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【東大理一】辻本一樹さんの合格体験記「灘に入った後、遊びすぎて浪人しました」

 東京大学出身者を紹介する東大合格noteの第3回。

 今回は辻本一樹さんだ。

 辻本さんは奈良県奈良市出身の26歳。東大進学者の多い、兵庫県の灘中学校・灘高等学校から一浪して東大理科Ⅰ類に合格した。灘での成績は下位だったという辻本さんが、どのように勉強して東大に入ったのか、お話を聞いた。 


小1の時に入った塾が楽しかった

 辻本さんが、取材の間に何度も口にした言葉がある。それは
「母には感謝しています」

辻本さんはお母さんと妹との3人家族で育った。小学校1年生のときに塾に入ったが、その塾は勉強よりはアクティビティありきの塾で合宿などもあり、とても楽しかったという。

「勉強する習慣はついたと思うんですけど、勉強に対する苦手意識をまったく持たなかったです。今に至るまで、勉強に対する苦手意識は持ったことがないです」

小4まではその塾で楽しく勉強し、一方でラグビーなどのスポーツにも打ち込んだ。小4のときに、灘中合格者を最も多く出している学習塾の「浜学園」西大寺校に入塾。灘から東大を目指すルートに乗った。

灘中は兵庫県神戸市東灘区にある。辻本さんの家がある奈良からは大阪府を横断することになり遠い気がする。しかしちょうど辻本さんが小6だった2009年に関西の私鉄の近鉄と阪神が相互乗り入れすることになり、奈良県から灘に通うのがとても楽になった。その時期を逃さず、灘から東大を目指すべく進学塾に移って準備をしていたのは、やはりお母さんに先見の明があったというべきだろう。

灘ではずっと遊んでいたそれでも学力のつく環境だった

 灘中に入った辻本さんは、それまでの反動で急に勉強しなくなる。

「入ってすぐのテストの成績は最下位から数えて5番目くらいでした。それから高3の夏まではずっと遊んでましたね。

でも英語だけは、鉄緑会という梅田(大阪)の塾に行ってました。あえて言えば英語だけ苦手だという意識があったからです。後は東進予備校の林修先生の国語の講義は受けたことがあります。その他の理科や数学はもともと得意で自分で勉強したらできました」

しかし同級生に比べて勉強の時間は少なかったようだ。

「部活はラグビー部に入ってましたが、授業中に卓球部の部室で麻雀をしていたこともあります。授業も一応出てもPSPでモンスターハンターのゲームをしたり、寝てたり。ほんとうに全く何もやらなかったです。

灘は制服もないし自由な校風で、好きなことをして過ごせました。灘で禁止されていることは3つだけです。<アルバイト・髪を染めること・短パン>だけは禁止で、後は何をしてもいい感じでした。

でも、灘って周りがちゃんと勉強するところで、灘の授業だけで東大に入れるくらいのレベルのことは教えてくれるんですよ。実際にそれだけで東大に合格する人もいます。

現役のときに受けた模試での判定はずっとDでした。灘は1学年220人で卒業生の8割が東大か医学部に進むんですけど、同級生のみんなには『お前は東大落ちる』と言われてました。高3の秋になって『ここから勉強して受かったらおもしろいなー』と勉強したんですけど1年目は20点くらい足りなくてダメでしたね。

滑り止めは受けていません。どうせ行くなら一番いいところに行きたいし、ちゃんと勉強したら自分はそのくらい行けると思ってましたから」

浪人時代もバイトや旅行。楽しくないと頑張れない

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