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核の脅しは戦略として有効とは言い難い『核兵器と強要外交』の紹介

核戦争が始まれば、核兵器を保有している国家がそうでない国家よりも戦略的に優位に立てることには疑問の余地がありません。少なくとも核戦力は通常戦力よりも効率的に敵国の軍事力と経済力を損失を与えることができます。

しかし、戦争状態に突入する前の危機状態に限定すれば、核保有国の戦略的な優位はさほど明白ではありません。過去の事例を踏まえるならば、武力攻撃によらずに他国に自国の要求を押し付ける強要で核保有国が非核保有国より有利であることを裏付ける証拠が貧弱なためです。

Todd S. SechserとMatthew Fuhrmannの『核兵器と強要外交(Nuclear Weapons and Coercive Diplomacy)』(2017)は危機交渉において核保有国の優位性に疑問を示した研究成果として評価を得ています。彼らは通常戦力とは異なり、核戦力には本当に使用されるのか疑われる特性が強いことを指摘しており、核戦力で優越しているとしても、それだけでは交渉で自国の立場を押し付けることは難しいと主張しています。

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核による脅しが成功した例はごくわずか

基本的に核戦略の研究では、核戦力が通常戦力と比較できないほどの圧倒的な殺傷効果、破壊効果をもたらすという前提から出発し、それだけの軍事的能力をもってすれば、交渉の過程で自分の立場をより強く主張できるはずだと考えました。

しかし、これは論理的に導き出された理論であって、実証的な妥当性は認められません。冷戦以降の危機交渉の事例を細かく調査すると、核戦力が外交交渉の成功に結び付いた事例は限定的であり、わずかな成功と見なせる事例も詳しく調べると核による脅迫が成功したとは言い切れないものばかりです。

著者らがMilitarized Compellent Threats(MCT)と名付けられたデータセットを使い、1か国以上の挑戦国が標的国に対して外交的に要求を突きつけ、それに応じなければ武力を行使すると脅した242件のケースを調べると、核戦力が交渉の結果に影響を及ぼす程度が一般的に想像されているよりも小さなものであることが分かりました。

このデータセットは核の脅しに該当するケースだけを取り出しているわけではなく、通常戦力を用いた強要のケースも数多く含まれています(詳細については共著者が過去に発表した論文で説明されています(Sechser 2011))

標的国が自発的に要求に応じたことと、挑戦者が標的国に要求を受け入れさせるために武力を行使しなかったことを強要の成功と定義し、核保有国が強要でより高い成功率を収めているかどうかを計算してみると、データセットの中で核保有国が強要に成功したと認められる事例はわずかに10件しか発見できませんでした。核保有国と非核保有国との間で強要の成功率に変化があるようには見えないのです。

交渉の過程に注目した分析を行うと、核保有国は非核保有国よりも積極的に緊張を高めるエスカレーションを実施するはずだと想定されることがあります。しかし、この想定に関しても著者らは妥当性がないことを指摘しています。交渉において強要を試みている挑戦国は、一般的に標的国に対してエスカレーションを行う傾向があり、核保有国であっても(78%)、非核保有国であっても(74%)、実質的な違いはほとんどありません。一方だけが核保有国である場合と、双方ともに核保有国である場合を比べてみても、いずれも75%と差がありませんでした。

著者らはこのような分析には限界があることも認めています。核保有国は非核保有国よりも高い水準の要求を押し付ける傾向があるのかもしれません。社会科学では、このような利用できるデータの偏りに起因するバイアスを選択効果と呼びますが、核戦略の研究では核保有国の数が全世界の国家の中で少数派であることに留意しなければなりません。強要を行う国家に対して無作為に核戦力を付与すれば、より正確なデータを手に入れることができますが、これは現実的に不可能です。

中ソ国境紛争における核戦力の影響

あらゆる研究は利用可能なデータの範囲で行うしかないので、著者らは事例研究によって自説の妥当性を調べようとしています。核戦力を保有していたことが、強要の成功に寄与したように見える事例を取り出した上で、その交渉過程で核戦力がどれほどの影響を及ぼしていたのかを調べました。

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