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怪現象を考察する過程で見えてくる本物の恐怖…『深黄泉 怪談社禁忌録』(伊計翼/著)まえがき全文+収録作「待っている者たち」公開

まずは疑え、裏を読め。真の恐怖はそこから始まる――。

あらすじ・内容

「霊現象?ほとんど気のせい。
でも1%はマジでやばい」

霊は存在する――そんな前提を鼻息で吹き飛ばし、怪現象を軽やかに調査分析、それでも拭えぬ恐怖を炙り出す異端怪談集。
・商店街のアーケードの上を歩く目のない老婆。かつて死傷者の出た火事と関係があると睨むが、真相は…「鉄骨の老婆」
・山奥の民宿で3人の若者を襲う悪夢と頭痛。高山病を疑うがある共通の幻覚が…「頭痛の理由」
・仏壇の水が減るのはご先祖さまが飲んだからと言う幼子。母は単なる蒸発現象だと思うが…「ご先祖さまがいる」
・借金取りに追われる友人をアパートに匿った日から起こる怪現象。怪異発生のトリガーは意外なところに…「サイクル」
一見ひねくれているが、軽妙な語り口の裏を深読みすれば、最後はあなたもぞっとするはず。

著者まえがき

 世間一般的な考えのもと、ゆうれいや心霊の類を肯定している者は少ない。
 不思議な体験をしたとしても、不思議だったという感想のみで片付けられ、そのあとはゆっくりと記憶から消えていく。それでいいのだろうか――と思う。
 人生というものは「なぜ」と「どうして」の連続だ。疑問を解決するのは難しいかもしれないが、抱えておくことで、あるとき合点がいくこともある。手放してしまったら、なかなか戻すことができない。記憶の奥に封じられる前に、脳ではなく、こころに焼きつけておけば、いつか答えが見えてくるかもしれない。
 深読みして辿りつける場所があるなら、思考に価値はあると思う。
 本書は説明できない怪異談をあえて分析、深読みする趣旨のもとつくられた。
 個人的に歴史書や伝承からの引用と例があまり好きではない。なぜなら、いくつかそのような例をだしている怪談本を読んで感じたのは、インテリぶってるとか、賢い感じに見せたいのかな、だったりしたからだ。しかし前回の『黄泉とき』をだした際に、同じことを書き、信念のもと怪談を怪談で読み解いていった。
 ところがそれを読んだ方々から「読み解いていないじゃないか」とか「もっと深く考えたほうがいいんじゃないですかね」という貴重なご意見をいただき気づいた。
 私もまたインテリだと思われたいのだ。もっと賢い感じに見られたいのだ。
 あたま悪くない、あたま賢いんだぞ――と。
 それを証明すべく今回はいままでとは一線を画す仕上がりとなっている。はずだ。
 いや、なっている。どうだろう。どうですか? いや大丈夫だ。ちょっと今日も調子が悪いのかもしれない。申しわけない限りだ。
 今回は次の話にいくほどに恐怖度が高まっていき、しかも、この本、怖いだけじゃなく賢くなる気がする、この著者も賢い感じがする、と読んでいるひとが思ってしまう、深いつくりになっている。身もフタもないな、と思った方もいるだろう。まったくもってその通りだが私はやはり気にしない。
 怪談で怪談を考察していただけの前回とは違い、今回は歴史だろうが知識だろうが個人的意見だろうが、もうごちゃ混ぜにして深読みさせてもらっている。
 余裕がなかったのではない。自分の理想に気づいただけだ。体験談を採用させてもらった方々に許可は得ているが、本書はお祓いを受けていない。なにかあったときには例のごとく、自己責任であることをお忘れなく。

試し読み

「待っている者たち」

 雨の夜、仕事帰りのE原は駅からでると傘を広げて歩きだした。
 時間はもう遅く、ひとの通りも少ない。
 静かな駅前のしっとりした風景のなか、自宅へとむかって歩を進める。
 前方にひとりの女性が傘もささず、歩いてくるのが見える。リクルートスーツに身を包み、終電を逃さないようにするためだろう、こころなしか足早だった。
 道路は広かったが歩道はせまく、すれ違うには傘が邪魔になる。
 そう思ったE原は傘をぶつけないよう、かまえながら歩いた。
 まっすぐに進んでいた女性は、少し足がもつれているように見えた。
 数メートルほどの距離になったとき、女性が突然、真横に倒れた。
 E原は「えっ!」とおどろき、すぐに駆けよった。
 女性は白目を剥き、手足がぴくぴくと不規則に動いて、口から泡が吹きでている。
「大丈夫ですか!」
 しゃがみこんで声をかけたが、女性はE原の呼びかけに反応を示さない。
 彼女のケイレンは治まる気配がなく、むしろ酷くなっているように思えた。急いでスマホをとりだし救急車を呼ぼうとしたが、動揺して画面ロックが解けない。
「ちょ! だ、だれか!」
 慌てて周囲を見るが、通行人は他にいなかった。
 道路のむかいをみるとバス停があり、何人かの男女が並んでいる。
「あ、あの! すみません、ちょっと! だれか手伝ってください! 女性が」
 倒れたんです、救急車を呼んでください。
 E原は電話を持った手を振って、バス停のひとたちに大声で助け求めた。ところが彼らはこちらをむいてはいるものの、まったく反応してくれなかった。車が通っているならエンジン音が邪魔をして聞こえず、大雨なら雨の音が大きくて聞こえないこともあるかもしれない。だが、いまは一台の車もなく雨もずいぶん小降りだ。
「ちょっとッ、なにしてるんですか! 聞こえないんですかッ」
 E原は、彼らの表情がおかしいことに気がついた。
 こちらを、見ていない。
 顔はE原のほうをむいてはいるが、どのひとも、どのひともただ前の空間――宙を見ているような虚ろな表情だった。口も呆けたようにだらんと開かれている。
 妙な雰囲気に「なんだ? あのひとたち……」と言葉が漏れた。
 そのとき倒れていた女性が意識をとり戻して、すっと立ちあがった。
「あ! 大丈夫ですか!」
 声をかけながらE原も立ちあがり、女性の顔を見て息を呑む。
 バス停のひとたちと、まったく同じ表情をしていた。
 女性はなにもいわずに道路をまっすぐ渡り、バス停の列のうしろに並ぶ。
 E原は雨に打たれながら呆然とそれを見ていると、うしろから悲鳴が聞こえた。
「大丈夫ですか、そのひと! 倒れたんですか!」
 たまたま通りかかったのだろう、通行人はE原の足元を指さしている。
 目をむけると、いま道路を渡っていった女性が倒れていた。
 もうケイレンはとまっているようだった。
「救急車、呼びましたか? 呼びましょうか?」
「え……ああ、お願いします」
 道路のむこうからバスが一台、静かに走ってくるのが見えた。
 通行人は電話を切って「すぐにくるそうです!」とE原に報告した。
 停車したバスがドアを開けると、列をなしたひとたちがぞろぞろと乗車していく。
 そして、そのまま暗闇のなかへ消えていった。
 傘を地面に転がしたまま、雨に打たれるE原に通行人がいった。
「いまのバスに……このおんなのひと、乗っていませんでした?」
 倒れている女性はもう息をしていなかったという。

 あの世に旅立つ死者を連想させるような体験談だ。
 実話怪談のなかでは亡くなったひとが乗り物に乗って去っていく描写も珍しくない。
 バスで旅立っていく話は初めてだが、いままで聞いたものでは電車、車、自転車、タクシー(あの世ではない。霊園へむかった系)くらいだろうか。あとは、やはり徒歩の話が多い。
 興味深いと思われる事例は次のものがある。

 父を送った斎場での出来事です。
 親せきはいなかったので、旦那と娘、三人だけで父を見送りました。
 娘はまだ死を理解できていなかったと思います。
 男手ひとつで育ててくれた父との別れは想像以上に哀しく、私は涙がとまりませんでした。棺にしがみついて、とり乱す私に娘は「じいじ、ネンネしてるから起こしちゃダメ」といってくれました。
「そうね、お祖父ちゃん、ネンネしてるもんね。寝かしてあげよう」
 荼毘にふされているあいだ、外で私たちは待つことにしました。
 私を慰める旦那の横で「ママ、見て」と娘がいいます。
「じいじがいる。じいじがバイバイしてるよ、ママ。ほら、見て!」
 娘が指さすのは煙突からでている煙です。
「じいじ、タバコに乗ってる! タバコ!」
 娘のいうタバコとは煙のことで、父と旦那の喫煙から覚えた言葉です。
 煙突から流れる煙はゆっくりと空に昇り、娘はいつまでも手を振っていました。

 来迎図と呼ばれる仏画がある。臨終した往生者を、如来が菩薩たちと共に雲に乗って迎えにきている姿を現したものだが、雲が乗り物となっているのが興味深い。
 この斎場での話はまさにそれと結びつくものだ。極楽浄土にむかうというイメージで素敵だが、先のバスの話のように暗黒に堕ちていくようにしか思えぬものもあるので、皆さんはバスより雲を狙っていくのが良いだろう。

――他エピソードと考察は書籍にて

著者紹介

伊計翼(いけい・たすく)

怪談蒐集団体、怪談社の記録書記。2010年デビュー。
単著に『黄泉とき 怪談社禁忌録』、「怪談社十干」シリーズ、「怪談社THE BEST」天邪鬼シリーズ、『怪談社書記録 赤ちゃんはどこからくるの』『魔刻百物語』『あやかし百物語』『恐国百物語』『怪談師の証 呪印』『怪談社書記録 蛇の目の女』など。

シリーズ好評既刊

「黄泉とき 怪談社禁忌録」