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【東大理一】廣瀬允子の合格体験記「福井県の公立・藤島高校。塾には行かずリビング勉強で現役合格しました」

過去記事

東京大学出身者を紹介する東大合格noteの第4回。

今回も、前回に引き続き麻雀プロに登場してもらう。今年7月にプロテストに合格したばかりの廣瀬允子(ひろせよしこ)さんだ。

廣瀬さんは小学3年生まで京都で育ち、4年生のときにお父さんの転勤で福井県に引っ越しした。

学校の成績はずっとトップだったという廣瀬さん。地方の公立の進学校から、どのように東大に現役合格したのか、お話を聞いた。


いつも1学年先の教材で勉強していた

廣瀬さんは、高い声で、早口で話す。

これはたぶん、頭の回転が速い人の特徴なのだろう。次から次へとよどみなく出てくる言葉は無駄がなく、理路整然としている。

同席していた竹書房の金本編集長(東大法学部卒)が思わず「東大に、こういう女の子、いたわ」と笑ってしまうほど、この人は頭がいいのだなと思わせる話し方をする。声には張りがあり、聞きやすい。

麻雀プロとして、実況の仕事をしたいという希望を持っているそうだが、今日はご自身の勉強法などについて語ってもらった。

廣瀬さんは小3まで京都で育った。

「京都にいると、小4くらいから塾に行って私立中学の受験を目指す人が多いんです。だから私も小3の頃から塾のテストを受けて、入塾の準備をしていました」

しかし、廣瀬さんが4年生になるタイミングでお父さんが福井に転勤に。福井では公立中学校、公立高校に進むことにしたので、塾に入る必要はなくなった。

「その後も塾に通ったことは一度もありません。小4のときに通信教育のZ会を始めました」

ところが、廣瀬さんが始めたのは小4ではなく小5用のZ会だった。

「幼稚園の年長のときに、父の仕事の都合で1年だけイギリスに行ったんです。私は9月生まれで、イギリスの新学年が9月に始まるので、日本だと幼稚園児なのに小学1年生になりました。そんなこともあって、日本に戻ってからも母が1学年先の勉強をさせてくれました。小1のときは小2用の教材を、小2になったら小3用の教材を、と先取りで勉強していたんです。それはZ会でもそうでした。

そうすると、あらかじめ勉強したことを学校で復習して定着させることができるんです。最後、高2のときに高3の勉強をして、高3でもう一度高3の勉強をしたのがとてもよかったと思います。

高2のときに初めて東大受験講座を受けて赤本の過去問などを見たときは、何のことかわからなくてびっくりしましたが、やっているうちに慣れてきました」

イギリスにいた頃の時代

リビングルームでテレビを見ながらみんなで勉強

 

廣瀬さんは、子供のころから自宅のリビングルームで勉強する習慣があったという。

父はあえて自分の部屋を持っていなくて、リビングのカウンターにパソコンを置いて論文を書いたり仕事をしたりしていたんです。私と妹はそれぞれ自分の部屋があったのですが、父の横の座卓で勉強をしていました。テレビがついていて、ときどき横目で見たりしながら勉強するのが普通でした。そのくらい気が散ったほうが、過集中にならなくてよかったんじゃないかと思います。

両親に『勉強しなさい』と言われたことはないです。家族みんな仲良くて、自然と一緒に勉強するので、勉強することに抵抗はまったくありませんでした」

廣瀬さんの成績は中学校の時からずっとトップ。高校に入ってからもだいたい1番で、模試の判定はAばかりだったそうだ。

「両親の地頭がよくて、それが遺伝したのだと思います。でも、両親が勉強を教えてくれるわけではないんです。どちらかと言えば教えたり説明したりするのは面倒がって、私は自分で本などを読んで勉強するスタイルでした。小4のときには何でも自分で読んで理解する力が身についていたと思います。

Z会の教材って難しくて、解答や解説も量が多いんですけど、それでも継続して取り組めたのは、早くから自分で読んで理解する力を持っていたおかげだと思います。」

福井県立藤島高校は塾のように勉強させてくれた

小中と公立で勉強し、廣瀬さんが入学したのは県下一の進学校の藤島高校。東大に10人くらい入学するほか、福井大学(主に医学部)、京都大学、大阪大学、名古屋大学、神戸大学などに進む人も多い。

「やっぱり都会とは情報量が違うので、なんとなくみんな不安を抱いていました。いろんなところから情報が入ってくるんですけど、肌感覚としてわからないんです。

塾は地元の塾と、東進衛星予備校くらいしかなくて、私は別にそこに入らなくてもZ会を続ければいいかなと思っていました。塾に行っている同級生が塾の先生からいろんな情報を聞いてくるんですけど、よくわからなくて混乱している感じがありましたね」

進学校なので、進路別にコースを分けて課題を選び、勉強する仕組みがあったようだ。

「宿題はたくさん出たと思います。塾に行かなくても東大などの難関大学に入れるようにと配慮してくれていました。
高2で文系と理系に分かれて、高3の直前期にはそのクラスも進路別にバラして、東大を目指す生徒だけを15人くらい集めて東大の過去問を解くというような授業がありました。

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