見出し画像

論文紹介 中国の専門家が想定する軍事的脅威の調査報告

中国はこの10年の間に大幅な軍備拡張を進めてきましたが、その意図は必ずしも明らかではありません。このような意図の分析を行うためには、中国の立場に立って安全保障環境を理解することが重要ですが、そのために利用できる研究成果は十分ではなかったのです。

Michael Pillsburyの論文「16の恐怖:中国の戦略心理学」(2012)は中国における軍事専門家の見解を調査した研究であり、中国がどのような脅威を想定しているのかを理解する上で興味深い成果が出ています。

Michael Pillsbury. 2012. The Sixteen Fears: China's Strategic Psychology, Survival, Vol. 54, No. 5, pp. 149-182. https://doi.org/10.1080/00396338.2012.728351

冷戦時代のアメリカはソ連の意図を探るために詳細な研究を行っていましたが、冷戦後のアメリカは中国の意図を探るための分析を怠ってきました。そのため、意図の分析で参考になる研究資料はまだまだ不十分であると著者は問題提起しています(Pillsbury 2012: 149)。この問題を解決するため、著者は中国人の軍事専門家が自国の国防上の課題をどのように分析し、どのようなシナリオを想定しているのかを調べてみました。その結果、中国が近い将来に直面すると考えている脅威を16のパターンに整理できることが分かりました。

1島嶼封鎖
2海洋資源の喪失
3海上交通路の断絶
4陸上侵攻と国土分割
5機甲攻撃または空挺攻撃
6国内の不安定化、暴動、内戦、テロリズム
7パイプラインに対する攻撃
8航空母艦による攻撃
9大規模な空爆
10台湾の独立
11独立を図る台湾に対する不十分な戦力
12戦略ミサイル部隊に対する特殊作戦、妨害、または精密誘導兵器を用いた打撃
13エスカレーションと事態収拾の不能
14サイバー攻撃
15人工衛星能力に対する攻撃
16近隣諸国であるインド、日本、ベトナム、ロシアの存在

米中関係を考える上で興味深いのは、中国が海上交通に対する軍事的脅威を真剣に懸念していることです。もし中国が日本からフィリピンを中国の勢力圏に組み込めなければ、中国船舶が利用できる航路帯は東シナ海、南シナ海、黄海の近海に閉鎖されてしまう可能性があると指摘されています。

この懸念について著者は「中国人の軍事専門家は頻繁に島嶼封鎖線を突破する作戦行動の訓練や演習が必要であると議論している」と述べており、中国が海上封鎖を受けることを想定した上で戦略の研究を行っていると述べています(Ibid. 152)。ちなみに、日本の自衛隊が敵潜水艦を対象にした対潜戦において高い能力を持っていることにも注意が払われていることも著者は指摘しています(Ibid.)。

中国が海上交通に対する脅威を懸念している背景には、中国がエネルギー資源のほとんどをマラッカ海峡、南シナ海を通過する航路で輸送しているという事情もあります。このため、中国の専門家の間では中国が海上封鎖に非常に脆弱であることが問題意識として共有されているようです(Ibid.: 153-4)。

海上からの脅威に加えて、中国は陸上国境に対する脅威にも対処しなければなりません。こちらの方面ではロシアを念頭にした議論になりますが、中国では機甲部隊や空挺部隊を組み合わせた縦深攻撃を受ける事態を懸念しているようです。国境が長いため、このような武力攻撃を受けた場合に前方防衛では対処しきれません。国土の広さは治安維持の問題としても認識されており、人質救出、銀行強盗、官庁襲撃、生物化学攻撃などを想定した対テロ訓練を重視すべきという論調も中国の専門家の間ではあるようです。

以上の分析も興味深いのですが、この研究で注目すべきは、やはり中国がアメリカとの戦争を準備していることを指摘している箇所でしょう。

著者が調べたところ、中国ではアメリカ軍の空母打撃部隊に対抗するための装備の開発に集中的な予算配分をすべきであるという議論があることが確認されています(Ibid.: 155)。実際に中国軍がアメリカ軍の空母打撃部隊の戦闘力に対抗できるのか技術的可能性に関しては研究者の間で議論が分かれるところだと思いますが、中国では航空戦力の充実によって対抗を図ろうとしているようです(Ibid.)。ただし、航空戦力の内容に関しては攻撃能力よりも、国土防空に寄与する防御能力が重視されていると著者は述べています(Ibid.: 156)。

中国の軍事専門家はアメリカとの戦争に計り知れないリスクがあることはよく認識しています。そのため、戦争状態に入る前の段階で危機管理を徹底することも課題とされています(Ibid.: 158)。著者の分析では、中国は必ずしも攻撃的な意図を持っているわけではなく、アメリカとしてもやみくもに中国の国益を侵害することを避けた方がよいのではないかと結論づけています。

この論文は中国の軍事専門家の見解を調査したものであるため、中国共産党の中央委員会や中央軍事委員会の考え方を調査したものではない点に注意が必要でしょう。また、2012年から2013年にかけて中国では習近平が最高指導者の地位に就いており、それ以降の中国の政治情勢は大きく変化しています。2016年に台湾で蔡英文が総統に就任したことも中国の情勢認識を変化させた可能性が高いので、今の中国が攻撃的意図を持っていないとは言い切れなくなっていると思います。

このような限界はありますが、この研究成果は中国が国防において直面している地理上の弱点を知る上で意義ある資料だと思います。特にエネルギー資源の輸送に欠かせない海上交通の脆弱性は戦時に大きな問題となると思われます。

関連記事


いいなと思ったら応援しよう!

武内和人
調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。