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【自己紹介④】

PGAティーチングプロ竹内寿文です。

ゴルフ場に所属したので、ゴルフ場連盟の研修会(試合)に出る事になる。現在もある??と思うが、中部ゴルフ場連盟の研修会で愛知県、三重県、岐阜県、石川県と富山県と福井県の北陸3県のエリア。

最初に出た研修会は、レイクグリーンゴルフ倶楽部(岐阜県)。スタートホールのティーショットは、緊張で足がガクガクだった。自分のスコアとマーカーという決められた同伴者のスコアもスコアカードに記入しながらのラウンドだった。全く余裕がない中、スコア78。成績は80人中65位だったが、スコア70台だった事が嬉しかった。

※レイクグリーンゴルフ倶楽部とは、1994年5月の日本プロゴルフ選手権大会で合田洋プロが、最終ホールにバンカーからパターで寄せてジャンボ尾崎プロを振り切って優勝したゴルフ場として有名。現在は、バンカーが改修されており、パターで寄せるのは不可能になっている。

研修会は、年4回のラウンド合計スコアの上位者から順に、翌年PGA(日本プロゴルフ協会)プロテストの会場を3次、2次、1次と振り分けられる。第3次テスト(最終テスト)は4日間、第2次テストは3日間、第1次テストは2日間、それぞれ人数が決まっていて成績が下位だと第1次テストに行けず、プレ予選(2日間)からのエントリーになる。

研修生1年目の2003年は、合計スコアが80人中下から10番目で第1次テストに行けなかった。試合では普段の練習と異なり、緊張して練習通りにクラブが振れなかった。また、アプローチとパターの技術が周りの研修生に比べて低く、スコアが作れなかった。そして、再来年のプロテストに向けてまた練習の日々が続く。師匠の鈴村プロからの指導は、『試合で緊張した時にいかに振れるか』、『常にマン振りしろ』この2つ。

試合になれば誰でも緊張するし、そこで雑念を払って自分の振りが出来るかという事。マン振りすると飛んで曲がらないボールが打てるという事。マン振りは奥が深い。マン振り=力むではない。アドレスからフィニッシュまで10ある力を一定の力で振り抜く事である。スイングの途中で力を入れたり抜いたりしない。逆にスイングの途中で力を入れたり抜いたりすると、ボールに変な回転がかかり曲がってしまう。ドライバーもアイアンもマン振りして、ボールが曲がらないように練習し続けた。この時からマン振りが、座右の銘になった。

研修生2年目の2004年は、試合に慣れてきた事、打球が安定した事で少しずつスコアが縮まってきた。その結果、研修会の成績が前年より少し上がり、ギリギリで翌年の第1次テストに行く事が出来た。第1次テストの場所は、富嶽カントリークラブ(静岡県)。結果は、79・76の70位タイで予選落ち。プロテストは、研修会と雰囲気が違い重苦しい空気の中でのプレー。しかも、初めてのプロテストでスタートホールから緊張の連続、ドライバーショットやアイアンショットが狙い通りにいかず、パターも入らなかった。富嶽カントリークラブは、フルバックティが7879ヤード(プロテストはバックティの7343ヤードを使用)、グリーンの芝目が富士山に向いているのが特徴。

研修生3年目の2005年は、研修会で初めて優勝した。ホームコースのセラヴィゴルフ倶楽部(現在の名古屋ヒルズゴルフ倶楽部)でホームコースの地の利を活かしてスコア69。人生初の賞金10万円獲得。賞金で親孝行しようと思っていたにも関わらず、愛知県や岐阜県のつけ麺を食べまくり、いつの間にか食費に消えてしまっていた…これがつけ麺ゴルファーの幕開けだった(笑)。そして、研修会の成績が上位になり翌年の第2次テストから行く事が出来た。同時にJGTO(日本ゴルフツアー機構)のQT(クオリファイングトーナメント)のセカンドステージにも推薦の権利を得てエントリー。第2次テストの場所は、小野東洋ゴルフ倶楽部(兵庫県)。結果は、79・77・83の129位タイで予選落ち。2次テストという緊張と難コースで、ショットが乱れ修正する事もできずに終わってしまった。小野東洋ゴルフ倶楽部は、2011年の第79回日本プロゴルフ選手権大会が行われた難易度の高いコースである。そして、QTのセカンドの場所は、富岡倶楽部(群馬県)。結果は、78・78・75・79で予選落ち。QTのセカンドは、プロテストを通過してる人が大半で自分がプロテストを通過してないというコンプレックスもあり、プロの雰囲気に呑まれて全く自分のゴルフが出来なかった。富岡倶楽部は、JGTO認定のツアーチャンピオンズクラブのひとつで、男女クオリファイングトーナメントやプロテストの会場になっているコースである。

※JGTO(日本ゴルフツアー機構)のQT(クオリファイングトーナメント)とは、ツアートーナメント・チャレンジトーナメント(現AbemaTVツアー)に出場する為の資格を獲得できる唯一の予選会である。そして、ファーストQT、セカンドQT、サードQT、ファイナルQTの各ステージに分かれていて、ファイナルQTの上位者が翌年度のツアートーナメント及びチャレンジトーナメントへの出場資格(ツアーメンバー資格)ランキングを獲得することができる。また、セカンドQTとサードQTの出場者を(ツアープレイヤー)と呼称しQTランキングを獲得することができる。

研修生4年目の2006年は、所属先をセラヴィゴルフ倶楽部(岐阜県)から春日井カントリークラブ(愛知県)に変更した。当時セラヴィゴルフ倶楽部では、先輩達との上下関係に悩んでいた事もあり、ゴルフに専念できる環境を求めていた。春日井カントリークラブは、研修生の募集をしていなかったがキャディ業務を行う事で特別に研修生として所属させてもらう事が出来た。

この年からの研修会は、中部から愛知県、三重県、岐阜県と石川県と富山県と福井県の県ごとの3ヶ所で行われるようになった。愛知県の研修会は、和合ゴルフ倶楽部、三好カントリー倶楽部、南愛知カントリークラブ(現新南愛知カントリークラブ)、愛知カンツリー倶楽部の4つの会場で男女のトーナメントが開催されてる事もあり難易度の高いコースばかりだった。研修会の結果は、難易度の高いコースに比例してスコアも悪かった。その結果、翌年のプロテストは第1次テストから行く事になった。第1次テストの場所は、富嶽カントリークラブ(静岡県)。結果は、84・77の106位タイで予選落ち。ラウンドの途中に突然アプローチのミスが出ると寄せたい気持ちが強くなり、アプローチが寄らなくなってスコアを崩してしまった。そして、この年もQTに挑戦。当時のQTは、1度でもセカンドから出場すると翌年からずっとセカンドから出られる仕組みだった。QTのセカンドは、トーシンレイクウッド(三重県)。結果、78・77・69・74で予選落ち。ドライバーやアイアンショットが日替わりで、良かったり悪かったりの繰り返しで安定しなかった。

研修生5年目の2007年は、調子が良い時はパターが入って70、調子が悪いとアプローチとパターが寄らず入らずの80という波の激しいゴルフをしていた。その結果、翌年はなんとか第2次テストから行く事が出来た。第2次テストの場所は、四日市カンツリークラブ(三重県)。結果は、74・77・74の85位タイで予選落ち。コースが広くてティーショットは悪くなかったが、グリーン周りからのアプローチが寄せきれず、パターも決めれなかった。

研修生6年目の2008年は、ラウンド途中でシャンクが突然出て、スコアを大きく崩す事もあった。その結果、翌年は第1次テストから行く事になった。第1次テストの場所は、伊勢カントリークラブ(三重県)。結果は、78・87の111位タイで予選落ち。突然のシャンクに顔面蒼白になりながら、その後もシャンクを打ち続けてThe End.

研修生7年目の2009年は、シャンクが出る原因を追求し、ソールして構えた所より少し遠くにクラブが下りてくる癖を発見した。その癖を知ってからショットのミスが減っていった。結果スコアも安定し、翌年は第2次テストから行く事が出来た。第2次テストの場所は、ABCゴルフ倶楽部(兵庫県)。結果は、71・75・73の29位タイで予選通過。この時、PGAティーチングプロの資格を取得するために覚えたPGA教本が自分のゴルフを変えた。その教本にある基本(歴代のプロゴルファーの平均値)を取り入れた事により、グリップを力強く握りすぎず、スイングの無駄な動きが無くなった。また、ランニングアプローチやピッチエンドランアプローチをボールのライに応じて使い分けるようにしたらスコアも縮まり、予選通過に繋がった。。ABCゴルフ倶楽部は、毎年マイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメントが開催されるコースで、日本一速いグリーン(14フィート)として有名。個人的には、今までプレーしたゴルフ場の中で1番綺麗なグリーンである。そして、次の第3次テスト(最終テスト)の場所は、片山津ゴルフ倶楽部。結果は、77・85・71(3日で予選落ち)で不合格。初の最終テストという事で緊張の連続、パターで初めて手が震えた。周りの雰囲気はピンと張り詰めていて、個人個人が黙々と自分の世界に入って重苦しい空気だった。僕は、この雰囲気に耐えられず散々な結果だった。片山津ゴルフ倶楽部は、2004年に第69回日本オープンゴルフ選手権大会、2008年に第41回日本女子プロゴルフ選手権大会、2015年に第48回日本女子オープンゴルフ選手権大会のメジャー選手権を開催された難易度の高いコースである。

研修生8年目の2010年は、研修会の成績により翌年は第2次テストから行く事になった。第2次テストの場所は、小野東洋ゴルフ倶楽部(兵庫県)。結果は、75・79・74の59位タイで予選落ち。苦手なコースという事もあり、ショットからアプローチやパターまで空回りだった。

この年、2年間のPGAティーチングプロの実技と面接、講習と検定を経て翌年の2011年1月1日、PGAティーチングプロとなった。

続きは、また今度




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