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クラウゼヴィッツは戦争における勇気をどのように分析していたのか?
勇気とは、危険を恐れない心であり、恐れる気持ちを自分の内に抑えて表に出さない心の働きであるとも言えます。軍事学の歴史で勇気が分析の対象とされてきたことは、危険な戦場で任務を遂行する軍隊の特性を考えれば当然のことだと言えるでしょう。現代では兵士の適性検査やリーダーシップを論じる軍事心理学へと発展した分野です。
この記事では軍事学の基礎を作ったカール・フォン・クラウゼヴィッツの研究で勇気がどのように分析されていたのかを紹介してみたいと思います。戦争における勇気の意義を説明し、その上で勇気の問題についても考察してみましょう。
勇気は軍人に必須の資質である
クラウゼヴィッツは戦争の理論を構築する上で最も大きな困難の一つは、戦争に関係する人々の精神的要素をそのまま観察できないことだと述べていました。いつ、どこで、どのような部隊が活動しているのかは観察によって客観的に明らかにできますが、その部隊を動かす人々の精神の働きは直接的に観察することができません。
その上でクラウゼヴィッツは、戦争状態に直面した人間の精神的な働きで特に重要なものは勇気に他ならないと考えていました。ここで述べている勇気とは、単に戦場で危険を冒すことができる勇気だけではありません。クラウゼヴィッツは不確実な状況の下で決定を下し、失敗の責任を引き受けることも勇気であると述べています。
「ところで、戦争は危険を本領とする。従って何ものにも増して軍人の第一の特性は勇気である。この勇気には二種ある。――第一は、戦闘者が個人的に危険を無視する勇気である。また第二は、自分自身の行動に対して責任を負う勇気である」(上巻、90頁)
また、クラウゼヴィッツは勇気は本質的に知性の働きではなく、感情の働きによるところが大きいとも述べており、「知性はまず勇気の感情を喚起し、これによって支持されねばならない。危急に際して人間を強く支配するのは、思慮よりもむしろ感情だからである」とも書いています(同上94頁)。軍人は知性によって自らの感情を律し、断固とした行動をとることができなければならないというのがクラウゼヴィッツの基本的な考えでした。
勇気を持つにも、バランス感覚が必要
このように、クラウゼヴィッツは勇気の重要性を強調していましたが、同時に勇気それ自体に危うさがあることもよく認識していました。勇気が知性の働きではなく、感情の働きに強く依存していると分析していたことからも分かるように、勇気が思慮の浅い行動をもたらすことも十分にあり得ます。
冷静に物事の利害を計算できない人物が勇気を発揮することで、かえって不利な状況に陥るかもしれません。クラウゼヴィッツはこの事象を次のように整理しています。
「なるほど勇気も確かに抜目のない打算と一致することがあり得る。しかし両者は種類を異にするものであって、それぞれ心の相異なる面に属するのである」(上巻54頁)
勇気と冷静がそれぞれ異なる精神の働きであるので、クラウゼヴィッツは感情の激しさをバランスよく制御できることが重要だと考えていました。戦争において勇気を発揮するためには、強い感情の力が必要ですが、それによって知性の働きが阻害されないような気質を備えた人物であることが望ましいのです(上巻、103頁)。
知性と感情を兼ね備えた「情意の強さ」
クラウゼヴィッツは、知性と感情という二つの相反する要素が、一人の性格の中でどのようにせめぎ合うかによって、その人物の資質を4種類に類型化することができるのではないかと提案しています。これは一昔前の性格心理学の議論でもよく見られた気質論に通じる分析です。あまり厳密さはありませんが、職務適性を考える上で興味深い議論です。
第一の気質は、活動的ではなく、行動力に欠いた人々に当てはまります。彼らはめったに感情が高まらないので、心の均衡を失いませんが、積極的に行動を起こす力が欠けています。クラウゼヴィッツは環境が変化しても、主体的に行動を起こさない性質も、ある種の能力と見なすことができるだろうと述べていると述べていますが、このような人々は基本的に無気力であり、軍隊の指揮官に適していないことは言うまでもありません(上巻、104-5頁)。
第二の気質はある程度は活発的、活動的であるものの、感情が一定の強さを超えないために、冷静さが常に優勢な人々に当てはまります。彼らは小さな出来事に刺激されて即座に行動を開始することができますが、大きな困難に直面するとすぐに打ちひしがれ、悲痛な気持ちを嘆くばかりになってしまう傾向があるとクラウゼヴィッツは分析しています。小さな問題を解決することには向いていますが、戦争のような大きな困難に立ち向かうには向かない人材だと言えます(105-6頁)。
第三の気質は、活発的、活動的であり、わずかな刺激で大きな感情を爆発させる人々に当てはまります。彼らは途方もない困難に直面したとしても、決して行動を止めようとしないため、行動力の面で非常に優れた性質を見せてくれます。クラウゼヴィッツはこのような性質を持つ人々が軍隊の下級将校にとって非常に有益な存在だと述べています。ただし、感情の動きが大きいほど、その持続期間が短いとも述べており、彼らの行動力は時間の経過で著しく失われてしまうと分析しています。したがって、長期間にわたる大部隊の指揮官には向いていないとされています(上巻、105-6頁)。ただし、彼らが不断の努力によって自分の感情を抑えることができるようになれば優れた人物になるとも述べられています(上巻、106頁)。
第四の気質は、一見すると活発的、活動的ではないものの、いったん感情の働きが始まると、それを長く維持できる人々に当てはまります。これは少し分かりにくいタイプだと思いますが、クラウゼヴィッツは勢いよく燃える炎ではなく、ゆっくりと燃焼する炎という比喩を使って表現しています。このようなタイプの人々は些細な事で感情を表に出さないため、一見すると行動力がなく、無気力に見えるかもしれませんが、彼らはいったん動き出すと、どのような困難に直面しても行動を止めることがなく、しかも長期にわたって行動力を持続させ、粘り強く仕事に取り組みます。彼らは長期的に見れば感情の強さと知性の高さを両立させることができるので、大部隊の指揮官に適しているとクラウゼヴィッツは分析しています(106-7頁)。
まとめ
クラウゼヴィッツの勇気に関する分析で分かることは、戦争を遂行する上で軍隊が必要とする人材の適性ではないかと思います。戦争において軍人は勇敢でなければなりません。これはほとんど自明のことですが、クラウゼヴィッツはそれが感情の働きによる行動力の現れであると分析することで、知性の働きと両立しない場合があることを指摘しました。
この分析をさらに進めて、クラウゼヴィッツは勇気の問題を性格、パーソナリティの類型的な分析を行い、どのような人材をどのような軍務に配置すべきかを論じています。現代の軍事心理学の研究から見れば、まだまだ厳密さに欠ける議論ではありますが、戦争に対するクラウゼヴィッツの理解がいかに多面的、包括的なものであったのかを知る上で興味深いと思います。
見出し画像:U.S. Department of Defense
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