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ブシドー書紀 〜親のしつけ編〜
私が小学生の頃、近所の書道教室に通っていた。
自分から通いたいと言ったわけではなく親から無理矢理行かされていた。
そのため熱意は特に無く渋々通っていた。
さほど上達もしなかった。
男子が私1人だけというのもあり、苦行に近いまであった。
中学生になるのを機に通わなくてよくなった。
同じく小学生の頃の話。
当時はまだ携帯電話やインターネットなど普及しておらず、正月は年賀状を出していた。
年賀状を書く時は母親が必ず目の前に居た。
字が下手かったり間違えたりしたら何度も書き直されていた。
手を叩かれたりもした。
なぜここまでされなければいけないんだろうと不満だった。
私は社会人になった。
社会人になると仕事や様々な契約書等で自分の名前や住所、書類等を書く機会が増える。
「字が下手なことが恥ずかしい!
こんな下手な字を多くの人に見られるのが惨めだ!」
そう思う場面が度々ある。
そして私は気付いた!
親はこういう思いをしない為に書道教室に通わせてくれたり年賀状書く時も厳しかったんだろうと。
自分自身が恥ずかしいのもあるが、相手側の迷惑にならない為でもあると思う。
親は私の将来を考えてくれてたんだろうと深い愛を感じた。
その後、字が上手になりたいと思い、ボールペン字練習帳を買って練習した。
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いくばくかは上達したかもしれない。
そしてある年、母の日に手紙を書いた。
日頃の感謝と上記の旨を綴った。
すると母親は涙を流しながら喜んでいた。
当時は感謝の気持ちは無かったが、それが伝えられて私も心が和んだ。
少しは親孝行できただろうか。
親孝行にも様々な形があるだろう。
プレゼントを渡す。
家族を持ち、命や愛を繋いでいく。
元気な顔を見せる。
どれも素敵である。
これらは喜びの感情だ。
これらとは反して、
親を心配させない。
悪い事をせず信頼を裏切らない。
これらも親孝行の一環と言っていいのかもしれない。
だから何か行動する時は、親が悲しまないか考えて行動しているつもりだ。
そして親が逝く時はこう思ってもらいたいと思っている。
「私を産んでよかった」
と。
その為に人として道を外さず生きていくと心に強く誓っている。