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戦争を学ぶ

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戦争を学びたい人のためのマガジンです。軍事学のテーマを中心に、戦略、戦術、兵站、戦史などに関する記事を収録します。
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#軍事学

論文紹介 なぜルトワックは冷戦期に西側の軍事ドクトリンを批判したのか

研究者のエドワード・ルトワックは、1981年に戦略と戦術の中間に位置する分析レベルとして作戦…

武内和人
3週間前
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論文紹介 兵士の結束を強化するため、軍隊はいかに訓練を活用するのか?

軍隊は戦闘状況で兵士が協働し、部隊として任務を遂行できるようにするため、さまざまな社会的…

武内和人
1か月前
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論文紹介 冷戦期に選択的な核打撃の可能性を検討した戦略理論家の考察

コリン・グレイ(Colin Gray)とキース・ペイン(Keith Payne)は1979年にソ連がアフガニスタ…

武内和人
3か月前
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あるソ連の従軍記者が見たスターリングラードの戦い(1942-1943)

スターリングラードの戦いは1942年6月から1943年2月までヴォルガ川の西岸に位置するスターリン…

武内和人
3か月前
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ポスト冷戦時代に「テーラード抑止」を提唱したDeterrence in the Second Nuclear Age…

ソ連の崩壊と共に冷戦構造が崩れると、国際システムの状況は冷戦期のそれとは大きく異なるもの…

武内和人
3か月前
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論文紹介 コンピューターがサイバー戦争のすべてではない

サイバー戦(cyber warfare)という概念は安全保障の分野ですっかり定着しましたが、その意味…

武内和人
3か月前
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ベトナム戦争におけるリモート・センサーの運用を記述したWiring Vietnam(2007)の紹介

ベトナム戦争で北ベトナムがアメリカの軍事的支援を受ける南ベトナムの対抗し、1975年には南北統一を実現することができた要因として、ホーチミン・ルートの建設を挙げることができます。ホーチミン・ルートは北ベトナムから南ベトナムの領域へと伸びる交通路であり、その途上でラオスとカンボジアの領域を通過していました。交通路の形態は細かく枝分かれした未舗装の道路であったものの、中国軍の支援の下で駐車場や宿営地などの付帯施設も建設されていき、北ベトナムから南ベトナムのゲリラに物資を輸送する上

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メモ ソ連の軍事理論家スヴェチンは軍事産業の管理をどのように考えたのか?

ソ連の軍事理論家アレクサンドル・スヴェチンは『戦略』(1926)で独自の戦略理論、作戦理論を…

武内和人
4か月前
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核の時代における防衛知識人の働きを記したThe Wizards of Armageddon(1983)の紹介

フレッド・カプラン(Fred Kaplan)はアメリカの防衛問題を専門とするジャーナリストであり、…

武内和人
4か月前
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冷戦期のソ連軍は戦術核兵器をどのように使用することを考えていたのか?

1945年に第二次世界大戦が終結してから、ソ連の最高指導者であるヨシフ・スターリンは自らの戦…

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武内和人
4か月前
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論文紹介 テロとの戦いを通じて米軍はどのような作戦ドクトリンを発展させたか

2001年から2006年までアメリカの国防長官を務めたドナルド・ラムズフェルドは、テロとの戦いを…

武内和人
5か月前
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第二次世界大戦で経済学者クズネッツはどのように米国の産業動員に関わったのか?

1941年に第二次世界大戦に参戦したアメリカ政府は、ドイツ、日本、イタリアに対抗するため、自…

武内和人
5か月前
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ハイブリッド戦争とは何だったのか?:Conflict in the 21st century(2007)

アメリカ海兵隊の退役軍人フランク・ホフマンは、2006年のヒズボラとイスラエルの戦争の分析を…

武内和人
5か月前
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ポスト冷戦の「第四世代戦争論」は現代戦にどのような視座を与えたのか

アメリカの軍事著述家ウィリアム・リンド(William Lind)は戦争様相の変遷に独自の時代区分を与え、今日の戦争様相の特徴を捉える解釈を打ち出したことで知られています。軍事学の世界でこの解釈はさまざまな論争を引き起こしたのですが、それは現代戦の特徴を捉えるための視点を用意したといえます。 議論の発端となったのは1989年、アメリカ海兵隊の『マリン・コー・ガゼット』で掲載された「変化する戦争の様相:第四世代戦争に向けて(The changing face of war: