「バグ・ストーリー」第1話
「うおおおー!!!!」
新井理人は鳥のように大空を自由自在に飛び回っていた。完全なる自由、そして世界のすべてを手に入れたような喜びをからだ全体で味わう。
目下には、緑とまちが融合したユートピアが広がっている。近代的な生活と環境保全がバランスよく保たれており、空は澄み渡り、緑は生き生きと生い茂る。はるか下方、ゴマつぶのように小さく見える人々も朗らかで、街には活気があった。
「ああ、そうだ」
思う存分に空中遊泳を楽しんだ理人は用事を思い出した。
「今日は母さんに花を届けるんだった」
理人はきょろキョロとあたりを見回し、目的地の山を見つけると高速飛行で向かった。
山頂付近に降り立つ理人。平地より5度ほど低く、涼しい風が野の草花を優しく揺らしていた。理人はその中から淡い紫色の可憐な花を見つけ出し、手に取った。
「これこれ。この花……名前はなんだっけ?」
知っているはずだが、思い出せない。
「まあ、いいや」
出てきそうで出てこない言葉にモヤモヤしたが、あとで母に聞こうと考え、理人はその場を飛び去った。
さっきの場所からほど近い郊外に、小さな家と庭から見上げる人の姿があった。小さくてよく見えないが、あれは間違いない。
「母さん」
大きく手を振ると、小さい人影もまた、手を振り返してきた。
母が喜ぶ姿を想像すると思わず顔がほころぶ理人。気を取り直して降下体勢に入る。
母の姿が少しずつ大きくなってきた。しかし、その顔はぼやけている。
「?」
視界が悪いのだろうか、と目をこすって再び母を見ると、顔の表面は「へのへのもへじ」とカカシかなんかのお面でもかぶっているかのように、間抜けな表情だった。
「んん?」
顔さえ見なければ、嬉しそうに手を振ってわが子の帰りを待つ母に違いないのだが、なにかがおかしい。
その時だった。
どこからともなく黒い影が現れた。この平和な世界に不釣り合いな、不気味な存在。生命体なのかすらよく分からない。
そんな謎の物体から、太いホースのような口が伸びると、ものすごい吸引力で世界を吸い込み始めた。そう、世界を。
理人は黒い存在に気づく様子はない。
謎の物体は、掃除機のように理人の世界を吸い込みはじめた。空もまちも森も山も、そして理人の家も母も。空間すべてが一枚の布のように吸い込まれていくと、あっという間に理人は虚空の中にポツンと1人残された。
吸い込むスピードは人の思考をはるかに上回っており、まるで理人の時が止まったかのよう。母の顔を確認しようと目を凝らしているままだった。
謎の物体はすべてを吸い込むと、今度は別の空間を吐き出した。まるで逆再生のように、さきほどの“絵”を吐き出したようにみえたが、絵柄は全く違っていた。ユートピアとは程遠い、無機質で殺風景なものだった。
仕事を終えた謎の物体は、闇に消えていった。
止まっていた理人の時間がまた動き出す。
「ええと……なにしてたんだっけ?」
何かを握っていたはずの手には、何もない。
理人の世界の片隅には、その一部始終を見ていた存在があった。吸い込まれていった“絵”に所属しない、もう一つの存在だ。もちろん、理人は気づいていない。
間もなく、世界は白い光につつまれていった。
─────
目覚まし時計の音で理人は目が覚めた。
一番に視界に飛び込んできたのは、水色だかネズミ色だか味気のない、ひんやりとした質感の天井。壁も床も似たようなものだ。ベッドも、横にある小さな机と引き出しも無駄のない、ごくシンプル。10畳ほどのこの部屋には、ただ生きるために最小限必要なものしかなかった。それは理人の日常であり、ここに住む子どもたち全員も共通していた。
「夢を見ていたような……でも、なんだっけ」
理人は先ほど見ていた夢をすっかり忘れていた。
7時になると机の上の天井がパカっと開き、トレ―に乗せられた朝食が下りてくる。コップに入ったドリンクとパンと果物というシンプルな内容はほぼ毎日一緒。変わるとすれば、季節によって旬の果物が変わるくらいで、年数回程度だろうか。まずくはないが、おいしくもない。見栄えはどうあれ、年齢や体質によって必要とされる栄養素が完璧に計算されているので、体調管理に問題はないのだが。
おなかが空いた理人は、味わうこともなく、それらをさっさと胃に流し込む。
何となくテレビをつけると朝の情報番組が流れており、ちょうどエンターテイメントを紹介していた。
<さて、お次はこのニュース。トップアイドルのマリアちゃんが、今月からコンサートツアーを開始します! チケットの競争率100倍ともいわれる、超超超国民的アイドルのマリアちゃんのツアー。たのしみですねー!>
画面の向こうでは、歌って踊るマリアの映像が映し出され、アナウンサーが朗らかに話していた。理人は支度をするのに忙しくて、聞いているようで聞いていなかった。
そうこうするうちに時間が迫ってきた。学校は同じ建物内にあるので、「行く」というより「移動する」といった方が正確かもしれない。
部屋と同じく殺風景な廊下には、理人と同じ年くらいの少年少女たちがちらほら歩いている。
「おはよう!」
後ろから聞きなれた声がしたので振り返ると、同じクラスの佐野達樹だった。いつもニコニコしている穏やかなヤツだ。
「ああ、おはよう」
二人は横並びで歩いた。
「昨日さあ、何か楽しい夢見た気がするんだけど、どうしても思い出せないんだよなあ」
と理人。
「夢? そんなに楽しかったの?」
「うん」
「不思議だね。だって授業で習ったじゃん? 『夢は情報整理をするためのもの』、それが脳の仕組みだって。ぼくは楽しい夢なんて見たことないよ。そもそも、あまり覚えてないけど」
「そうだっけ?」
「お前、授業聞いてないよな」
達樹は一瞬、呆れたが、「でも、楽しかったってことを覚えてるだけでも、珍しいね」と少し考えた。
「そうなのか」
理人はもうこの話には興味がなくなったので、次の話題に移った。
「朝メシ、毎日ほとんど一緒だろ? オレ飽きたんだけど。別のもの食いてえ」
「そんなこと、考えたこともないよ」
達樹は少し驚いた。ここに住む者は全員が同じ、変わり映えのない食事をしている。それが生まれた時から当たり前のことで、疑問に思うことすらない。
「オレが食事を考えるなら、飲みものとか果物の種類をもっとチェンジしたいな。昼や晩に食べるようなおかずを朝に出したりさ。それだけでも気分が変わると思うんだ」
「昼のおかずを朝に?」
達樹はまた驚いた。理人の提案など、他の人でも思いつきそうな、たいして奇抜でもないものだったが、この世界では非常識だった。「相変わらず、理人は想像力豊かだ」
「そうか?」
理人は首をひねった。
教室につくと間もなく授業がはじまった。一時間目は古代史だ。
各自の目の前にあるタブレットに、教材が映し出される。古代史の教員・真鍋幸成が説明するのに合わせて、動画が流れてゆく。
***
現在、リストリア1073年。
直前の文明では、世界が『国』という地域に分断されていた。
主に使われていた元号は『西暦』で、これは『キリスト教』という、かつて世界で最も信者が多かった宗教に由来し、救世主とされれるイエス・キリストが誕生した年からスタートした。
西暦が続いた2050年の間は、程度の差はあれど世界のどこかで常に紛争があり、地球滅亡の危機と言われた時期もあった。
しかし現文明になって1012年、一度も争いがなく、人類史上もっとも平和な文明と言われている。
***
「リストリアに生まれたオレたちって幸せだよなあ」
「そうだね」
「平和がいちばん。ちょっと退屈だけどなー」
「不謹慎なこと言うなよ」
隣同士の席に座っていた理人と達樹はヒソヒソと話した。
「そこ! 私語しない!」
真鍋がすかさず見つけて怒鳴り、手に持っていたペンのようなものを投げつけた。とっさによける理人。
「理人! おまえはいつも授業をロクに聞いてないだろう! ペンもよけやがって……だいたいな──」
真鍋がヒートアップするのを悟った理人は、とっさに手を挙げると、唐突に質問をぶつけた。
「はい、先生! 前文明はなぜ終わったのでしょうか!?」
「文明が滅びる直前、人類史上初となる、全世界を巻き込んだ戦争が起こったのだ。世界中が灰と化し、人口も10分の1以下になったという。お前もそのくらい覚えているだろう?」
勉強嫌いの理人も、子どもでも知っているレベルの知識はあった。
「はい! でもなぜそこから、こんな世界ができたんでしょうか?」
真鍋の怒りをそらすため、理人は必至で話をつづける。
「都会も田舎も、人が住む場所はことごとく破壊されたが、人々は希望を捨てなかった。戦争の危険をいち早く察知していた一部の連中がいたのだ。やつらが地上深くに残しておいたスーパーコンピューターが無傷で残っていた。それまでの歴史で蓄積されていた膨大なデータともに、世界最高峰のAIもな。それらを手掛かりに、人々は新たな理想の文明を生み出した」
真鍋の心は悠久の時のかなたへ飛んでいた。歴史オタクの真鍋は、いつのまにか理人の作戦にまんまと乗っていた。
「それはなんとなく知ってます! でも、だれが中心となって文明を再構築したのでしょうか?」
「それは……なにしろ千年も前のことだ。今や、あいまいな神話のようなものだからな。古文書によって、色々と異なる神話や伝説がある。ほとんどウソだろう」
「でも先生、真実もあるということでしょうか? すごく気になります!」
「しらん。あとは自分で調べなさい」
あいまいな神話をファンタジーくらいに思っている真鍋は投げやりにいった。
「先生! でも──」
しつこい理人に、忘れかけていた怒りが再びわいてきた真鍋。理人は「やべえ」と焦ったがすでに時遅し。真鍋は手癖がわるかった。
「いい加減にせえ!!!!」
タブレットが飛んできて理人の頭に直撃すると、意識が吹っ飛んだ。
────
「ここは……」
「保健室よ」
美しいが冷めた目をした女性の顔が覗き込む。
「あ、なつみ先生。いつもすみません」
反省していない様子で理人は舌を出した。
「心にもないこと、言わないの。あんたのせいで仕事が増えて、迷惑ったらありゃしないわ」
保険室の先生・田上なつみはジロリとにらんだ。
「へへ」
「で? 何をしでかしたの?」
「達樹と歴史の話で盛り上がっていたら、真鍋先生が何か投げてきたんです」
「さすがの真鍋先生も、盛り上がってるだけでタブレット投げないでしょ。まったくアンタって子は」
なつみは理人の適当な性格を熟知していた。
「明るいのはアンタのいいところだけど、あまり目を付けられないようにね」
シラけた顔のまま、淡々と話す。
「はい。じゃあ先生、戻ります」
理人は屈託のない笑顔を見せると、保健室を後にした。
そんな理人を、なつみはほほえましく思うと同時に、やや不安げな憂いを含んだ表情で見送った。
────
すべての授業を終え、理人と達樹は談話室にいた。
「真鍋は頭に血が上りやすいんだから、ほどほどにしとけよ」
達樹は今日のことを振り返って理人をたしなめた。無鉄砲な理人は、周りの人間になにかと心配されやすい。
「おもしろくてさ、つい」
真鍋はキレやすいが、クソ真面目なだけで自分を嫌っているわけではない。それを理人もわかっている。
「今日は真鍋の気をそらすために調子に乗ったのは事実だけど、実際、気にならない? 古代史は不明なことが多い」
「言われてみればそうだけど、神話なんてフィクションでしょ?」
「そんなの、わかんねーじゃん」
「理人は、本当に好奇心旺盛だね。ほかにそんな人間知らないよ」
「オレが好奇心旺盛なんじゃなくて、ほかのヤツが好奇心なさすぎなんだよ」理人は一歩も譲らなかった。
「そうなのかねえ?」
口の減らない理人に、達樹は肩をすくめた。しかしこんなやり取りもいつものこと。達樹は理人を理解できないにしても、否定せずに聞く優しい性格だった。
「そうだ達樹。今度一緒に調べてみようぜ」
「神話を?」
「どうせヒマだろ」
「まあ……いいけど」
達樹は理人の押しに弱かった。
食堂で夕飯を済ませると、理人は達樹と別れて部屋に戻った。ゲームをしたりテレビを見たり、ネットサーフィンをしているうちに消灯時間の23時が近づいてきた。ここでは、年齢や適性によって決められた所属によって、一日のルーティーンが決められている。
理人はベッドに入ると、間もなく眠りに落ちた。
────
理人は夢の中で、西暦2050年にいた。
空から見下ろす理人の目に映るのは、灰色の世界。空は赤黒い。あちこちで火の手が上がり、逃げ惑う人々。生き物の焼けるにおいが鼻をつく。
瓦葺の屋根がならぶ住宅街を、防空頭巾をかぶってモンペをはいた女性や子どもたちが火の粉をよけながら駆け抜け、外国の戦闘機が理人のすぐ横をかすめて飛び去った。通り過ぎたあとには、焼夷弾が落とされ、数秒後には地上で火の手が上がっていた。
目の前で繰り広げられる悲惨な光景に耐えられなくなった理人は感情が身体の中で膨らんでいくのを感じていた。
その間にも、戦闘機の甲高い音、爆発音に、火の手が上がる音、地上では人々が泣いておびえている。
理人はふと見た景色に背筋が凍り付いた。母親に手を引かれた子どもが足を絡まらせて転んでしまったところに、爆弾が落ちそうだ──!
「やめろーーーっ!!」
絶叫と同時に、身体からほとばしるエネルギーが閃光を貫く。爆発するように広がる青く冷たい波は、瞬く間に辺りを飲み込んだ。まぶしさに顔を思わず目を閉じた理人が、次に視界が開けた時、そこには戦闘機も焼夷弾もなかった。それどころか、戦火に包まれていたはずのまちは平和そのもの。先ほどの母子は、普段着姿で仲良く手をつないで、買い物でも行くかのような足取りの軽さだった。
「あれ?」
一瞬で変わった景色に、まだ事情が呑み込めない理人の背後から、パチパチとゆっくりした拍手が聞こえる。
「お見事」
振り返った理人の目の前にいたのは、ネコのようなハムスターのような、かわいらしい小動物。
「キミ、いいね」
小動物はうれしそうに笑った。
「……ネコ?」
目が点になる理人に、小動物は「ネコじゃない。わたしは”カタル”だ」といった。
「カタル? ……っていうか、どういうこと?」
「ここはキミの夢の中。さっきのはキミが想像した西暦2050年だよ。実際は全然違うけどね。だいたい、この時代に防空頭巾かぶってモンペ履いている人はいないでしょ。瓦屋根の家もほとんどないし。さっきのはもっと別の時代の記憶だよ。きっとキミが古代史で習った内容だろう」
「オレの夢の中……」
理人はなんとなく事情を理解したような気がした。……が、やっぱりわからない。
「そう。つぎはぎのイメージでキミが作り上げた世界」
「でも、よかった。あんな世界が現実じゃないなら」
ひとまず、理人は先ほどの悲惨な世界が事実ではなかったことに、ほっと胸をなでおろした。
「しかし、キミは本当に想像力豊かだな。素晴らしいが恐ろしくもある。そもそも、あの世界を作り上げることもだし、それを一瞬で吹き飛ばす力もハンパじゃなかった」
「はあ」
先ほどから”カタル”と名乗る小動物が自分に感心していることは伝わってきたが、何がそんなにすごいのかが分からない。「っていうか、アンタなにもの?」
「すまない、紹介が遅れた。わたしは簡単にいうと、キミの夢にちょっとお邪魔させてもらっている、まあ”訪問者”ってとこだ」
「ってことは、アンタもオレが作り出したってこと?」
「いや、違う。キミの夢に登場する人やモノ、空間すべて、ほとんどがキミの創造物だ。しかしわたしのような例外もいる。ちなみに”アンタ”じゃなくて”カタル”ね」
カタルは「アンタ」と呼ばれるのを嫌った。
「例外はカタルだけじゃないってこと?」
「するどいね。わたし以外にも少しだけいる」
「”少し”とは?」
「キミの夢を邪魔する存在だ。わたしたちは”夢喰い”と呼んでいる」
あいかわらず、雲がつかむような話にしかめ面をしている理人を見ると「……わたしの言っている意味がまったく分からないようだな」とカタルはいった。
理人はコクリとうなずく。
「じゃあ、順を追って説明しよう。キミの知っている真実とは全く違うが、驚くなよ」
そう釘をさすと、カタルは話し始めた。
◇◇◇
キミだけでなく、人はもれなく、夜、眠ると夢を見ている。それは物理法則や社会的制限に縛られない、無制限で自由な世界。朝起きた後に覚えているかどうかは、人によって違うが、ほぼ毎晩なにかしらの夢を見ている。
しかし、今の人々は自由に見ていたはずの夢を覚えていない。キミにも心当たりがあるだろう。
本来は自由なはずの夢なのに、起きたらきれいさっぱり忘れている。それはなぜか? 夢喰いが人々の夢を吸い取ってしまうからだ。夜見ている夢は、理人たちが学校で習ったように「情報整理」の役割もあるが、希望や叶えたい方の”夢”を想像の中で体験できる空間でもある。
ややこしいので、睡眠中に見るのを「夢」、叶えたい方の夢を「ドリーム」と呼ぶことにしよう。
夢喰いは後者、つまり「希望やドリーム」がほしいのさ。
まだ形になっていない希望やドリームは、いずれ現実になるときがくる。それを本人が叶える前に横取りして、別の誰かがどこかで形にするのさ。これをわたしたちは「物語の再配分」といっている。
つまりキミは、毎晩物語を奪われている。キミだけじゃない、全人類の物語が奪われ、再配分されている。
◇◇◇
突拍子もない話に、時折、口をはさみながらようやくここまで聞いた理人は、ストレートな疑問をぶつけた。
「全然信じられないんだけど、それが正しいとして、何のためにそんなことするんだ?」
「それを人々が望んだから。生きやすい世の中を作るために。それがいまの文明、リストリアなんだよ」
平和という単語を聞いて、理人は昨日のことを思い出した。
「前文明の終わりに戦争があったから?」
「あれはウソだよ」
「ウソ?」
「戦争なんてなかった。混沌として不穏な世の中ではあったけど、文明が滅びるようなことはまったくない。”すべての人にとって”、とは言えないが、多くの人は平和に暮らしていた。しかし、そんな中でも着実に今の文明は忍び寄っていた」
「えええ? 聞いてた話と全然ちがう」
「完全管理社会が実現した日が、リストリアの始まりだったのだ」
「完全管理社会?」
「いまキミが住んでいるリアルの世界のことだ。政府が人々の年齢や属性で所属を分類して、決められた部屋に住んで決められたものを食べて、決められた時間を過ごす。生まれた時から死ぬまで、すべてが管理されているんだ」
完全管理社会などといわれても、理人にはピンとこなかった。別世界の人間から見ればそうかもしれないが、何しろ理人は、物心ついたときからこの生活なのだ。
たとえるのであれば、理人が超古代人の文明が不便だと憐れんだところで、当事者はそれ以外の文明を知らないのだから、何のことだか理解できないのと同じだ。
ただ、たしかに窮屈さはいつも感じていた。
「多少、変だなと思うことはあるけど、そういうことなのか……。でも、趣味とか進路とか、みんな自分で決めてるよ?」
理人は先輩や大人たちのことを思い浮かべた。そうだ、自分の好きな道を生きてるじゃないか。
「もちろん、個性のある人間をすべて思う通りに動かすことはできない。ただし、個人の適正を判断して決められた方に、知らず知らずのうちに誘導されている」
「そんなことができるのか?」
「できるんだ。毎晩、夢を吸い取られた後に、別の”夢らしきもの”を吹き込まれているんだよ。中身は管理者が作り上げたウソの夢さ。そこで、自分が見たいものとは全く違うものが、無意識に刻み込まれてしまう。都合の悪い記憶は消去して、向こうが見てほしいものを強制的に見せられてるんだ」
理人は愕然とした。なんとなく楽しかった感覚があるのに、それを全く思い出せない理由はこれだったのだ。
「なぜそんな回りくどいことをする? 人間を思う通りに動かしたいなら、物語を吸い取って再配分なんてしなくても、もっと楽な方法があるだろう?」
「希望や想像力は、人類進化のカギなのさ。インプットなしにアウトプットはできない。無から有を生み出すことはできない。だから、人が本来もつ力をいただく。君の想像力は豊かだから、いい仕事をしているだろうね」
「自分から物語が奪われてしまう世界を、人々が望んだというのか?」
理人には信じられなかった。
「人類も、まさかここまで徹底されるとは、想像していなかったかもしれない。しかし、多くが結果的にこうなる道を選んだのは事実だ。自ら考えて動くというのは、面倒だからね。自由と制限は相反するが、それは絶妙なバランスで成り立っている。極端な方向に舵を切った結果が今ってことだ」
理人には難しくて、イマイチ理解できなかった。
「めんどくさい話はやめた。オレはみた夢を忘れたくないし、退屈をぶっ飛ばしたい。これを実現するにはどうしたらいい?」
「リストリアをぶっこわすことかな」
カタルはさらりと言ってのけた。
「リストリアを壊す?」
「そう、リストリアは文明の名前と思われているけれど、本当はプログラムの名前だ。夢喰いもキミの脳波に侵入しているプログラムの一部。わたしはその中に潜むバグ。そしてキミもまた、いうなれば身体という質量を持ったバグみたいなものだ。完璧に近いリストリアだが、100%はありえない。人間の完全な管理というのも無理なのだ」
「プログラムってよくわかんないけど。オレがバグか……おもしろいじゃん」
自分はこの世界の異物なのだ。どうもなじまない日々にウツウツとしていた理人にとって、それは一筋の光明だった。思わず口元がニヤリとゆがむ。
「ちなみにリストリアは1073年なんかじゃないよ。まだ3年目だ」
カタルは、ものすごく重要なことをついでのように付け加えた。
「はっ? ちょちょちょ、まって」
「まだ3年目。つまりキミが母親と別れて3年。生まれたときからあの部屋にいたと思ってる? それも塗り替えられた夢の記憶だよ。キミは、3年前までお母さんと暮らしていた。もちろん、家も全然別の場所で」
「なんだって!?」
吸い取られたはずの夢の記憶の断片がふとよみがえる。あの日見た夢で、顔は分からなかったが、自分に手を振った女性は母親だった。いないと思っていたはずの母親は、この世に存在するのだ。
「カタル……、こないだ母さんが出てきた夢を少し思い出したよ。こんなことは初めてだ」
深い底に沈んでいたはずの記憶が思わぬ形で浮いてきたことに感動し、母がいたことに打ち震え、それが隠され続けていたことに怒りを覚え──と感情の移動に忙しい理人は身震いした。
「わたしの話が、トリガーになったらしいな。”ない”と思っていたものが”ある”ことを知ったとき、たまに起こりうる現象だ」
カタルは満足げにいった。
「いよっしゃーー!」
理人は怒りを忘れ、歓喜に満ちたエネルギーを発した。虹色のオーラが瞬く間に世界を埋め尽くす。理人はゴムボールのようにポンポンと跳ね回り、自分で作りだした透明の壁にぶち当たってはじけまくった。その様子はパチンコのフィーバーさながら。
「うわっ、単純なヤツ」
おもわずつぶやいた後、カタルは我に返った。
「理人、喜んでいる場合じゃないぞ。そろそろ夢喰いが来るはずだ……ひとまずあいつをどうにかしないと──」
せっかく新事実を知らせた今日の夢が、吸い取られてしまう。それは、理人の記憶が消えると同時に、吸い取られた情報が管理者に知れ渡ってしまうという、非常にマズイ事態を引き起こす可能性があった。
しかし、はしゃぎまくっている理人に声は届いていない。カタルが振り返ると、空間に突如としてドアが現れ、ギイと鈍い音を立てて開かれた。
巨大で邪悪な黒い物体が現れた。
夢喰いだ。
「まずいぞ。理人!」
焦るカタルもなんのその。理人はさらに高速で飛び回る。もはや早すぎて形状すら分からない。夢喰いは掃除機のような口を伸ばそうとしている。すると。
バン!!!!!
飛び回る理人の軌道に夢喰いがいたらしい。衝撃で夢喰いは砕け散り、目を回して地面に落下した理人の姿があった。
カタルは理人の元へと飛んで行った。
「なにやってんだ。でもまあ、結果オーライか」
呆れながら理人を見下ろした。
図らずも夢喰いを倒した理人は、無事に今日の記憶を持ち越すこととなった。