。なんで彼がこの時間にここに居るのか理解できない。酒と眠さのせいではない。


「先生、いったい何しとるん?」と、率直な疑問を言う。
「べつにぃ。ここで飲みたいから飲んどるんや。酒とツマミ、相川女史の机の上にあるやろ」と言って、また酒を飲みながら薄目を閉じたのであった。

愛用の薩摩切子のグラスで冷酒を飲んでいる。やはりキザな奴だと思いながら、そろっと相川女史の机に近づき、大きな紙袋2つのうちの酒が入っていると目星を付けたほうを持っていこうとすると、「なんや、2つとも持っていかんかい」と言う。1つで充分や、と思いながら長居したくないので「ほな、2つとも持っていきます」といって、早々に部屋を出ていった。

胸をバクバクさせながら部屋に慌てて帰り「おい、大漁や」と袋2つを掲げると、「どうしたんや、そんなぎょうさん。お前、ほかの卒研から取ってきたんちゃうやろな。そらやばいで」と2人が声を揃えて言う。

「勝見が来とったんや。ほんで、これ持って行け言うたんや」と言うと、彼らも私と同じような疑問が湧いたのだろう。

「なんで勝見が今頃おんねん。おかしいで」と怪訝な顔をしながら袋の中身を取り出していた2人だったが、「おい、鰻弁が四つあるで、すごいで」と田中が嬉しそうな声を上げた。

しばらく間があって「先生、実験終わるの知っとって、段取りしてくれたんちゃうか」と朝田がチョット複雑な顔をして言い、

田中は「そうか。来て見たら3人がもうドンチャン騒ぎしとったんで、寄らんかったんや」と納得顔で言った。
疲れる奴である。騒いどったんは田中、お前だけや。

「しゃぁないな。朝田、一緒に酒のもう言うて先生呼んでこいや。お前やったら来ると思うわ」と一番先生に信用されている朝田に言うと

「俺も一緒に呼んで来るわ」と、田中はまるでスキップを踏んでいる様に体を動かし嬉しそうな顔をして出て行った。

「お前がいったら来るもんでも来んわ」と思ったが、まぁ、どっちでもええかと4本目のワンカップの蓋を開けた。

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この小説公開に至った思い、父と私の話はあとがきにつづりました。

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