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論文紹介 戦争の分析レベル:大戦略、軍事戦略、作戦術、戦術を解説する(参考文献一覧付き)
戦争が国家の安全保障を左右する極めて重大な事態であることは今も昔も変わっていません。戦争の影響は政治、経済、社会、技術、文化など多岐にわたっており、必ずしも軍事的な領域に限定して考えるわけにはいきません。この記事では、戦争を研究する上で研究者が前提とする3種類の分析レベルについて解説している論文の内容を要約した上で紹介します。
論文の著者であるビドル(Stephen Biddle)はコロンビア大学の国際関係・公共問題教授(Professor of International and Public Affairs)であり、戦争と軍事理論の研究で数多くの業績を出しています。政治学の研究者に向けた基礎的な内容ですが、論文では軍事学の文献も参考文献にまとめられていて有益です。
Biddle, S. 2007. Strategy in War. PS: Political Science & Politics, 40(03), 461–466. DOI: https://doi.org/10.1017/S1049096507070941
分析レベルとは何か
政治学、特に国際政治学では研究対象とする事象に応じて分析レベルとして、(1)国際システムレベル、(2)国家体制レベル、(3)個人レベルと区別します。このような区分を設けておけば、例えば個別の政策決定者、個別の国家単位の挙動、そして国際社会の全体的な挙動を異なる次元で捉えることになるので、例えば国家単位の政治行動と政策決定者の政治行動を同一次元で考えるような誤解を防ぐことができます。これが分析レベルを設ける意義であり、戦争の研究でも同じような分析レベルを設定します。
著者の見解によれば、戦争の研究では(1)大戦略(grand strategy)、(2)軍事戦略(military strategy)、(3)作戦術(operational art)、(4)戦術(tactics)という4つの分析レベルが用いられます。ある国家の軍事行動を分析する場合、もし戦術の分析レベルで成功しているように見えても、その部隊行動が上位の分析レベルである作戦術の観点から見て成功しているとは限りません。同じように大戦略で優れている国家があったとしても、軍事戦略の分析レベルを適用して研究すると、極めて劣悪な成果しか出せていないことも考えられます。以下では、一つずつ分析レベルの特性について説明します。
大戦略とは
著者は、政治学者にとって最も慣れ親しんだ戦争の分析レベルとして大戦略を位置づけています。事実、大戦略は国家の安全保障上の目標を設定し、それを達成する手段を包括的に規定するものだと考えられます。大戦略で想定されているのは、必ずしも軍事的手段に限られていません。政治的、外交的、経済的手段も考慮されており、これらが国家安全保障、特に戦争に及ぼす影響について考察されます。
いくつか例を挙げて説明します。冷戦時代のアメリカの大戦略では、ソ連の封じ込めが目標として設定されていました。ソ連を封じ込めるための手段としてアメリカが駆使しようとしたのは世界規模に広がる同盟関係という外交的手段と、大規模かつ長期間の軍隊の海外駐留という軍事的手段の組み合わせでした。さらに、アメリカは軍事バランスを有利な状態で維持するために、自由貿易を通じて世界経済を拡大し、ソ連の経済圏を孤立させようとしました。ソ連の脅威に対処するために必要な国内の支持を維持するために、アメリカは国内政治においても政治的努力を払っていました。これらが一体となることで、アメリカの大戦略は機能していたのです。
どのような大戦略を採用するかは、しばしば政治的論争によって左右されます。冷戦が終結した際には、アメリカが全世界の覇権を握ることを追い求めるべきであるという立場と、同盟国と連携しながらアメリカは国際安全保障に限定的に関与すべきだという立場と、世界情勢と一切の関わりを断つ孤立主義を主張する立場との間で論戦が起こりました。2007年の時点でアメリカでの論争は、民主化、単独行動主義、そして先制攻撃の是非を焦点としています。2001年のアメリカ同時多発テロ事件が発生して以降、アメリカに対して敵対的な立場をとる国々を民主的な政治体制に移行させるように圧力をかける現状打破的な手法が主張されるようになり、これが2001年以降の中東戦略にも適用されました。ただ、一方的な軍事行動のリスクを重視する論者からは、より防衛的な目的に限定して武力を行使すべきという主張も出されています。
軍事戦略とは
軍事戦略とは、特定の戦域で大戦略により与えられた目標を達成するために、軍事的手段を使用する方法を規定するものです。冷戦時代のアメリカは、ヨーロッパとアジアでソ連の脅威に対抗するため、いくつかの軍事戦略を組み合わせて採用してきた歴史があります。
核抑止は、核兵器を使用した大量報復を実施するという意思を伝えることによって、ソ連軍に侵攻を思いとどまらせる軍事戦略でした。しかし、これとは異なる戦略もあり、例えばヨーロッパとアジアの重要な同盟国に対する侵略が発生すれば、通常兵器を装備した陸上戦力とそれを支援する航空戦力を運用し、ソ連軍の侵略を撃退することを目的とする大陸戦略が立案されていました。
核抑止と大陸戦略を採用したとしても、ソ連軍の侵攻に対抗するために軍事的必要が生じる可能性は否定できません。そこで、アメリカ軍としては核兵器を使用して戦局を挽回し、ソ連軍に奪われた領域を取り戻す核強制(nuclear compellence)も軍事戦略上の選択肢として検討していました。これらの手法を補完する海洋戦略も立案されており、これではアメリカ海軍をソ連の近海に展開し、ソ連軍の海上活動を防止するだけでなく、ソ連の同盟国や友好国を圧迫する任務を遂行することが計画されていました。
軍事戦略の分析レベルでも大戦略と同じような論争があります。冷戦期のアメリカでもさまざまな立場に分かれて論争が繰り広げられました。例えば、戦時における核戦力の使用をめぐっては、ソ連軍が侵略を開始したならば、ソ連の領土全体に対し核兵器を使用すべきだという大量報復(massive retaliation)と主張する論者がいましたが、彼らは米ソ間で核兵器の応酬が始まれば、もはや事態を制御することができなくなると批判を加えられました。大量報復に代わる軍事戦略として提案されたのが柔軟反応(flexible response)であり、これはソ連の領土全体に対して無差別に核兵器を使用することを否定し、ソ連軍の動きに応じて細かく反応を変えることを意図していました。もしソ連軍が限定的かつ小規模な侵略を加えてきたとすれば、アメリカ軍はその侵略の規模や範囲に応じて限定的な軍事措置をとるという軍事戦略です。柔軟反応とは別の相殺戦略(countervailing strategy)では、非常に厳格に攻撃目標が制限されており、ソ連の首脳部とその兵力に対してのみ攻撃を加えることが認められています。
海洋戦略の領域に目を移すと、そこでは海上戦力の運用方針をめぐって論争が起きていました。論点となっていたのは、海上交通路を保護するために、敵の艦隊を撃滅して海上優勢を獲得することに重点を置くべきなのか、それとも陸上戦力や航空戦力を支援するために海上戦力を統合的に運用することに重点を置くべきなのかということでした。大戦略とは異なり、アメリカ軍はそれぞれの軍種ごとに異なる軍事戦略を採用してきました。核戦略を別に考えるならば、基本的にアメリカ陸軍やアメリカ空軍はソ連軍の地上侵攻を想定して大陸での作戦行動を重視する立場をとっており、アメリカ海軍は海上優勢を獲得することを自らの役割として重視する傾向がありました。さらに、アメリカ海兵隊は水陸両用作戦を遂行する関係から、統合運用の意義を強調していたのです。
軍事戦略の領域では、複数の戦略構想があることは必ずしも非効率とは限りません。それぞれの軍種が大戦略上の目標を達成するために最も効率的な軍事戦略を模索しようと調査研究を重ねているため、よいアイディアが出されることも少なくありません。ただし、平時においてそれぞれの軍種が国防予算を奪い合い、戦時においては作戦行動の選択をめぐって内部対立が発生する危険があることに注意が必要です。
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