【自己紹介③】
PGAティーチングプロ竹内寿文です。
2003年の春、運命は突然やってきた。
練習場で知り合った年上のNインストラクターが、愛知県の春日井カントリークラブを紹介してくれた。藁にもすがる思いで、思いの丈を支配人にぶつけた。しかし、春日井カントリークラブは研修生を募集していなかった。だが熱意が伝わり、代わりにセラヴィゴルフ倶楽部(現在の名古屋ヒルズゴルフ倶楽部)を紹介してくれる事になった。研修生に成ったら練習場のアルバイトを辞めると周囲には伝えていた。
後日、セラヴィゴルフ倶楽部に行き支配人と面接した。面接直後、所属プロの鈴村照男さんに研修生になれるかどうか見てもらいなさいと練習場へ案内された。その際、『プロゴルファーになれる見込みがないと判断されたら諦めなさい』とハッキリ言われた事を今でも鮮明に覚えている。そして、鈴村照男プロの前で緊張しながらドライバーを振りまくった。打球は右の林の中や左の林を越えて1番ホールのグリーンの方向に飛んで行ったりして、真っ直ぐ飛んだボールは1つも無かった。ダメだプロゴルファーに向いてないんだと諦めかけたその時、『明日から来なさい』という神の声が聞こえた。耳を疑い飛び上がるほど驚いた。晴れて研修生になった瞬間だった。その夜は嬉しさのあまり全く眠れなかった。今振り返ると、全力でクラブを速く振れる素質を認められたのではないかと思う。
翌日から念願の研修生生活がスタート。朝6時からグリーン刈りして、9時から練習場の当番。昼食後に再び練習して夕方からコースに出て練習。この毎日を繰り返す。このゴルフ場には、4人先輩の研修生が居た。自分は飛距離に自信があったが、その先輩達の飛距離とは比べ物にならず愕然とした(後に飛ばし屋軍団の集まりだった事を知る)。プロゴルファーの世界は、想像を遥かに超えたとんでもない世界だった。
鈴村照男プロの最後の弟子として、プロゴルファーになるだけでなくプロゴルファーとして生計を立てるため、まずクラブを振る体力と食べる体力が重要だった。当時の体重は60kg台、食が細くガリガリだったので、1日5食食べるくらいじゃないと試合で勝てないと言われた。25年後の今も、その言葉を思い出して80kg台をキープしている…笑
研修生当初、鈴村照男プロからゴルフについて言われた言葉は、『お主、生半可なゴルフしか知らんな』次に『ボールをとにかく曲げろ』そして、『ボールを曲げる事が出来たら真っ直ぐ打てるようにしてやる』の3つ。この3つの言葉をすぐ理解する事は出来なかった。この時、プロと名のつく人の打球を目の当たりにして、身震いした。1球に対する気迫が凄まじかった。鈴村照男プロ(当時63歳)の打球のキレや正確性は、とても63歳とは思えないモノだった。『シュシュシュシュッシューーー』という風を切り裂く音、狙った場所にピンポイントで飛んで行く精度、そして、何球打っても乱れないスイングと呼吸。
*鈴村照男プロとは、日本で最初の学士プロ(大卒プロ)で、中日クラウンズでの優勝争いや海外の試合でも活躍され、日本プロゴルフ協会の副会長も歴任された偉大なプロである。2022年(現在)も現役のプレイヤー。
鈴村照男プロのようになりたいと、毎日無我夢中で1,000球以上ボールを打ち、雨の日も風の日もコースに出て練習を繰り返した。同時にゴルフクラブについても勉強した。先輩達のクラブを試打して、打ちやすいクラブや打ちにくいクラブを判別したり、クラブの違いで飛距離や方向性が激変する事を知る。また、自分のクラブヘッドやシャフトの色々な場所に鉛を貼り、自分の力量に合った振りやすいクラブ(シャフトの硬さや調子、クラブの重さやヘッドバランス)を追求した。そして、自分の好きなクラブ(メーカー)に出会う。
好きなクラブとは、タイトリスト。ロゴ「Titleist」がシャープで心惹かれたのと、当時タイトリストのクラブは難しいと言われていたので、使いこなせたら格好良いと思ったからだ。
*タイトリストの由来は、タイトル保持者という意味から生まれた造語。1935年にアマチュアゴルファーだったフィル・ヤングが作ったゴルフボールメーカーである。ロゴは、当時の秘書だったヘレン・ロビンソンのTitleistと書いた文字が上手だったという理由で採用された。
当時のクラブは、983Kのドライバー(1W)、980Fのスプーン(3W)、980Fのクリーク(5W)、670マッスルバックアイアン(Iron)、ボーケイウェッジ(Wedge)、スコッティキャメロンパター(Putter)、Pro V1xのボール、ゴルフバックも全部タイトリストに一新した。現在でもタイトリストオンリーである。
自分の力量に合ったクラブは、ドライバーとスプーンのシャフトは70g台のXで先調子、クリークは80g台のXで先調子、アイアンとウェッジのシャフトはダイナミックゴールドX100。現在もほぼ同じスペック。
自分の力量に合ったクラブを使う事で、クラブの振りやすさ、飛距離や方向性が格段に良くなった。この時に道具の重要性を認識する。
そして、研修生になって3ヶ月、人生初の試合に出る。
この続きは、また今度