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【文章の学校をあらゆる子どもに】

私が畏敬する元木哲三さん。
文筆家でありながら、「文章の学校」も開催されている。
https://chikara.in/service/school/school-write/
彼と、子供の”文章力”について話した。
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元木さんの「文章の学校」で大切にしていることは3つ。
①赤ペンで添削しない
②書いてある内容を面白がって読む
③面白い点を見つけたら「膨らまして書いて」と頼む
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例えば、「赤・青・黄色」が「赤・青・横色」になっていても、添削しない。
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とにかく、面白がる。そして関心を持ってあげる。
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授業では、ラブレターをみんなで書いて涙したり、人生経験に裏打ちされた年の差を越えた比喩表現に唸ったり、老若男女の生徒たちが一緒に文章書く喜び楽しさを共有するそうだ。
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作文の宿題が出るだけで泣きじゃくっていた小学生。
数か月通ったら、めきめき自信を持ち、「作文なんてちょろい」と言い放つまでに。
それを見て、お母様も涙。
子供の可能性の蕾が開く瞬間。
正確には、本来持っていた力が「解き放たれた」瞬間なんだろう。
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文章を書くことは、文字で表現することは、人間の本能だ、と私は考えている。
私の4歳の娘を見れば、保育園の先生に、パパママに、祖父母に、一生懸命手紙を書いている。
文字もまだまだめちゃくちゃ、でも書いて何かを伝えること、自分の気持ちを表現することが嬉しくてたまらない様子だ。
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自分の気持ちや考えを表すこと、それは人間にとって本能に近い営みだと思う。
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なのに、漢字が間違っている、文章の構成がおかしい、表現が違う、と言って大人は赤ペンを入れたがる。
正しく導くことも大事なこと。でも、それでどんなに可能性の芽を摘んでいることか。
文章を書くことを恐怖と感じる子供を増やしてしまってはならない。
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また、文章を生業とする若者も育て、支えなければならない。
物書きが育たない社会は、どんどん衰亡してしまう。
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私は、「人間は文字を介して思考する」と考えている。
必ず頭の中で、抽象的な、もやもやした思いを、文字を介して自分の認識に変えていくのが人間である。
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つまり、文章を添削する事は、「思考を添削する」ことにもなる。
文章を書くのを怖がると言う事は、「考える事を怖がること」でもあるのだ。
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文章を書く喜び、すなわち考える喜び、言うなれば生きることそのものの喜びを否定しない教育。
元木さんが行っているようなメソッド、文章の教育が、あらゆる地域で、あらゆる学校で、拡がるように。
そして自分が思いっきり表現し、自分の考えを肯定できる、そんな子供、人間が溢れかえるような、そんな社会を作りたいものだ。
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改めてそんなことを考えさせてもらった。

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