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同盟国が連合作戦を実施する際に守るべき原則とは何か?
日本の防衛はさまざまな面でアメリカとの同盟関係に支えられており、有事には自衛隊とアメリカ軍が連携しなければなりません。複数の国々の部隊が共通の企図を達成するために実施する作戦は連合作戦と呼ばれています。
各国の兵力を最大限に集中する連合作戦は、敵に優越する上で有利だと言えます。しかし、連合作戦に参加している国々の政治的な利害は微妙に異なり、厳密に一致しないことが少なくありません。このような状態で兵力を効率的、合理的に運用することは容易なことではなく、19世紀の軍人クラウゼヴィッツは特別な注意が必要だと考えていました。
クラウゼヴィッツが語る連合作戦の二大原則
クラウゼヴィッツは、勢力均衡の観点から見て同盟が果たす役割が大きなものであることをよく認識しており、軍事上の成果を上げるには連合作戦が欠かせないと論じていました(邦訳、ロートフェルス、233-4頁)。ただし、連合作戦を成功させるためには、二つの原則を守るべきだとも主張しています。一つは指揮を統一することで兵力の集中を図ることです。
「有用な同盟関係にもとづいて目的にかなった戦争を行うために私の知っている事は、ただ二つの手段を用いることである。その一つは、戦争のために定めた戦闘用資材人員を集積してそれを投入する、そしてその指導を一人の将帥に委任することである」(同上、237頁)
自国の軍隊に対する指揮権を他国の軍隊に渡すことは容易なことではありません。しかし、連合軍の指揮官を一人に限定できなければ、二人の指揮官が別々の意図に従って異なる方向に向かって部隊を動かす恐れがあるため、必要な時機に必要な場所で戦闘力を集中発揮できなくなります。それは敵に各個撃破の好機を与えることに繋がるため、クラウゼヴィッツは指揮系統を前もって統一することを連合作戦の原則としていました。
もう一つの原則は連合作戦に参加する部隊が前もって作戦計画を共有しておくことです。この原則についてクラウゼヴィッツは次のように論じています。
「いま一つは、それぞれの国の自然的状態および利点にもとづき、共通の戦争計画を起案し、その後のしかるべき時機にその計画に関する一層詳細な原則や実例を与えるのである」(同上、237-8頁)
作戦全般に対して言えることですが、作戦に参加する部隊の指揮官全員が作戦計画を入念に検討し、どのような構想で作戦を進めるべきかについて共通の理解を持っていなければなりません。これは計画で想定されていない事態が発生したとき、それぞれの部隊の指揮官が独断で適切な行動方針を選択しなければならないためです。
外国軍と作戦計画を共有することには情報保全の問題もあるのですが、クラウゼヴィッツは指揮系統を統一するだけでは、連合作戦の成功を期することは難しいと考えていました。
指揮の統一が不可能な場合は?
連合作戦の理想的な形態としては、指揮を統一すべきなのですが、さまざまな政治的な事情でそれが不可能な場合もあります。クラウゼヴィッツもそのことは理解しており、代替的な原則も考えていました。このような場合は、それぞれの軍隊が異なる作戦地域において行動することを原則とすべきであると彼は主張しています。
(1)二つの強国のそれぞれの重要な軍隊は、おそらくはそれぞれの独自の戦域をもつに違いない。
(2)それらの軍隊がそれぞれ独自の戦域をもつほどそれほど完全に離れて存在することができない場合、この場合はそれら軍隊をできる限り密接に相互に融合させる方が一層有利である。(同上、239頁)
ここでは注意を要する問題もあります。連合作戦を遂行する部隊の作戦地域を地理的に離れており、指揮官が異なる決心を下す場合には、一方だけが利益を得て、他方が不利益を被るリスクがあります。このことをクラウゼヴィッツは次のように説明しています。
(3)もしそれぞれの国の軍隊が独自の戦域をもつならば、それによって恐らく次の条件が生じるに違いない。(a)独自の戦域が攻勢的であるとすれば、この攻勢の目的をなす征服は攻勢を行おうとする強国の手中にある。(b)独自の戦域が防勢的であるとすれば、この防御に当たる強国の領土は不運な防御によって危険にさらされるに違いない。(同上、239頁)
これは複雑な議論なので、簡単な例を出しながら説明してみましょう。A国とB国が指揮を統一せず、遠く離れた地域で別々に作戦を行っているとします。A国とB国はそれぞれの担当する作戦地域で攻勢をとるべきか、防勢に回るべきかを別々の指揮官が同じ戦略的構想を持っていたとしても、A国だけが攻勢をとり、Bが防勢に回ることが起こり得ます。
こうなると、AB両国と対立するC国が軍隊を動員し、B国に向けて主力を差し向け、B国はそれに対して防勢作戦を行い、A国だけがC国に対して攻勢作戦を行うことになります。すると、B国だけはA国の侵攻を受けて領土に損害を出しますが、A国はC国の領土へ侵攻して首都を占領するなど、その戦果を独占できる事態になります。これが(3)にある「不運な防御によって危険にさらされるに違いない」とクラウゼヴィッツが述べている状況です。
このような場合にB国の軍隊の指揮官がA国の軍隊の指揮官に対してどれほど信頼を維持できるかが重大な問題となってきます。B国がC国を絶対的に敵視し、A国に全幅の信頼を置いているのであれば、A国だけが戦果を独占することを政治的に許容するかもしれません。
しかし、そうでなければB国はA国を裏切り、あるいはC国に何らかの譲歩を行って一時的に停戦することに利点を見出す可能性があります。戦時下でこのような裏切りが起こると、連合作戦の効率は大幅に低下してしまい、両国とも不利益を被ることも考えられます。これは現代の国際政治学において同盟のジレンマと呼ばれている問題です。
まとめ
軍事学では、作戦、戦術の次元において、敵と味方をはっきりと区別できる状況を想定する傾向にあります。しかし、戦略の次元では敵と味方の区別が曖昧であることをクラウゼヴィッツはよく認識していました。彼が連合作戦では指揮の統一と計画の共有が重要だと主張したのは、そのようなリスクを認識していたことから説明ができます。
現在、日本はアメリカと同盟関係にありますが、有事においてもアメリカ軍と自衛隊の指揮関係は一元化されません。これは日本の防衛戦略が専守防衛を基礎としており、アメリカと戦略的役割が明確に分担されていないためです。北大西洋条約機構のように指揮系統を一元化するメカニズムを整備することも理論的には考えられますが、現状で自衛隊が持つ攻撃能力は非常に限定的であるため、アメリカ軍の攻撃能力を最大限に発揮できるように役割を分担しておいた方が効率がよいとも言えるでしょう。ただし、そのような場合でも、クラウゼヴィッツが述べたように共通の作戦計画を準備し、綿密に調整を行い、有事の際に同一の構想の下で作戦を実施できなければなりません。
見出し画像:U.S. Department of Defense
参考文献
Rothfels, Hans. 1980(1920). Carl von Clausewitz, Politik und Krieg: Eine ideengeschichtliche Studie. Dümmlers Verlag.(邦訳、ハンス・ロートフェルス『クラウゼヴィッツ論、政治と戦争:思想史的研究』新庄宗雅訳、鹿島出版会、昭和57年)
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