「言語化」した思考を「記録」していないと・・・
昨日の「思考の整理」の続き。とっ散らかした言語化を記録していないと何が起こるかのイメージ図です。
言語化したモノは残念ながらどんどん忘却ボックスに仕舞われていきます。その過程で自分が大切っぽいと思ったモノだけ印象ボックスに残りますが、忘却ボックスにも大切なモノがあったりします。
言語化したモノのうち、自分が拾いとって印象ボックスに移すことができるのは「大切っぽい」と思ったモノだけなんですよね。
でもこの時点では自分にも思い込みがあったりするので「大切っぽい」が本当に「大切か」どうかは分からないのです。
その場での判断は、実は大いにバイアスの影響下にあったりするんですよね。特に僕の場合は。
一方で、「大切っぽい」と分からなかった情報はスルーされがちで、それらは忘却ボックスにまとめて放り込まれます。この中に大切な要素があったとしても、それにすぐ気づくことはできません。
せっかくヒントを言語化したのに、記録してなかったがために見逃してしまうのは惜しいことですよねぇ。
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