connecting the dots 「経験の星」から「意味の星座」を描く
スティーブ・ジョブズのスピーチで出てくる有名なフレーズ「connecting the dots」を聞いたことがある方も多いでしょう。
検索すれば全文が出てきます。いまは翻訳ツールで日本語にすることも容易です。ジョブズのスピーチそのものもYoutubeで見ることができます。興味ある方はぜひ見てみてください。
今日は、この「connecting the dots」という言葉を「どう捉えるか」について考えてみたいと思います。まだまだ掘り下げ途中なのでだいぶ散らかっていますが、コレをワークショップにまで落とし込もうと考えています。
まず、このフレーズの言わんとしていることの翻訳が日経新聞の記事にあったので拾いあげてみます。
ジョブズの事例では、大学を退学すると決めて以降に受けたカリグラフィの講義に没頭したものの、それが未来にどう活きるかは何もイメージができていなかった。しかしMac作り込む中でこのときの経験が大いに活きてきた。あくまで活きてきたのは結果論、一つ一つの経験がどう人生に活きるかなんて、その瞬間には分からない。でも、それをどう繋いで意味を見出していくかに人生の重要なエッセンスがある。そう解釈しました。
さて、この「connecting the dots」という言葉を「星座」に置き換えて考えてみると、様々な広がりが見えてきます。
それぞれの言葉をこのように表現しました。
● dots=点、経験、星
● connect=つなぐ、意味、星座
ここからはdots(経験の星)、connect(意味の星座)と表現します。
私たちは日々の暮らしの中で空にdots(経験の星)を散りばめています。dots(経験の星)は色んな場所で色んな光り方をしています。そのdots(経験の星)を幾つか繋ぎ合わせてみたときに、一つのconnect(意味の星座)が浮かび上がってきます。経験と意味は、お互いがお互いを必要としている。どちらか欠けてしまうと「認識」すらできなくなってしまうモノです。
どんなconnect(意味の星座)を描くかは、どんなdots(経験の星)を集めるか(選ぶか)で変化します。
いま自分の目に映るdots(経験の星)はどんなものがあるか、それをどう繋いでいったときにどんなconnect(意味の星座)が夜空に浮かび上がるか、その捉え方はとてつもなく自由度が高いのです。
例えば一つのdots(経験の星)が複数のconnect(意味の星座)形成に寄与していることもあります。A・B・C・Dというdots(経験の星)を繋いで生まれるconnect(意味の星座)と、A・E・Fというdots(経験の星)を繋いで生まれるconnect(意味の星座)は異なる姿をしていますが、Aというdots(経験の星)を活用している点は変わりません。
しかし、Aというdots(経験の星)に対してそれぞれのconnect(意味の星座)から見た解釈は異なるかもしれません。片方から見れば絶対的な起点であり、もう片方から見れば加速要素でもある。そんな状況はたくさん存在します。もちろん逆に同じような解釈を抱かせる場合も存在します。
dots(経験の星)は様々な「時間軸のサイズ」をしています。例えば今日友人たちと食事を取ったことも一つの経験です。時間にすると長くても数時間程度でしょうか。あるいは、去年から朝のランニングを続けている、これも一つの経験です。時間にすると一年以上積み重ねていることになります。
dots(経験の星)はどんなサイズで捉えても自由です。必ずしもその「瞬間」だけを指すわけでもなければ「継続」だけを指すわけでもない。自分がどんなサイズ感でその経験を捉えているかどうかだけです。星にも大きなモノがあれば小さなモノもあります。それと同じですよね。そして、サイズ自体はその星が持つ明るさとは関係ありません。
dots(経験の星)は幾つか集まり、それぞれを繋ぐことでconnect(意味の星座)を描きます。つまりdotは単独では意味を描きません。意味そのものは複数のdots(経験の星)を繋いだことによって見出される星座によって描かれます。
例えば原体験というモノは一つのdotで意味を描いているようにも見えますが、これも複数の星を繋げた星座が存在する中で、一つの大きな起点となっていると解釈している状態と解釈しています。その原体験が起点であると位置付けるのは、既に自分が「意味の星座」を言語化できている・いないに関わらず保持しているからです。
経験が特別な意味を持ち星座が生まれているのではなく、星座から見たときに経験に特別な意味が付与されると考えることもできますね。もちろんこれは単に一つの捉え方です。「connecting the dots」という概念から見たときの原体験という別の概念への解釈なので、原体験という概念から思考を始めるとまた異なる捉え方ができるのも当然です。
さて、人生はdotsを生み出していく行程の連続です。しかしそのdots(経験の星)がどのように繋がり合い、どのようにconnect(意味の星座)を描いていくかは分からないことが多いです。
もちろん、狙って星座を描き出そうと必要なdots(経験の星)を得にいくようなアプローチも存在します。むしろ世の中の認識としてはそちらの方が中心かもしれませんね。でも、実態としてconnect(意味の星座)は狙って現れません。それは予想外な方向から浮かび上がってきます。
ここまではスティーブ・ジョブズの言わんとしていることとそう変わらないのではないでしょうか。ここからは、もう少し異なる観点で捉えていきたいと思います。
dots(経験の星)が集まってconnect(意味の星座)を描くのであれば、当然ながらどんなdots(経験の星)が集まるかによって、描かれるconnect(意味の星座)が変わります。
connect(意味の星座)が変化すれば、当然ながら一つ一つのdots(経験の星)に抱いていた解釈も変化します。よく「物事は捉え方だ」とも言いますが、これを一つ一つの経験からのみ捉え方を動かそうとしても認識を変化させることは難しいです。それだけでなく、connect(意味の星座)の描き方を変化させる中でdots(経験の星)の解釈を動かすアプローチも大切になります。
どちらかだけで認識を動かすことが難しいのなら、両方を活用してみる。dots(経験の星)に対する解釈を動かそうとするアプローチ、connect(意味の星座)を動かそうとするアプローチ、両方です。と言いながら本来はdotsとconnectは分かち難く結ばれているはずなので、必然的にこの両者を意識することにはなりますが。
なので実は、たった一つのdots(経験の星)によってconnect(意味の星座)が変化してしまうこともあり得ます。その一つのインパクトが大きかったというわけではなく、その一つとこれまでに自分が抱えていたdots(経験の星)が結びつき化学反応を起こしたといった方が適切だと感じます。
これを起こすためには、一つの経験がこれまでの自分が持つ固定観念を変化させ得るという認識や、自分自身が変化することに対する「受容」的な姿勢など、そもそも自己認識に対する「しなやかなスタンス」が大切になってきます。
一つの意味を形成している星々と、その意味の形成の外側にある星々が存在します。実際の星座でもそうですよね。ある星座は特定の星から成るが、当然その星座とは関係のない星もある。しかしある星座とは関係ない星も、別の星座を形成していたりもする。
たった一つの星座から、全ての星の意味を見つけ出そうだなんて土台無理な話です。無理やり線を繋げてみても、それは星座になりません。しかし、だからこそ思考を自由に広げられる。誰が人生において、あるいは特定の期間において、一つの星座しか描いてはいけないと決めたのか。
「一つの星座しかない」なんてことは存在しない、でもなぜか「一つの星座しか持ってはいけない」と思い込むことがよくある。むしろ、「一つの星座を明確に意識すること」が大切だと言われていたりします。これはよく「自分の軸」みたいな表現で僕らの認識を形づくっています。
しかし、dots(経験の星)とconnect(意味の星座)の関係性から言えばそんなことはなく、いくつもconnect(意味の星座)を持つことができるはず。だからこそあらゆるdots(経験の星)に無駄なものはないと言えるのです。
dots(経験の星)とは可能性です。それらは単独で何かの効果を発揮することはありませんが、あるときに何かのきっかけでconnect(意味の星座)を描くことのできる可能性を常に持つ。
dots(経験の星)を抱えた瞬間から、それは可能性をまとった状態で夜空に散りばめられる。いつ星座を描くことができるか分からないからこそ、いつでも描くことのできる可能性として存在することができる。
そう捉えると、実は一般的に言われる「子どもは可能性の宝庫」(大人は可能性が少ない)という論説は異なる解釈ができることになりますよね。むしろ大人の方こそ可能性の宝庫であると言えてしまいます。
なぜかと言えば「dotsの総量」は大人の方が圧倒的に多いはずだから。つまり、実はいつでもconnect(意味の星座)を描くことのできる状態にあるのです。ただ、それを「できないと思い込んでいる」だけ、あるいは「しないという判断をしている」だけなのでしょう。
「しない」と「できない」は大きな違いです。できるか、できないかで言えば、圧倒的に「できる」です。dots(経験の星)の総量は圧倒的に多いはずであり、となればconnect(意味の星座)を描けるパターンもたくさん持っているはずだから。
たくさんのdots(経験の星)を持っていながらconnect(意味の星座)を描いてないのは、固定観念の影響です。ただこれを突き抜けるのは難しい。
自分の固定観念の外側にあるconnect(意味の星座)の描き方を、固定観念の内側にいる状態で見つけることは難しいからです。その断片が見えたときでも、おそらくは固定観念の外側で起こる現象を理解できずに見逃してしまっているはずです。
また「たくさんのdots(経験の星)を持っている」こと自体と「たくさんのdots(経験の星)を持っていると認識している」ことの間には、また大きな違いがあります。
実際、たくさんの経験を重ねていながらも、僕らはそれらを積極的にアーカイブしたり棚卸ししたりはしない。だから実は「たくさんのdots(経験の星)を持っている」と認識できていない状態なのです。
実際に夜空には星がたくさん存在するのに、雲に覆われているせいで「星がない」と認識してしまうような状態ですね。「見えない」であるはずなのに「ない」と捉えてしまう。よくこういう状況は起こらないでしょうか。
自分の既に持っているdots(経験の星)を棚卸しすること。そこに特定の意味づけを付与させずに、「色んな星座の描き方」によって生まれる意味の変化を実感すること。この辺りがスタート地点ではないかと思います。
さて、「connecting the dots」を実践させようとするときに、思わぬ方向から障壁になってしまうモノがあります。一般的にはポジティブな意味合いで捉えられることが多いのですが、ときにビジョン・夢・目標といったモノは「connecting the dots」の可能性を阻む場合もあります。
なぜなら、ビジョン・夢・目標といったモノは「見出したときの時間軸」から先の未来に出ることはできないからです。「未来の自分であれば描くことのできるビジョン」を、いまこの瞬間の自分が描くことはできません。ちょっと腑に落ちない言説かもしれませんが、これは原理の部分なので致し方ありません。
同じように、「connecting the dots」を仮にいまこの瞬間において実践しようとしても、いまの自分に繋ぎ合わせることができるのは、いまの自分が想像できる範囲のみです。未来の自分なら繋ぎ合わせることができる繋ぎ方があるとしても、いまの自分にその繋ぎ合わせ方は想像もつきません。
ビジョン・夢・目標といったモノは「一つの方向」に物事を導いていく傾向が強く、「connecting the dots」は「様々な方向」への可能性を拓く傾向が強いと言えます。もちろん、そうでない場合もあると思いますし、ジョブズの言わんとしていたこととはこの段までいくとズレている気もします。しかし、僕はココが大切で、ココに意識的になってみる意味を感じるのです。
いつだって僕らは新しい可能性に開かれている。それは新しいdots(経験の星)との出会いや、いま描いていたconnect(意味の星座)とは異なる星座が新たな解釈が見出せたときに立ち上がってくるもの。
しかしその新しい可能性は、これまでの自分の思考や価値観の外側に存在することもよくある。だから実は今の自分が持っているビジョン・夢・目標とは異なるカタチで現れることもあるのです。
何もビジョン・夢・目標を持つことを拒絶するわけではないです。当然それは大切なこと。一方で可能性が可能性として存在できる状態も失いたくはない。いかに「ビジョン・夢・目標」と「connecting the dots」を両手に持っていられるか。この両手持ちは時に苦悩や葛藤を生みますが、しかしその苦悩や葛藤が人生を豊かにしてくれるのだとも感じます。
さて、ここまで掘り下げてきて「connecting the dots」の肝心な部分を見逃しているかもしれないと気づきました。
人生においてdots(経験の星)はこの先も増え続けます。それは一人の人間の人生が終わる瞬間まで拡大し続けます。
つまり、描くことのできるconnect(意味の星座)の可能性も増え続けるというわけです。だからこそいつでも新しい星座を描くことのできる「しなやかさ」を持っていたいのです。
もっと自由に「connecting the dots」できるはず。
もっと「connecting the dots」を人生に取り込めるはず。
どんな星々を見出し、どんな星座を描くかは、自由だ。
と、今日はここまで、思いっきりとっ散らかしてみました。
また思考をさらに深めていき、ワークショップにまで落とし込めたらお知らせしていきたいと思います。ちなみに予定しているワークショップのタイトルは「40歳からのconnecting the dots」(仮)です。