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これさえ読んでおけば、明日から独裁者としてやっていけるかもしれない『独裁者のためのハンドブック』の書評

独裁者になる予定がなくても、政治家としての心得に興味がある方なら一読の価値があります。著者のブルース・ブエノ・デ・メスキータアラスター・スミスはいずれも有名な政治学者であり、国際政治学から比較政治学にかけて幅広い分野に寄与する研究業績を残しています。

彼らが『独裁者のためのハンドブック(The Dictator's Handbook)』は研究者をターゲットにした本ではなく、あくまでも一般向けに書かれていますが、その内容はどれもジャーナルに掲載された研究論文に依拠しています。一見すると手軽な読み物に見えますが、しっかりした研究成果によって裏付けられています。

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この著作の最も重要な部分は、第1章で述べられている「独裁者のための5つのルール」です。著者らは独裁者にとっての政治的成功は、自分の政権を可能な限り長期にわたって維持することであるという前提に立っています。この目的を達成するために守らなければならないルールは5個にまとめることができます。

ルール1 盟友集団は、できるだけ小さくせよ
ルール2 名目上の集団は、できるだけ大きくせよ
ルール3 歳入をコントロールせよ
ルール4 盟友には、忠誠を保つに足る分だけ見返りを求めよ
ルール5 庶民の暮らしを良くするために、盟友の分け前をピンハネするな

盟友集団とは、指導者が政権を維持する上で欠かすことができない中核的な有権者集団のことです。名目上の集団は指導者を選ぶ権限を持っているものの、必ずしも政権の維持にとって支持を得ることが不可欠ではない有権者集団を意味します。独裁者として成功するためには、制度や手続きを変更し、より少数の有権者だけでも政権が維持できるようにした方が有利である、ということが言えます。

ルール3で歳入をコントロールしなければならないと述べられていますが、その理由はルール4で明らかにされています。つまり、盟友集団を構成する有権者を味方とするためには、支持の見返りが必要となるためです。このルールを徹底するためには、独裁者は政府予算を名目上の集団に再配分せず、盟友集団に優先的に配分することが重要なのです

そのことがルール5に反映されています。これらのルールをすべて守ることができれば、独裁者として長期政権を実現しやしやう、というのが著者らの基本的な主張です。全ルールの中で特に重要なのはルール1であり、権力を自分の手元に集中するほど、その政治家はより少ない盟友集団で政権を維持できるようになることは政治の鉄則であると言えます。

実は著者らは独裁制だけでなく、民主主義においても、ここに述べた5つのルールに従って政治家は行動した方が政権維持にとって合理的であるとも論じています。確かに、民主主義の政治家は独裁者よりも大きな規模の盟友集団をコントロールしなければ、政権を維持することができなくなります。しかし、民主主義においても盟友集団を名目上の集団よりも優遇した方が政治的に有利であるということは変わりありません。その行動の違いは政治家を取り巻く環境の違い、政治システムの違いによるものであって、彼らの行動の原理となっているものは共通していると著者らは考えています。

ここでは戦争の例を挙げて考えてみましょう。著者らは独裁者と民主的指導者は、いずれも同じ目的を達成するために戦争を遂行すると論じています。その目的とは、少しでも長く権力の座にとどまることです。しかし、彼らは異なる政治システムの下で政権を維持する必要があるため、その戦争指導の方法は大きく変化してきます。

民主的指導者は、あらゆる外交的努力が頓挫した場合にのみ戦う傾向がありますが、独裁者は領土や資源を獲得するためであれば、簡単に武力を行使します。民主的指導者の政権はもともとコントロールしにくい大きな盟友集団に依拠しており、何か失態を犯せば、それが政権にとって打撃となりかねません。しかし、独裁者は政権に歯向かう人間を抑圧するための手段が豊富にあり、ごく一部の人々の裏切りにさえ注意しておけば、それで政権の維持は可能です。軍事行動が失敗するリスクを見積もる際には、政治システムの違いが決定的な意味を持っているのです。

「どのような指導者も軍を動かすことができる。しかし、民主国家の指導者は部隊を進軍させることに責任を負い、兵士を無謀な戦いに投入しない。仮にもそうしなければならないときには、兵士を護るために充分な手立てを講じる。兵士の命の価値は、大きな支持者集団に依拠する体制と小さな盟友集団に依拠する体制とでは雲泥の差がある」(邦訳、312頁)

この議論を裏付ける計算として提示されているのは、1967年6月5日に勃発した第三次中東戦争の事例です。この戦争は六日戦争とも呼ばれており、イスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンの軍隊から構成されるアラブ連合軍に対して決定的勝利を収めました。開戦の直前の時点で、イスラエル軍の兵力が総動員した場合の兵力の17%に相当する7万5000名、これに対してアラブ諸国の連合軍の兵力は36万名でした。単純に数値で比較すれば、イスラエル軍はアラブ連合軍に対して著しく劣勢だったのです。

しかし、交戦国の兵力だけでなく、国防予算の配分を調べると、民主的な選挙に基づいて政権が樹立されているイスラエルの軍隊は、兵士1名に対する国防予算の支出は、独裁的な政治システムを持つアラブ連合軍のどの軍隊を圧倒的に上回っていました。これはイスラエル軍が部隊に配備する装備品の質においてアラブ連合軍よりも優位であったことを示唆しています。特にこの戦争ではイスラエル空軍が作戦を開始すると同時に、アラブ連合軍の航空戦力を一挙に撃滅しており、そのことが迅速な和平交渉を可能になりました。

民主的指導者にとって国防は国民全体の利益に繋がる公共財であり、それを損なえば政治的な危機に繋がります。しかし、独裁的指導者はそもそも国民全体の利益を気にする必要はなく、あくまでも一部の盟友集団の利益を優先すれば、それで事足ります。このような政治システムの違いが、国防予算の配分の仕方に影響を及ぼしていると著者らは説明しています。

独裁者にとって軍隊は国防という公共サービスの担い手ではなく、自分が独占する政権を保護するための手段です。そのため、独裁者は軍隊を戦争で消耗させるわけにはいきません。内乱が発生した際に敵を徹底的に敵を殲滅することが独裁者の軍隊の主な役割です。

ここで紹介した議論は本書の一部に過ぎませんが、彼らの理論をいったん理解すれば、政治に対する理解を深めることに繋がると思います。もちろん、独裁者のためのハンドブックではありますが、独裁者だけでなく、政治家として行動する際に考慮すべきことを理論的に説明したものとして読むことができます。戦争、財政、反乱、外交など、さまざまな場面で国がどのように行動しているのかを説明し、また予測する上で本書が役に立つと思いました。

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武内和人|戦争から人と社会を考える
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