流されて円楽に 流れつくか圓生に 著者 六代目三遊亭円楽 第六章 「楽や、圓楽は譲るよ
昭和五十六年三月、春風亭小朝に遅れること十カ月、俺は真打に昇進した。五代目三遊亭圓楽の弟子の真打披露は、かつて所属していた落語協会と分裂に反対した芸術協会から無視された。ただ、それは表向きのことで、当時の落語協会会長の五代目柳家小さん師匠ですら、俺の真打昇進を祝福してくれたことを記憶している。
俺の真打披露パーティーに両協会から来ないって……筈だった、ところが三笑亭夢楽師匠は、来てくれた。
「えっ? 来ちゃいけなかったのかな? じゃあ、俺、来なかったことにして」
って、言ってね、ずっと座ってた。あの師匠は、そういうところが優しかったな。
分裂の最中でも、その前からちゃんと盆暮の御挨拶に行っていた幹部の師匠たちは、真打披露に来てはくれないけれど、(認めてもらえていたんだなぁ)って強烈に感じたエピソードがある。前座時代から可愛がってもらってたからだ。例えば真打披露の御挨拶に行くときに、御招待状を一応持って行く。で、先ず(十代目金原亭)馬生師匠の家に行った。居る時間は、もちろん調べておいてね、で、
「ご挨拶したいんですが」
って、訊ねると、
「あっ、楽太、来たの」
もう、酒の仕度がしてあった。
「まっ、おめでとう」
と、酌をしてくれた。俺も嬉しくなった。……そのあとで、祝儀袋を渡してくれた。
「(小声で)こういう状態だから、(パーティー)には行けない」
で、次に林家(八代目正蔵)に行った。稲荷町へ。近いからね。金原亭に行ってから、林家へ行ったの。そうしたら、林家がね、長火鉢の引き出しからね、
「わざわざ、あたしまで御挨拶を頂いてありがとう」
って、祝儀袋を出した。これはいつ、誰が、何かのご祝儀で訪ねて来てもいいようにって、普段から準備がしてあると思っていた。昔の人はキチンとしているからね。ところが、ちゃんと「楽太郎 御師匠様へ」って書いてある。
(この子は来るだろうな。)
って、正蔵(むこう)は思ってた。
(凄えなぁ)
と、思った。協会が別れても、正蔵師匠は“俺が来る”ということは、分かっていたんだ。だから、チャンと仕度しておいてくれた。(いつか来るだろうな)って思ってくれた。それを貰って、
「おめでとう。お前さんなんぞは、もっと早くなっても良かった」
って、ほら、孫弟子の小朝が(真打に)なったでしょ? その辺を知っているから話をしてくれた。で、
「これからどちらへ」
「目白へ」
「……小さんさんのとこ? 向うが会長じゃないか?」
「いやいや、先ずは林家へ」
自分のところに真っ先に来たと思い込んだ正蔵師匠は、ニコッーって笑ってくれた。俺も“人たらし”だ。
「金原亭のとこへ行って来た」
とは言わない。
「馬生師匠のところへ行ってきました」
って、言ったらバカでしょう。
「それがモノの順ですから」
ニコッーって笑ってね。
「これからも頑張んなさいよ」
って、ちゃんと上がりがまちのところまで送ってくれた。
それで、目白へ行ったら、小さん師匠が、
「圓楽はいいよ。談志はダメだ」
って、言いながら、それでちゃんと祝儀をくれて、
「みんな、こういう事情だから、まあ、勘弁してくれ。……頑張れよ」
って、送り出してくれた。それから、圓歌師のところへ行った。そうしたら、圓歌師匠が新しいかみさんをもらったばっかりでしょう。新しいおかみさん貰って、うじゃじゃけてた頃だから。酔っぱらっていた。そうしたら、
「圓楽になんかあったら、俺のところへ来いよ」
「師匠、そんな話じゃ」
「まだ、早えか?」
それで、パァーパァー言って喜んでくれて、で、結局、「じゃあな」って言って、(祝儀を)もらってねえぇんだ。忘れちゃった。まるでネタだ。
そういうのは良く覚えている。少しも恨んでいない。圓歌師匠とは晩年にもの凄く仲良くなったしね。それで、金馬師匠のところへ行ったんだ。ところが、金馬師匠は留守だった。
「失礼なんですが」
って、一筆書いて、郵便受けに挨拶状と案内状を入れて来た。俺たちの世界は、厳密に言うと出直すのが筋だからね。
「ちょっと他をまわって、郵送も失礼なんで、来たことの証しとして」
って、書いておいた。そうしたら、金馬師匠は逆に現金書留で祝いを送ってくれた。本当に、素晴らしい気遣いをしてくれた師匠たちに感謝している。
もう一人、生きていれば俺の真打昇進を祝福してくれたはずの大物落語家がいた。前年に、訃報があった。ウチの師匠の落語協会に復帰を心から願ってくれて、陰ながら説得していた落語家だ。師匠・圓蔵がいち早く新協会参加を表明する中、弟子の身の自身は移籍の意志を見せず、最後には師匠の落語協会脱会撤回の説得に成功した大物噺家だった。俺の真打昇進披露の半年前に逝去された初代林家三平師匠のことだ。
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