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砲艦外交を戦略として読み解くGunboat Diplomacy, 1919-1991(1994)の紹介

イギリスの研究者ジェームズ・ケーブル(James Cable, 1920-2001)は外交官として勤務した経験を持つ戦略の研究者であり、特に海洋戦略の分野で広く知られています。彼の『砲艦外交(Gunboat Diplomacy)』(初版1971年、3版1994年)は、海軍が外交的手段として果たすべき役割を考察した古典的な業績です。今回は、ケーブルの研究を紹介し、戦争には至らない平時、危機に際して海軍が担うべき役割を解説します。

Cable, James. 1994. Gunboat Diplomacy, 1919-1991: Political Applications of Limited Naval Force, 3rd ed. Basingstoke: Macmillan.

この著作は表題の通り、砲艦外交(gunboat diplomacy)をテーマとしています。砲艦外交は、戦争状態には至らない範囲で抑制的に海上戦力を運用し、他国の行動に対して影響力を行使することをいいます。歴史的な背景から、砲艦外交という用語には帝国主義的、攻撃的なニュアンスがありますが、著者は砲艦外交を目的で規定するべきではなく、手段と方法で把握するべきであると考えました(Cable 1994: 1)。

この見解によれば、砲艦外交は制限された海上戦力の行使または威嚇であり、国際紛争を有利にするため、つまり敵対的な国際状況において何らかの優位を確保し、あるいは損失を回避するために、戦争行為までには至らない範囲で実施される行動として規定されています(Ibid.: 14)。したがって、砲艦外交は一つの戦略行動のパターンとして捉えることが可能であり、調査研究ではそれらを特徴に応じて区別し、それぞれの戦略行動の利害を比較検討することで理解を深めること可能です。

著者は、砲艦外交を4種類に区分することを提案しました。すなわち、(1)既成事実を獲得する「決定的強制(definitive force)」、(2)他国の政策や体制を変更させる「意図的強制(purposeful force)」、(3)介入あるいは撤退が可能な艦艇を現地に展開する「触媒的強制(catalytic force)」、(4)国家としての政策を示すためだけに行われる「顕示的強制(expressive force)」です。この記事では「決定的強制」を取り上げることにします。これは既成事実(fait accompli)を作り上げようとする砲艦外交の一形態であり、歴史上の事例として1940年2月にノルウェー領海でイギリスとドイツが武力衝突を起こしたアルトマルク事件が挙げられています。

1939年に第二次世界大戦が勃発したとき、ドイツ海軍の補給船アルトマルクは大西洋で通商破壊を実施する主力艦を支援する任務を遂行していました。大西洋の戦況が変化したことを受けて別行動を命じられ、アルトマルクはイギリス商船の乗組員だった299名の捕虜を艦内に留めてドイツに戻ろうとしました。その途中で中立国のノルウェーの領海を通過しましたが、イギリスはアルトマルクでイギリス人の捕虜が移送されていると知り、ウィンストン・チャーチル海軍大臣の命令で捕虜奪回を図りました。イギリス本国艦隊の艦艇はアルトマルクを追跡し、狭いフィヨルドに追い込んだ上でアルトマルクに移乗攻撃を実施し、船内で交戦を行った末に捕虜を奪回したのです(Ibid. 15-20)。

この事例でケーブルが着目しているのは、この事件が進行している間、ノルウェー海軍がイギリス海軍とドイツ海軍の交戦に介入することを回避したということです(Ibid.: 20)。イギリス海軍は戦力の運用をノルウェーの権利を侵害しない範囲に制限することによって、ノルウェーと衝突することを慎重に回避し、イギリス人の捕虜の奪回という既成事実を作り出す上で有利な状況を創出しました(Ibid.: 20-1)。

著者は、こうした海軍の運用は冷戦期のソ連の行動の意図を理解する上でも有用であると主張しています。1979年、ソ連海軍は黒海方面に配備されていたキエフ級航空母艦の2番艦ミンスクを中心に部隊を編成し、地中海経由で大西洋に送りました。この航海ではアフリカ南西部のアンゴラ、南東部のモザンビーク、インド洋のモーリシャス、そして中東のイエメンを相次いで訪れており、ソ連の存在を内外に見せつけました(Ibid.: 135-6)。イエメンで部隊は8日にわたって留まり、水陸両用作戦の演習が行われています(Ibid.: 136)。

その後、部隊は太平洋の方向へ針路をとり、当時は外交関係が深刻なまでに悪化していた中国の目前である東シナ海で演習を実施し、ウラジオストク海軍基地に入りました(Ibid.)。この件について中国メディアは厳しくソ連を非難しました。ただ、ソ連海軍は、武力を行使することもなく、また特定の国際紛争の動向に影響を及ぼすこともなかったので、これ自体は厳密な意味で砲艦外交であったとはいえません。それでも、著者はソ連軍がグローバルに活動することができることを示すことに成功しており、その部隊の移動によって政治的な意味での利益を得たと解釈しています(Ibid.)。

アメリカのアルフレッド・セイヤー・マハン、イギリスのジュリアン・コーベットのように、戦争状態における海上部隊の運用について分析した研究とは異なり、この著作は戦略段階で軍事的手段と外交的手段が相互に影響を及ぼし合うことが巧みに示されています。戦争に至らない範囲で任務を達成すべき状況で海上戦力をどのように運用すべきかを考える際に、参考になる研究です。

見出し画像:Navy Petty Officer 1st Class Zac Shea

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