読み手に迫る恐怖と情緒『怪談心中』(丸山政也/著)著者コメント+収録話「感応」全文掲載
多様な怪異を引き寄せる!丸山政也が描く底知れぬ恐怖
あらすじ・内容
怪談心中。重いタイトルである。怪談を聞き蒐めていると、時折、心中事件にまつわる話を伺うことがある。そういった話を聞いていると、常にひどくやるせない気持ちに囚われてしまう(あとがきより)。
・一緒に死んでくれませんか? 新宿の路上で声をかける男。その凄惨な曰くとは「死にたがる男」
・小瓶を呷った女は凄まじい痙攣とともに倒れた。旅館で見た奇妙な夢の続きは…「感応」
・妻と義母を刺殺し、子どもたちを絞め殺し…悲惨な凶事に遭った家族たち「運動会の写真」
――など74話。
凶事のその後、遺された思いや恨み底知れぬ恐怖とともに、貴方も一緒に逝きませんか。
著者コメント
試し読み1話
感応
Mさんの話である。
五年前、高校の同窓会が故郷にある老舗の温泉旅館で開催されたという。
高校時代の友人たちとはこの二十年すっかり疎遠になっていたので、いい機会だと参加することにしたそうだ。
当日、会場の旅館に着くと懐かしい顔ばかりで、卒業してからお互いがどんな人生を歩んできたのか、そんなことを語り合いながら友人たちと盛り上がった。
この会に来たのは友人たちと旧交を温めることのほかに、もうひとつ理由があった。
当時交際していたS子も参加すると聞いていたからである。交際といっても一緒に帰ったり手紙をやりとりしたりといった程度のもので、手さえつないだ記憶がないような淡い恋愛だった。Mさんが大学進学のため遠方に引っ越すことになったことで、ふたりの関係は自然消滅してしまったのである。
風の噂でS子が短大を卒業後すぐに結婚したのは知っていたし、自分も妻帯者で小さな子どもが三人もいるのだから、いまさらどうこうというつもりはなかったが、ただ純粋に懐かしく、また会って当時のことを話せたらいいなと思ったのだった。
S子は少し遅れて会場に到着したが、多少ふくよかになってはいるものの、二十年という歳月を思わせないほど学生時代の面影を残しているので、一同からどよめきが起きた。
すぐにMさんにひじ打ちをしながら「話してこいよ」という者がいて、少し照れながらS子の席の横にMさんは座った。
向こうもMさんに会えたことを喜んでいるようだった。昔の思い出話やお互いの今の暮らしぶりについて色々と話せたので良い時間を過ごすことができた。
宴もたけなわになった頃、幹事の男が、
「酔って帰れないひとはここに泊まることもできるぞ。今日は空いているらしいし、ここは温泉もあるからな」
といった。
実家に帰るつもりで宿泊先を取っていなかったMさんは、かなり酔っていたこともあり、その言葉を聞いて旅館に泊まることにした。
部屋は古いものの隅々まで清掃が行き届いており、気持ち良く過ごせそうだった。風呂からあがるとすぐに瞼まぶたが重くなり、早々に寝床に就いた。
その夜、Mさんは夢を見た。
詰つめ襟えりの学生服を着た自分が畳のうえに座っている。
周囲を見まわすと、どうやらそこは泊まっている旅館の部屋であるらしかった。
すると、音もなく襖が開いてひとりの女性が入ってくる。
S子だろうとすぐに思ったが、顔はクローズアップされずにぼんやりとしているので、誰なのかはっきりとはわからない。
女性は自分のような制服を着ておらず、花菱模様の和服を身に着けている。そしてMさんの横に来て、しずしずと膝ひざを曲げて座った。
Mさんは脇に置いてある黒いくたびれた革鞄に手を伸ばすが、こんな鞄は一度も持っていたことがない。
だが、ごく自然に――まるでずっと以前から自分の鞄だというふうに、そのなかへ手を入れると、赤い帯ひものようなものを取り出した。そして何度も練習したかのように淀みのない動作で自分と女の腰に遊びをもたせながら帯ひもを固く結びつけた。
女は頭を少しうなだれるような姿勢で静かに座っている。
Mさんは上着のポケットから茶色の小さなガラス瓶を取り出し、女の耳元に顔を近づけて、
「ストリキニーネさ。見届けてから僕も――」
かすれた声でそう囁ささやき、瓶のふたを開けて女に手渡した。
それを手にした女は一瞬の躊躇いの後、くいっと口にしたが、ほどなく凄まじい痙けい攣れんとともに畳のうえに横倒れた。
それを黙ってMさんは見ていたが、弓のように反りかえった女の躯からだに手を当てながら、自分も小瓶の残りを口にしたとたん、視界ががくがくと揺れ出し、女のうえに烈しく突っ伏していくのを感じた。
その瞬間から視点はなぜか俯瞰かんになり、ふたりが折り重なって倒れているのを天井のほうから見つめるのだった――。
ひどい寝汗をかきながらMさんは布団から起き上がった。
夢であったことに安堵したが、寝ながらそれが現実でないことは、なんとなくわかってはいた。だが、妙な生々しさがあり、女の躯に手を当てたときの感触や、そのうえに突っ伏していったときの衝撃の感じは、眼が覚めた後もいつまでも残っていた。
なぜあんな夢を見たのか。
夢の理由など探るのは野暮なものだが、もしかしたら昨晩S子と二十年ぶりに再会したことで、深層心理の裡うちにあることを夢のなかで実践したのかもしれない。
そんなふうにも思ったが、S子とは高校時代のほんのいっとき淡い交際をしていただけの関係なのだ。あのような夢を見るわけがさっぱりわからない。それに情死などという時代錯誤なことは、これまで一度も考えたためしがなかったので、なんとも不可解だった。
時計を見ると、あと十分ほどで深夜二時になるかという頃で、床に就いてからまだ二時間も経っていなかった。
それからはまったく眠ることができず、朝までまんじりともしないで起きていたが、朝風呂にだけ浸かって早々に旅館を後にした。
しばらく故郷の町を散策した後、実家に帰ってみた。
同窓会で帰省することを両親は知っていたので、昨晩はそのまま温泉旅館に泊まったことを話すと、あそこの旅館か、と古希を迎えた父親はいった。
昨晩妙な夢を見て全然眠れなくなったことをいうと、なにごとか少し考えているようだったが、そうだそうだというふうに、ひとりでうなずきながら、
「たしか死んだ親父がいってたが、あの旅館は江戸末期から続く老舗でな、親父の同級生の家が経営しているらしい。だから今の経営者はきっとその同級生の子どもか孫がやっているんだろう」
そういった後、またなにか思い出したのか、はっとした表情になった。
「そういやお前の見た夢だがな。これは親父がおふくろに話しているのを立ち聞きして、やけに覚えているんだが、昭和の初め頃、たぶん戦争の始まる前のことだと思うが、あの旅館で心中騒ぎがあったらしい。都会のいい学校に通う学生と若い女が部屋のなかで毒あおって死んだってな。なんでもお互いの腰に赤い帯を結んでいたらしいが、そりゃもうふた目とは見られん凄まじい表情だったと――」
それを聞いてMさんは絶句してしまった。
父親に夢のことは話したが、それは話の筋を少し伝えただけで、赤い帯ひもについてはまだひとことも言及していないからだった。
―了―
著者紹介
丸山政也 (まるやま・まさや)
2011年「もうひとりのダイアナ」で第3回『幽』怪談実話コンテスト大賞受賞。「奇譚百物語」「信州怪談」各シリーズ、『怪談実話 死神は招くよ』『恐怖実話 奇想怪談』など。共著に『エモ怖』「てのひら怪談」「みちのく怪談」「瞬殺怪談」「怪談四十九夜」各シリーズ、『怪談実話コンテスト傑作選3 跫音』『怪談五色 破戒』『世にも怖い実話怪談』など。