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なぜ一部の交戦国は絶望的な戦況でも戦争を続けるのか? 『戦争と懲罰』の紹介

戦略の原則として、戦争は可能な限り早期に終わらせる方が有利です。戦争を遂行するための支出は平時の国防予算を上回ることが普通であり、また戦争の推移についても不確実さがあるためです。

しかし、戦争の歴史を振り返れば、戦争が当初の予想を超えて長期化することは珍しくありません。これは軍事的な観点で説明できる事象ではなく、政治的な観点で説明する必要があります。

Hein Goemansは『戦争と懲罰:戦争終結の原因と第一次世界大戦(War and Punishment; The Causes of War Termination and the First World War)』(2000)で指導者が政権の存続期間を最大化する動機を持っている場合、国内の政治体制が民主制か、独裁制か、あるいは両者の性質を組み合わせた混合制であるかによって、戦争を終わらせるタイミングが大きく異なっていることを説明しました。

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そもそも、戦争が終結するための必要条件として、敵対関係にある交戦国が受け入れ可能な和平の条件が一致しなければなりません。和平の条件で立場の隔たりがあるならば、双方が合意に到達することはできないため、交戦国は戦争を継続するでしょう。

もし自国が戦力で劣勢になり、戦意も軟化しているならば、戦争を継続することを避ける方が合理的なので、外交的に譲歩する方が有利ですが、敵国にどれほどの戦力が残っているのか、どれほど戦意を強く保持しているのかに関する情報は戦時下において厳重に秘匿されているため、外交的な観点で譲歩が最善の策であるか確信を持つことは困難です(この議論は戦争の交渉モデルを踏まえています。合理的な国家が戦争を選ぶ3条件を説明したフィアロンの交渉モデルを参照)。

しかし、終戦の問題は情報の不完全さだけで終わりません。交戦国の指導者は国内政治で不利な立場に立たされないようにしながら外交交渉を進めようとすると考えられるためです。Goemansの狙いは、この国内政治が和平交渉に及ぼす影響を説明することにあります。

まず、彼の説明によれば、民主制の国家の指導者は大幅な譲歩を強いられたとしても、勝ち目がなければ戦争を終わらせるために和平に応じることができます。これは退陣を余儀なくされたとしても、それ以上の責任を追及されることがなく、少なくとも追放されることや、殺害されることを恐れなくてもすむためです。また、反対に独裁制の国家の指導者も戦争を終わらせるために自国にとって不利な譲歩を受け入れることができると考えられます。これは指導者の権限を行使すれば、国内の不平不満を実力によって抑え込むことができるためです。

したがって、読者が注意を払うべきは混合制の指導者です。Goemansの説においては、これは指導者が国内で湧き上がる不平不満を完全に抑え込めるほど強大な権力を行使できないため、もし政権を失った場合には指導者が国外への追放、投獄、殺害を覚悟しなければならないためだとされています。つまり、中途半端に強権的な指導者が統治する混合制の国家は、完全な民主制や完全な独裁制の国家よりも長期戦を遂行する可能性が高いというのがGoemansの主張となっています。

この理論を裏付けるため、彼はデータに基づく定量的分析と、第一次世界大戦の歴史に基づく定性的分析を組み合わせることで多角的に根拠を示しています。ここでは定性的分析の結果を紹介します。

1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦では、主要な交戦国であったイギリス、フランス、ドイツ、ロシアの戦争目的が何度か変化しています。そこで確認できるのは、単に国内政治の制約から和平交渉が困難になるだけではなく(このような知見はこの著作が出る以前から存在していました)、戦闘を通じて自国の戦力が低下すると、かえって戦争目的を拡大させようとすることが指摘されていることです。

通常の戦争の交渉モデルでは、自国の戦力が低下するにつれて、自国が将来の戦闘で勝てる確率は低下していくため、戦争を早期に終わらせるため、達成すべき目的を縮小し、相手に対する要求を弱める方が合理的なはずです。ところが、Goemansは逆のことが起きていたと述べており、特にドイツは戦後も体制を存続させるため、戦局を一変させる決定的勝利を収めた後で和平を結ぶ必要があると判断し、無理な軍事作戦を遂行しようとしたという解釈を打ち出しました。

自国の軍事的な不利が拡大する中で、このような軍事作戦を遂行すれば、国民に多大なコストを強いることになりますが、独裁制と混合制の指導者は、民主制の指導者とは異なり、多数の国民の支持に頼らずにすみます。第一次世界大戦の末期にあたる1918年にドイツが戦局を好転させる最後の賭けとして実施した西部戦線における大攻勢(ミヒャエル作戦)も、このような国内政治の都合から説明することができます(ミヒャエル作戦では、敵の防御線を縦深にわたって突破する特徴があったことに関しては、Biddleが高く評価しています。詳細はなぜ戦闘力を正面戦闘力と縦深戦闘力の二つに分けて運用すべきなのか?を参照)。

Goemansの理論は指導者が政権の存続という利益を最大化する合理性を持つことを前提としたゲーム理論の枠組みに依拠しており、戦争の終結を予測する際に参考になるモデルが展開されています。ただし、実証的な面で問題がまったくないわけではありません。

例えば、Goemansは、1917年から1918年にかけてドイツ政府が戦後に体制を存続させるために、極めて成功の見込が乏しい戦争をあえて継続させる戦略を選んだと解釈していますが、これには疑問が残ります。この時期のイギリスとフランスの外交史を調査すれば、両国政府とも依然としてドイツを強く敵視し、中途半端な条件で和平に応じる可能性はなかったことが分かるためです。

また、民主制の指導者は、戦争終結が容易であるというGoemansの見方も議論の余地があります。もし自国民の多大な犠牲を目の前にすれば、民主制の指導者としては、その犠牲に見合った結果を出さなければならないと考えるのではないかと思います。イギリスとフランスも戦争目的を拡大させていたので、ドイツは和平の糸口を掴むことが難しくなったために、戦局を打開する作戦を実行せざるを得なくなったという解釈の方が、より妥当性が高いのではないかと思います。

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武内和人|戦争から人と社会を考える
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