
なぜクラウゼヴィッツの軍事理論が戦争計画の基本なのか? 英国の戦略思想家コーベットによる解説
19世紀のプロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの軍事理論によれば、あらゆる戦争は政治的交渉の継続として遂行されるものであるので、戦争計画を立案する場合、まず達成すべき政治上の目標が何か、なぜそれが武力に訴えるほど重要であるかをよく確認しておかなければなりません。
イギリスで活躍した軍事学者ジュリアン・コーベット(1854~1923)は、このクラウゼヴィッツの業績をいち早く評価した一人であり、主著である『海洋戦略の諸原則』(1912)では、クラウゼヴィッツの軍事理論が戦争計画において重要であることが詳しく解説されています。
この記事では、コーベットが戦争計画においてクラウゼヴィッツの軍事理論の意義をどのように解説していたのかを紹介しようと思います。あらゆる手段を講じる無制限戦争だけを想定するのではなく、制限戦争を遂行することも考慮しなければならないことがお分かりいただけると思います。
政治が戦争計画を立案するための出発点となる
もし特定国との戦争計画を立案するように政府から命じられたならば、最初に知らなければならないのは、戦争の目的です。コーベットは次のように述べています。
「海軍や陸軍の参謀がある国に対する戦争計画を準備し、それにはどういった手段が必要になるか助言するよう求められた通常の事例を例として挙げよう。そのような問題を考慮したことがある人にとっては、その返答は別の質問でなければならないということは明白だ――それは何を巡る戦争なのか?」(邦訳、71頁)
もしこの問いに対して明確な答えが得られなければ、戦争計画の立案はほとんど不可能です。敵国から何かを奪い取りたいのか、それとも我が国が敵国から何かを奪われることを防ぎたいのかが分からないようでは、その戦争で兵力を攻勢に用いるべきなのか、防勢に用いるべきかさえ決められないためです。
もちろん、国土地理上の位置関係や陸上戦力、海上戦力の相対的な優劣を軍事的な観点から考慮することも戦争計画では重要です。しかし、使用する兵力の規模に関しても、戦争の目的にどれほどの重要性があるかによって変化します。
もし敵国がどれほど激しく抵抗したとしても屈服させなければならないほど戦争の目的が重要であるならば、その国家の保有兵力のほとんどすべてを投じることも覚悟しなければなりませんが、それほどの犠牲を払う価値があるわけではないなら、より限定的な兵力で作戦を遂行しなければなりません。
戦争計画で戦争の目的と手段を均衡させる
戦争計画に対するコーベットの見解は、クラウゼヴィッツの軍事理論における制限戦争と無制限戦争の区別に依拠しています。コーベットは次のようにクラウゼヴィッツの理論を紹介しています。
「彼は、政治目標が交戦国双方にとって非常に重要であるが故に、それを確保するために両国の耐久力の最大限まで戦う傾向がある種類の戦争があることを理解していた。しかし、目標がそれほど重要ではない、つまり交戦国の一つか両方にとって血と富を無限に犠牲にするほどはその価値が大きくない、別の種類の戦争もあった」(103頁)
コーベットは「この区別を非常に明確に把握することが絶対に必要である」と述べるほど、この区別を重視していました。というのも、制限戦争であったとしても、その戦争で達成すべき政治的目標の重要性をはるかに上回る規模の犠牲を払う場合があるためです。制限戦争でありながら、無制限に兵力を使用することは戦略的に不合理ですが、そのような戦争計画を立案することは可能なのです。
ここでコーベットは、日露戦争(1904~1905)の事例を挙げています。限定的な政治目標を達成するために遂行された戦争であり、交戦国であるロシアと日本は自国領土を構成しない特定領域に対する権利を主張するために武力を行使していることから、それが本質的には両国にとって制限戦争だったと評価を下すことができます(104頁)。しかし、その目標を達成するために、交戦国はその目標の価値を上回る大きな犠牲を払ったとコーベットは述べています。
このような事態に陥る要因として、コーベットは戦争の本質にそぐわない戦争計画を適用するリスクを指摘しています。19世紀にフランス軍を指揮したナポレオン一世や、プロイセン軍を指導したヘルムート・フォン・モルトケは、いずれも巧みな戦略的包囲によって敵に決戦を挑み、目覚ましい戦果を上げたことが知られています。軍事学の研究でも優れた戦略家の例として両人は評価されています。しかし、彼らの戦争計画を一般的に適用できるモデルのように見なすことは、戦争が政治の道具であることを無視しているとコーベットは批判しています。
「参謀長が戦争計画を立案するよう求められたとき、彼はナポレオンやモルトケの方法がこうだったから斯く斯く然々の方法で戦争をすると言ってはならない。彼は戦争の政治的目標は何なのか、政治情勢はどうなっているのか、そして係争中の問題が私たちと敵にとってそれぞれどれほどの意味があるのかと尋ねるだろう。戦争の本質を確定するのはこれらの考察である」(同上、83頁)
もしナポレオンやモルトケと同じような戦争計画を採用するとすれば、それは彼らが遂行した戦争と同じ性質を持った戦争を遂行しなければならないことが確認できた後のことだともコーベットは述べています(同上)。さもなければ、戦争計画は政治情勢に適合しないものになり、「抽象的な理論の犠牲となる」だろうと述べています(同上、84頁)。
まとめ
コーベットの著作は出版された当時、多くの評者から批判を受けました。当時の学界では、アメリカのアルフレッド・セイヤー・マハンが出版した『海軍戦略(Naval Strategy Composed and Contrasted with Principles and Practice of Military Operations on Land)』(1911)が高い評価を受けており、そこでは無制限戦争が想定され、海上戦の勝敗は艦隊決戦で決まるはずだと主張されていました。クラウゼヴィッツが述べていた戦争目的の重要性、さらに無制限戦争と制限戦争を区別する必要性はまだ十分に理解されてはいなかったと言えるでしょう。
今日の研究者は、コーベットが戦争が政治情勢によって多様に変化する性質があり、政治的観点から戦争計画を立案する必要があることを認識できていたことを高く評価しています。コーベットがこれほど早い時期からクラウゼヴィッツの軍事理論の重要性を理解していたことは、注目に値することです。戦争計画において軍事的要求を政治的要求に優先させることは大きな過ちであり、コーベットが述べるように目的と手段の関係を適切に調整することが求められるのです。
関連記事
いいなと思ったら応援しよう!
