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怪談連載【怪談ジャンキー!煙鳥怪奇録】第3回「その街の話 」煙鳥×吉田悠軌

実話怪談界で長年、表舞台に立つことなく暗躍し、「知る人ぞ知る」存在であった怪談蒐集家・煙鳥。彼が集めた数多の怪奇譚を、氏と関係の深い二人の綴り手〈吉田悠軌・高田公太〉が再取材・再構成の上、新たに書き下ろす(或いは、語り下ろす)! 連載第3回は、煙鳥×吉田悠軌――

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第3回「その街の話 」

 東京で、というより、日本で一番有名なソープランド街の話。
 昔、その「街」のとあるソープ嬢が、その「街」のとあるビルから飛び降り自殺を図った。地面に叩き付けられた彼女は、その場で息を引き取った。
 ただし彼女が落ちた先は、皆がいきかう道路ではない。ビルとビルの谷間の、狭い隙間だった。「街」で働く人々も、行きずりの客たちも、野良猫すらも通らないような空間。
 またそれは、ちょうど冬の寒い季節だった。彼女の死体はあまり匂いが立たず、すぐ前を通り過ぎていく人々でさえ、その存在に気づくことはなかった。
 ビルの谷間の暗闇で、誰からも顧みられず、その子の身体は干からびていった。

 ――という話を、煙鳥君が私に教えてくれた。
「超有名な事件だ、って言われましたよ。当時の『街』にいた人なら全員知っているらしいって」
 これを煙鳥君が聞いたのは、同地でソープ嬢として働くリサさんから。
 とはいえリサさんにしても、リアルタイムで事件に触れていた訳ではない。
 彼女もまた、同僚であるミコトから教えてもらったエピソードなのだという。
 
 リサさんとミコトの出会いは、十五年前になる。
 リサさんはもともと博多・中州のソープ店で働いていたのだが、諸々の事情で上京することになった。ただこれも諸事情により、中州の店もしばらく継続して勤めなければならない。なので一定期間は、東京・福岡を行ったり来たりする状態になってしまったそうだ。
 これでは東京できちんとした物件を契約するのは、もったいない。リサさんは「街」のすぐそばのウィークリーマンションの一室を借り、しばらくそこに住むことにした。
 そんな生活が、一カ月ほど続いた頃だろうか。
 ミコトという女の子が、店の新人嬢としてやってきた。少し変わった性格の娘だった。
「そのブレスレット、外してもらえませんか?」
 初対面のリサさんに、ミコトはいきなり、そんな要求を突きつけてきたのである。
「ブレスレット……え、これのこと?」
 面食らったリサさんは、思わず自分の手首を見つめてしまう。
 そこには当時、風俗嬢の間で流行っていた、数珠タイプのブレスレットが着けられていた。自分の場合は、薄紫のラベンダー・アメジストだけで構成した腕輪である。
「はい、それです。私、それが近くにあるの、ちょっと無理です。濁りきってますから」
「濁りきってる」
 いや、確かにリサさん自身も気づいてはいたのだ。このところ、アメジストの珠の色味が変化していることに。すきとおった薄紫色のはずが、どんどん黒ずんでいっていることに。
 とはいえ鉱物なのだから、何らかの化学変化で色が移ろうこともあるのだろう。そんなふうに考え、あまり詮索しないでいたのだが。
「私、副業で占い師やってるんです。リサさんが今住んでいるところ、本当にやばいです」
「え、なに占い師って。それ、どう関係あるの?」
「住んでいる場所のやばさが、そのブレスレットに移ってます。感染してます。だから外してください」
「はあ、そう、まあ……」
 まず占い師について説明してほしいのに、突然そんなスピリチュアルな話を捲し立てられても、言葉を濁して返答するしかない。
「とにかく、今いるところは引っ越した方がいいです。以上です」
 こちらに見切りを付けたように、ミコトは自分から話を終えてしまった。

 リサさんはブレスレットを外さなかったし、ウィークリーマンションを引っ越すこともなかった。ミコトのアドバイスを、完全に無視したのだ。
 ソープ嬢の仕事は個人作業だし、待機中の個室もあてがってもらっている。別に同僚と仲良くする必要はないのだ。ましてやミコトのような変わった女の子と。
 ただ、そんなある日の仕事中のこと。
 リサさんと客が部屋に入り、さて風呂場に向かおうとしたところで。
 ドン! いきなり背中に衝撃が走り、身体ごと床に転がってしまった。
 何事かと振り向くと、青ざめた顔の客が、開いた両手を前に伸ばしている。どうやら、こいつが後ろから自分を突き飛ばしたようだ。
「外して! それ外して!」
 唖然としているリサさんの手首を指さしながら、客が叫んだ。例のアメジストの数珠に怯えているらしい。
 すぐにブレスレットを外し、宥めながら事情を訊ねてみると。
「あんた……そんなの、よく着けてられるな。変なところに住んでるから、そうなるんだぞ」
 ぞくり、と背中がざわめいた。
 何故、この人は、ミコトと同じことを言ってくるのか?
 このブレスレットを怖がるのは、まだいいとしよう。確かにどす黒い数珠なんて、気になる人は気になるかもしれない。
 でも、家の話なんてしていないのに、いきなり引っ越せと警告してくるところまでソックリではないか。一体、何故。何で、そんなことが分かるのか。
「分かるさ。俺は霊媒師だ」
 アホか。
 自称・占い師の次は自称・霊媒師か。ばかばかしい。
 気味の悪い偶然だが、ただ、おかしなやつに二回連続で絡まれただけ。それだけのことだと考えよう……。
 しかしリサさんの受難はこれで終わらず、ほぼ同じ状況が何度も何度も続いたのである。
 客と二人きりになると、それまで普通だった相手がいきなり怒りだす。例のブレスレットを外せ、お前の住んでいるところがおかしいのだ、と喚きたてる。
 全く無関係の人々なのに、不思議と同じセリフを突きつけてくる。更に、その理由を聞けば、男たちは口々に、こう説明してくるのである。
「霊能力者だから『視える』んだよ」
「それは私がスピリチュアル・カウンセラーだからです」
 いや、そういうノリが流行っている時期ではあった。『オーラの泉』が放送開始したのも、ちょうどこの頃だ。嬢の気をひこうとしたキモい客同士で、アイデアがかぶってしまったのだろう。
 ただ、その中の一人、「陰陽師」を名乗る客だけは少し変わっていた。
「お前なあ、そんなブレスレット着けてれば分かるだろぉ……今いる部屋に住んでたらマズいって。そんなところに住んでるとなぁ……」
 ここまでは皆と似通った警告だが、最後に一言、意味不明な文言を付け足してきたのである。
「親戚のヒトシさんが来るぞ」

 そんな名前に心当たりはなかったので、リサさんも「陰陽師」の言葉を気にしないようにした。体調も気分も、特に異変などなかったのだし。
 東京で新しい彼氏ができたせいもある。気持ち悪い客たちのクレームなど、どうでもよくなっていたのだ。
 職業柄、その彼氏とは「街」の近くでは逢わないようにしていた。つまり自分のウィークリーマンションに招くこともなかった。いつも離れた町でデートし、相手の家かホテルにしけこむようにしていたのだが。
「今日くらいは、そろそろリサの家に行きたいな」
 そんなあるとき、彼氏の要望もあって、デート後に自宅へ行く流れとなってしまった。
 まあ確かに、そろそろいいだろう。ちゃんと交際を続けているのだから、私の自宅だけNGというのもおかしいし……。
 リサさんの部屋に入った二人は、早速ベッドの上で事に及び始める。異変は、正にその最中に起きた。
「うぐぅ……」
 上に乗っていた彼氏が、いきなりゲップのような声をしぼりだしたかと思うと、ごろりと横に転がった。
 何かと思って起きあがれば、白目をむいたまま、仰向けに失神しているではないか。
「ちょっと! どうしたの! 大丈夫!?」
 脳溢血か何かと心配したが、幸い彼はすぐに目を覚ました。身体に異常は見られず、ただふいに意識が遠のいてしまっただけ。こんなふうになってしまう持病など、心当たりも一切ないという。
「ただ、気絶してるとき、変な声が聞こえたんだ」
 頭の中で、ずっと女が叫んでいた。真っ暗闇の中、ただ女の声だけが、ひたすら響いていたらしい。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
 ……と。
 ここまで来たら仕方ない。
 まあ、あいつらの言っていることが正しかったのだろう。
 さすがのリサさんも折れて、ウィークリーマンションを解約することにした。
 そして「街」から離れたエリアに引っ越してから後は、特に何の異変も起きなかった。問題は、解決したのである。
 とはいえ、このままでは全く訳も分からず、振り回されっぱなしで終わってしまう。それも何だか癪なので、少しだけは調べてみよう。
 そう考えたリサさんは、まず父親に電話をした。「親戚のヒトシ」に心当たりがないかどうか訊ねるためだ。
「ヒトシ……ってそれ、大叔父さんだぞ。おじいちゃんの弟。お前よく知ってるな。俺ですら会ったことないのに」
 ヒトシさん、という見知らぬ親戚は実在した。何の事情か知らないが、若い頃からずっとミャンマーに移住しており、日本には一度として帰国していないのだという。
「もう親戚の誰とも連絡とってないはずだぞ。生きてるか死んでるかも、分からん」
 何故よりによって、そんなヒトシさんの名前が出てきたのか。 
 不思議に思っているうち、数日後、今度は父親の方から電話がかかってきた。
「おい! この前話したヒトシさんだけどな!」
 興奮した父親が伝えるところによれば。
 リサさんとの電話のすぐ後、ミャンマー大使館から連絡が届いたそうだ。ひとつは、同国に在住するヒトシさんが亡くなったとの訃報を伝えるため。またひとつは、死後の手続きをどうすればよいか確認するため、大使館が問い合わせてきたのである。
 そしてヒトシさんは、ミャンマーで葬儀をなされた後、日本に帰国する流れとなった。
 結局、あの陰陽師の言う通りになってしまった。
「親戚のヒトシさん」は、リサさんの実家に、骨となって帰ってきたからだ。

「……っていうお話を、リサさんが僕に教えてくれました」
 と、煙鳥君が、ひとまず話を切り上げる。
 面白いエピソードだ。
 スタンダードな怪談かと思いきや、何だかやけに複雑なところが面白い。
 とはいえ私も話を整理するため、早速こんなツッコミを入れなければならない。
「面白いね。面白いんだけど、でもそれ、要素が噛み合ってなくない?」
「そうなんですよ。ミャンマーで死んだヒトシおじさんと、ウィークリーマンションが呪われてるのと、彼氏が聞いた女の『死ね』という声……全ての要素がバラバラなんですよね」
「ヒトシさんがお骨になって返ってきたのは、どちらかといえば『いい話』だしね。まあそっちはそっちでドロドロした裏事情があるのかもしれないけど……」
「はい、で、もうひとつ。リサさんは、ミコトにもう一度、相談しているんですよ。どうして彼氏に『女の声』が聞こえたか、について話し合ったそうですが」
 ここでミコトが持ち出したのが、冒頭に記した「干からびたソープ嬢」の怪談だったのである。
 続いて、ミコトはこんな見解を披露した。
「その女の子、飛び降りた先の、ビルの隙間で死んじゃった訳ですよね。だからその子の部屋自体は事故物件にはなってないんですよ。つまり不動産屋も、次に住む人に知らせなくてもいい訳ですよね」
 そういえば事故物件サイト『大島てる』が開設されたのも、ちょうどこの時期だった。
「だからリサさんは知らなかったんだけど……その子が住んでたところが、ちょうど、あなたと同じ部屋だったんです」
 だからリサさんは、その子に呪われていたんですよ……と。
 なるほど。まあ、話としては繋がる。
 しかし怪談となると、そんな都合のよい繋がりは納得できかねる。申し訳ないが、占い師を自称する女の子の空想に思えてしまう。
 大体「干からびたソープ嬢」の話にしても、実際の出来事ではなく、都市伝説めいているではないか。果たして昭和後期から二〇〇〇年代にかけて、あの「街」で、そんな事件が本当にあったのか。 
 そう考えた私は、後日、図書館にて新聞報道をあさってみることにした。
 すると「東京で、飛び降り自殺した女性の遺体が、ビルの谷間に長いあいだ放置されていた」事件そのものは発見できた。更に「男」「東京以外」「自殺ではない転落死」の項目まで含めれば、「ビルの谷間の放置死体」については数例が報道されていることも分かった。
 しかしいずれも、現場はあの「街」ではない。
 その中で、もっとも先述の怪談に近いケースは一九九六年五月。JR神田駅近くのビルとビルの谷間、幅約五十センチの通路に、白い冬服のコートを着た女性の「既にミイラ化していた」遺体が発見された事例だ。
 この二十四歳の女性は、昨年十二月の会社の忘年会を最後に、半年近くも姿を消していたのだという。同僚男性との結婚が間近だった点も含め、自殺か他殺かも不明な、かなり謎めいた事件だ。
 肝心の現場は「街」と一切無関係だが、半年という長い未発見期間、女性の年齢、冬の時期といった要素が、ミコトの語る「干からびたソープ嬢」に影響を及ぼした可能性はあるかもしれない。
 ここで視点を変えてみよう。同じような転落死案件が、あの「街」で起こったのは恐らく事実ではない。ただし、そうした都市伝説があの「街」で囁かれていたのは確かなのだろうか。
 私はまた、「街」に詳しい知り合いにコンタクトをとり、ある依頼をした。「干からびたソープ嬢」の噂が、昔から「街」にいる人々に周知のものなのかどうか、聞き込みをしてもらったのだ。
 以下、知人からの回答をそのまま載せておく。

 お疲れ様です。間が空いてしまってすみません。
 先日のお話、社長やスタッフ、組合の会長さん、喫茶店のおばちゃん、公園でたむろしてる老人、飲み屋の大将の方々に聞いて回ってみましたが、結論から言うと自殺や孤独死、殺人事件の話はよくあるけど、何年も死体放置とかはないでしょう、とのことでした。面白い結果にならなくて申し訳ないです。

 断定はできないものの、「干からびたソープ嬢」については、当該する事件も、ましてや噂すらも存在していなかった。調査と呼べるほどの調査でなくて恐縮だが、現時点では、そう考えざるをえない。
 リサさんや煙鳥君がどう思うかは、ともかくとして……。
 私は「干からびたソープ嬢」の怪談は、ミコトがつくった「嘘」ではないか、と疑っている。
 いや、「嘘」としてしまうのは言い過ぎかもしれない。
 薄暗いビルのすきまで、目の前を通り過ぎる誰からも顧みられず、干からびていった女。
 そんな光景を、ミコトは占い師として、確かに幻視していたのだろう。
 彼女は、リサさんと彼氏が出くわした体験に、次のような説明を付けていた。
「この『街』って、昔から、たくさんの女の人が死んでますよね。だから、リサさんが、客でもない恋人の彼氏とイチャイチャしているのが、気にくわなかったんですよ。憎らしかったんですよ」
 だからね、叫んだんです。
 死ね死ね死ね死ね……って。

 そう言っていたミコトも、それから間もなく、風呂場で手首を切って死んだ。

第3回「その街の話」文・吉田悠軌

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著者紹介

吉田悠軌 Yuki Yoshida

怪談サークルとうもろこしの会会長。怪談の収集・語りとオカルト全般を研究。著書に『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)、「恐怖実話」シリーズ『 怪の残滓』『怪の残響』『 怪の残像』『怪の手形』『怪の足跡』(以上、竹書房)、「怖いうわさ ぼくらの都市伝説」シリーズ(教育画劇)、『うわさの怪談』(三笠書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、共著に『実話怪談 犬鳴村』『怪談四十九夜 鬼気』など。
月刊ムーで連載中。オカルトスポット探訪雑誌『怪処』発行。文筆業を中心にTV映画出演、イベント、ポッドキャストなどで活動。

高田公太 Kota Takada

青森県弘前市出身、在住。O型。実話怪談「恐怖箱」シリーズの執筆メンバーで、本業は新聞記者。
主な著作に『恐怖箱 青森乃怪』『恐怖箱 怪談恐山』、共著に『奥羽怪談』『青森怪談 弘前乃怪』『東北巡霊 怪の細道』、加藤一、神沼三平太、ねこや堂との共著で100話の怪を綴る「恐怖箱 百式」シリーズがある。

怪談提供・監修

煙鳥 Encho

怪談収集家、怪談作家、珍スポッター。「怪談と技術の融合」のストリームサークル「オカのじ」の代表取り締まられ役。広報とソーシャルダメージ引き受け(矢面)担当。収集した怪談を語る事を中心とした放送をニコ生、ツイキャス等にて配信中。 怪談収集、考察、珍スポットの探訪をしてます。VR技術を使った新しい怪談会も推進中。共著に『恐怖箱 心霊外科』『恐怖箱 怨霊不動産』。


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装画:綿貫芳子