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現代の戦略学の入門書として書かれた『軍事戦略入門』の文献紹介
軍事学の中で戦略学は特に人気がある分野です。戦術学や兵站学に比べて、教科書や参考書が供給されるペースが速く、その内容も洗練されています。軍事学の中で研究者の数が最も多い分野だろうと思います。
しかし、それだけに戦略学の入門書を書くことは簡単なことではありません。入門書を必要としている読者は、予備知識を持たないので、著者は膨大な研究成果をどのようにコンパクトにまとめるべきか、どの要素を切り落とし、何をコンテンツとして残すべきかをバランスよく判断しなければなりません。
米陸軍大学教授のアントゥリオ・エチェヴァリアは、この難しい仕事を『軍事戦略入門(Military Strategy)』(2017、邦訳2019)でやり通しました。ここでは、この著作の内容を簡単に紹介した上で、その意義と限界について解説します。
アントゥリオ・エチェヴァリア『軍事戦略入門』前田祐司訳、創元社、2019年
1 軍事戦略とは何か?
2 殲滅と攪乱
3 消耗と疲弊
4 抑止と強制
5 テロとテロリズム
6 斬首と標的殺害
7 サイバー・パワーと軍事戦略
8 軍事戦略の成否を分けるものとは?
軍事戦略とは何か?
この著作のタイトルでもある軍事戦略(military strategy)という用語に込められた意味から解説してみたいと思います。
戦略(strategy)の研究者は、戦略と軍事戦略を意識して使い分けます。戦略とは広い意味では政治的な目的を達成するために、軍事的手段だけではなく、非軍事的手段をも活用する構想、方策、あるいは計画のことを全般的に指しています。
このタイプの戦略はより厳密な用語で大戦略(grand strategy)と呼ばれており、軍事戦略の上位に位置づけられています。軍事戦略は政治的な目的を達成するため、軍事的手段だけを運用することを想定した戦略に限定されています。著者もこの前提に基づいて議論を行っています。
大戦略と軍事戦略の関係は非常に複雑ですが、著者はそれを巧みに要約し、次のように解説しています。
「大戦略家も、軍事戦略家も、我方の目標の性質が攻撃的であるか防御的であるかにかかわらず、敵対勢力を出し抜こうとする点は同じである。大戦略家は通常、同盟や連合を組むことによってこれを行う。(中略)軍指揮官は、そのような協力関係や合意によってもたらされる物質的、精神的優位を利用し、具体的な軍事戦略を組み立てる」(14頁)
大戦略と軍事戦略の領域をこのように明確化することは読者にとって理解の助けになりますが、軍指揮官が運用する軍事力の種類に関しては議論の余地があるところです。現代戦争でも歩兵、戦車、砲兵などの兵力を運用することは、間違いなく軍事戦略の問題ですが、テロリストの無差別攻撃や他国の首脳部に対する金融制裁は軍事戦略の問題なのか、議論が分かれる論点です。
この問題に関して著者は「軍事力とは何か」と題した節の中で詳しく論じています。そこで著者は「所与の状況下で特定の戦闘任務を遂行する能力」として軍事力を定義しており(同上、19頁)、その形態別の分類としてランドパワー、シーパワー、エアパワー、インフォメーションパワー、サイバーパワーを挙げています。他の軍事学の文献でも、陸海空軍の能力に対応するランドパワー、シーパワー、エアパワーについてはよく使われていますが、インフォメーションパワー、サイバーパワーは新しい軍事力の形態であるため、それを運用するための軍事戦略の研究もまだ始まったばかりです。
著者はインフォメーションパワーは心理戦の能力であり、最近の文献では戦略的コミュニケーションの能力という用語で置き換えられるようになっていると述べています。サイバーパワーはサイバー空間で安全を確保し、情報の流れを促進し、あるいは阻害する能力として認識されています。サイバー空間とは、突き詰めれば現代のコンピュータ・ネットワークで提供されるウェブの体系をいいます。これらの能力の運用を軍事戦略として捉える著者の立場に対しては批判的な研究者もいるでしょう。
実践としての軍事戦略を類型化する
この著作の最大の特徴は、軍事戦略を「実務上の営み(practice)」として捉えていることではないかと思います。つまり、「科学の客観的知識」と「より技巧的な主観的知識」を組み合わせたものとして戦略を捉えているのです。ここからは理論研究に偏った戦略学のあり方に対して著者が批判的な態度をとっていることが読み取れます。
著者は陸海空各軍種に対応した戦略理論で自身の著作を埋め尽くすことは極力避けました。その代わりとして、「軍事力によってできること、できないことを理解していること、数種類の基本的な軍事戦略を理解していること、そして目標達成のためにそれら戦略をいかに組み合わせて作戦や戦役を練り上げることができるかを理解していること」を重視すべきであるという考えを述べています(同上、18頁)。
それでは具体的な構成ですが、著者は多種多様な軍事戦略の形態を類型を使って次のように整理し、それに対応した章立てを採用しています。
・殲滅戦略/攪乱戦略:これらはいずれも最小限の犠牲で勝利を収めることを目指す軍事戦略ですが、一回の戦闘で敵の戦闘力を破壊しようとするのが殲滅戦略であり、機動や奇襲によって敵の戦意を挫こうとするのが攪乱戦略です。
・消耗戦略/疲弊戦略:これらは殲滅戦略と攪乱戦略と対極にある軍事戦略です。消耗戦略は敵の戦闘力を物理的に低下させる軍事戦略であり、疲弊戦略は敵の戦闘力を心理的な要因によって低下させる軍事戦略です。
・強制戦略/抑止戦略:強制戦略は敵に何かをさせるように強いる軍事戦略であり、抑止は何かをすることを思いとどまらせる軍事戦略です。いずれも実際に戦闘を挑むものではないという特徴があります。
・テロ戦略/テロリズム戦略:どちらも似た用語ですが、著者は微妙に違う意味で用いています。テロ戦略は敵の国民が和平に応じるように中心地を空爆する軍事戦略です。これに対してテロリズム戦略は、非戦闘員に選択的、あるいは無差別的に攻撃を加えて恐怖を抱かせる軍事戦略です。
・斬首戦略/標的殺害戦略:攪乱戦略/消耗戦略から派生した軍事戦略であり、斬首は敵の組織の指導部を武力で排除するような攻撃を加えて、組織を崩壊させようとする軍事戦略です。標的殺害戦略は、特定の構成員だけを武力で排除することで、組織を体系的に抹殺する軍事戦略です。
これらに加えて著者はサイバーパワーが軍事戦略に与える影響を考察しています。さまざまな戦略のレパートリーを示した上で、著者は第8章で「軍事戦略の成否を分けるものとは?」という問いに答えようとしています。
ここで著者は軍事戦略を成功させる要因として、(1)敵の強みと弱み、我の強みと弱みの関係を明らかにすること、(2)先に明らかにした彼我の優劣を踏まえ、我が方の目標を達成できる程度まで敵を弱体化させるような行動方針を採用すること、(3)望ましい戦略を立案し、実施するために必要な知識と能力を備えた人材を軍指揮官にすること、(4)包括的で一貫性がある戦争計画を準備することを挙げています。
もちろん、これらの要因がすべてあったとしても、あらゆる軍事戦略は不測の事態によって失敗する恐れがあります。これは戦争では避けがたい不確実さによるものであって、絶対に成功が保証された戦略というものは存在しないのです。
まとめ
20世紀のドイツの研究者ハンス・デルブリュックはかつて歴史上の戦略の発達を研究するために、殲滅戦略と消耗戦略という二つの類型を導入することを提案したことがあります。この著作では著者はより多くの類型を使いましたが、基本的にデルブリュックの類型論に沿った議論を展開しているように思えます。
著者は軍事戦略においては絶対に遵守すべき原則や理論的なモデルがあるわけではないという立場をとっています。そして、さまざまな軍事戦略のパターンが考えられると想定し、それらが時代や地域の特性に応じて使い分けられ、あるいは組み合わせられて効果を発揮することを読者に説明しています。各章で紹介された歴史上の事例を通じて読者はそれぞれの戦略がどのように効果を発揮するのか、そのメカニズムを理解することができるでしょう。
本書には課題もあります。著者はそれぞれの軍事戦略の効果にどのような優劣があるのかについてはあまり詳しく語っていません。例えば、殲滅戦略/攪乱戦略は、消耗戦略/疲弊戦略よりも軍事戦略の下位にあたる作戦のレベルでより大きな成果を出しやすいことが指摘されています。
抑止戦略を採用する国があったとしても、他の国が攪乱戦略を採用する場合、抑止は困難になると考えられています。このような敵と味方が採用する戦略の組み合わせによって、どのような相互作用が起こり得るのかを著者は示し切れていないように思います。
それでも、本書は戦略学を学び始めた方にとって力強い味方になる一冊だろうと思います。現代の戦略学の動向にも触れられているために、これからの研究動向を展望する上でも役立つものになっていると思いました。
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