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戦争を学ぶ

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戦争を学びたい人のためのマガジンです。軍事学のテーマを中心に、戦略、戦術、兵站、戦史などに関する記事を収録します。
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#論文紹介

論文紹介 なぜルトワックは冷戦期に西側の軍事ドクトリンを批判したのか

研究者のエドワード・ルトワックは、1981年に戦略と戦術の中間に位置する分析レベルとして作戦…

武内和人
3週間前
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論文紹介 兵士の結束を強化するため、軍隊はいかに訓練を活用するのか?

軍隊は戦闘状況で兵士が協働し、部隊として任務を遂行できるようにするため、さまざまな社会的…

武内和人
1か月前
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論文紹介 ネットワーク分析で国際テロ組織の構造を分析すると何が分かるか?

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件以降、多くの研究者が国際テロ組織の調査研…

武内和人
1か月前
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論文紹介 冷戦期に選択的な核打撃の可能性を検討した戦略理論家の考察

コリン・グレイ(Colin Gray)とキース・ペイン(Keith Payne)は1979年にソ連がアフガニスタ…

武内和人
3か月前
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論文紹介 コンピューターがサイバー戦争のすべてではない

サイバー戦(cyber warfare)という概念は安全保障の分野ですっかり定着しましたが、その意味…

武内和人
3か月前
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論文紹介 指揮統制システムが第三次中東戦争でのイスラエル軍の優位を支えた

1967年に勃発した第三次中東戦争はイスラエルが数的に劣勢であるにもかかわらず、作戦、戦術の…

武内和人
4か月前
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論文紹介 テロとの戦いを通じて米軍はどのような作戦ドクトリンを発展させたか

2001年から2006年までアメリカの国防長官を務めたドナルド・ラムズフェルドは、テロとの戦いを遂行する上でアメリカ軍のドクトリン開発の重点を国家間の正規戦から非国家主体が関与する非正規戦(irregular warfare)へ移したことで知られています。非正規戦の意義を強調したこと自体は、当時のアメリカがアフガニスタンやイラクに軍隊を展開し、非国家主体の脅威と交戦していたことを考えれば自然なことでした。 ただ、この時期のラムズフェルドの改革は必ずしもアフガニスタンやイラク

ハイブリッド戦争とは何だったのか?:Conflict in the 21st century(2007)

アメリカ海兵隊の退役軍人フランク・ホフマンは、2006年のヒズボラとイスラエルの戦争の分析を…

武内和人
5か月前
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論文紹介 中国が台湾に仕掛ける認知戦はどのようなものか?

認知戦(cognitive warfare)とは標的とする聴衆となる個人や集団の認知を操作し、その思考や…

武内和人
7か月前
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論文紹介 軍事作戦において指揮官が認識すべき情報の意義と限界

マイケル・ハンデル(Michael I. Handel)は軍事学の分野で情報戦に関する業績を数多く残した…

武内和人
7か月前
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論文紹介 冷戦終結が世界的な内戦の増加の原因だったわけではない

1991年にソビエト連邦が崩壊し、冷戦構造がなくなったことによって、世界では途上国を中心に内…

武内和人
8か月前
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論文紹介 戦争の複雑性とマーケット・ガーデン作戦の敗因

軍事学の研究では戦争の結果は完全な予測が不可能であり、複雑性に富んだ現象であると考えます…

武内和人
8か月前
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論文紹介 国際法は武力行使の支持態度にどれほど影響を及ぼすのか?

国家が武力行使を選択したとき、人々がそれを支持しているかどうかは、再選を目指す指導者にと…

武内和人
9か月前
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論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた西側諸国を驚かせました。この時のアフガニスタンで革命評議会議長として権力を掌握していたのはハフィーズッラー・アミーンでしたが、彼は12月27日に大統領宮殿でソ連の国家保安委員会が送り込んだ特殊工作員によって暗殺されました。アメリカは、このソ連の軍事行動に対して反発し、安定の方向に向かっていた米ソ関係は1979年以降に新冷戦と呼ばれるほど悪化の一途を辿ることになりましました。 冷戦終

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