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日常の小さな違和感から壊れていく…体験者の実在する驚愕の怪談集!集『怪奇異聞帖 隙窺いの路』(神沼三平太/著)著者コメント+収録作「イヌヅラ」全文掲載

油断禁物…!怪異に心許す勿れ

あらすじ・内容

怪異が隙を窺う危うき小路――
その時、ボロボロの傘が差し出され…
「入ったわね! 私の傘に入ったわね!」
(収録作「雨傘」より)

油断禁物…!怪異に心許す勿れ
日常の小さな違和感から壊れていく…体験者の実在する驚愕の怪談集!

怪異に対して普段から万全の対策をし続けられる者はいない…。
入院中、深夜の病棟で気づいた異様な気配…「何かが跡を付けてくる」
ある絵のモデルを請け負った可憐な女性はその後、病的なまでの妖艶さを纏うようになったが…「くちなわ」
海外の市場で見つけた干からびた手のようなものは土産物ではなく呪物で…「薬指」
代々、女しか喪主のできない家、それは先祖の酷い行いのせいだというが…「女喪主の家」
あるトンネル工事現場で起こった悲惨な事故の原因は…「盤ぶくれ」
他、隙あらば奇々怪々の世界へと誘われる最新恐怖体験集全19話!

著者コメント

「怪奇異聞帳」シリーズの二冊目、「隙窺いの路」をお届けいたします。二月に単著を出させていただくようになって、十二冊目。干支が一回りしました。怪シリーズ四冊、草シリーズ四冊、蒐シリーズ二冊、そして異聞帳二冊です。最近の四冊は尺の長い話を中心に書いているのですが、そうなると必然的に土地や家などに関わる怪談を書くことが多くなっているように思います。どうやら怪談にはニ種類あって、短い尺で切れ味鋭く恐怖を描くものと、じっくりと起きた怪異に迫っていくものがあようです。本書はまさに後者の典型例のようなものかもしれません。先月末に出版された「怪談七変幻」から引き続き、重めのテイストの話が並んでいます。どうかお好みの方のお手元に届きますように。

神沼三平太

試し読み1話

イヌヅラ

 井戸端会議の常連女性の葛下さんから聞いた話。
 彼女の住む家の隣に、新築戸建てが建った。
 暫くして、そこに夫婦と一人娘が引っ越してきた。最初は仲睦まじい家族のように見えた。引っ越してきた当時は、娘さんはまだ小学生だったように思う。
 その次の春。娘さんの進級のお祝いなのか、それとも誕生日にでもねだったのか、一家は可愛い柴犬の子犬を飼い始めた。
 娘さんが毎日犬の散歩に出ていたし、〈子犬を買ってもらった〉と自慢するように話していたのが印象に残っている。
 ――ああ、家族っていいなぁ。
 ずっと独身で暮らしてきて、数年前に同居していた両親を立て続けに亡くしたこともあって、葛下さんはそう思ったという。
 だが、雲行きが怪しくなったのは、娘さんが中学校に行かなくなったという噂を聞くようになってからだ。
 暗い顔をして犬を散歩している奥さんに対して、葛下さんは声を掛けた。
 すると奥さんは、娘さんが引き籠もりになって、終日自室に籠もっていると打ち明けた。犬の散歩にも一切行かなくなり、結局自分が散歩させているのだと愚痴を零した。
 話によると、どうも彼女は結婚以来専業主婦だそうで、転勤族の夫の仕事で地方を巡る関係から、話し相手も作ることができなかったらしい。
 やっと腰を落ち着けたけど、今の状態では誰にも相談ができないとのことだった。
「娘さんのこと以外でも、何か御苦労なさっているの?」
 心配に思った葛下さんがそう訊ねると、暫く逡巡していたが、最近、夫の様子がおかしくなってしまったのだと打ち明けた。
「――せっかく家も買って、本社勤めになったんですけど、それが悪かったのか、亭主関白みたいになってしまったんです。何か不満なことがあると、私のことも娘のことも殴ったり蹴ったりして。会社では外面良くしているのか、周囲の評価も高いみたいで」
 DVだけでなく、家にも戻らない日が続いているという。
 だが、雲行きが怪しくなったのは、娘さんが中学校に行かなくなったという噂を聞くようになってからだ。
 暗い顔をして犬を散歩している奥さんに対して、葛下さんは声を掛けた。
 すると奥さんは、娘さんが引き籠もりになって、終日自室に籠もっていると打ち明けた。犬の散歩にも一切行かなくなり、結局自分が散歩させているのだと愚痴を零した。
 話によると、どうも彼女は結婚以来専業主婦だそうで、転勤族の夫の仕事で地方を巡る関係から、話し相手も作ることができなかったらしい。
 やっと腰を落ち着けたけど、今の状態では誰にも相談ができないとのことだった。
「娘さんのこと以外でも、何か御苦労なさっているの?」
 心配に思った葛下さんがそう訊ねると、暫く逡巡していたが、最近、夫の様子がおかしくなってしまったのだと打ち明けた。
「――せっかく家も買って、本社勤めになったんですけど、それが悪かったのか、亭主関白みたいになってしまったんです。何か不満なことがあると、私のことも娘のことも殴ったり蹴ったりして。会社では外面良くしているのか、周囲の評価も高いみたいで」
 DVだけでなく、家にも戻らない日が続いているという。
「それは困りましたね」
 葛下さんの心配顔に気付いたのか、奥さんは笑顔を作った。
「いえ。何かこっちばっかり話しててすいません」
「良いのよ。何かあったらまた話してね。家だって隣なんだし、困ったときはお互い様よ」
 奥さんは犬を散歩させに行ったが、その背中には何か嫌なものがべったりと張り付いているように見えた。

 それからひと月ほど経った。
 最近、犬の散歩をする奥さんの姿を見かけないなと葛下さんは思っていた。
 買い物帰りにドアの鍵を開けようとしている隣家の奥さんを偶然見つけて、彼女は声を掛けた。
「奥さん、お久しぶり。あれから――」
 振り返った彼女は、顔に包帯を巻いていた。
 鍔広の帽子を被っていたので、背後からは分からなかったのだ。
「どうしたのそれ!」
 驚く葛下さんの姿を見て、奥さんはボロボロと涙を流した。
「いいからうちに来なさい。大丈夫だから。ね」
 そう声を掛けると、奥さんは無言のまま何度も頷きながら葛下さんの家に上がった。
 リビングダイニングに通して、お茶を出す。
「何もなくてごめんなさい。落ち着いたら話してくれればいい――違うわね。何も言わなくても良いのよ」
 しゃくりあげる奥さんをそのままテーブルに残し、葛下さんは夕食の準備を始めた。
 少し経てば気持ちも安らぐだろうと思ったからだ。
 お茶を替えにキッチンから戻ると、奥さんは大分落ち着いたようだった。彼女は包帯の理由を話してくれた。
 夫に蹴られて階段から転落し、頭を縫ったのだという。
 酷い暴力ではないか。そう憤る葛下さんに、娘もずっとイライラして、家中が酷いことになっているのだと彼女は打ち明けた。
 誰と会っているのか、深夜に出かけて明け方に戻る娘は、母に暴力を振るうようになった。娘にはまるで何かが取り憑いているかのようで、もう会話もない。
 そんな心の通わぬ二人のために、彼女は毎日三人分の食事を作っては並べる。
 夫も娘も家で食事はしないらしい。
 一人寂しく食事をし、次の日に残った食事を食べる。
「今夜は、うちで食べていく――? あ。料理って言っても、全然大したことないよ。期待しないでね。私一人暮らしだから、出せるものも限られているけど」
 そう笑いながら伝えると、彼女はこくりと頷いた。
 そうして葛下さんの家に週に何度か隣家の奥さんがやってくるようになった。
 彼女にしてみれば緊張のほぐれる唯一の機会だったのだろう。時々は控えめな笑顔を見せるようになった。

 ある日のこと、葛下さんの家に顔を大きく腫らした奥さんがやってきて、相談に乗ってほしいと言った。
 鬼気迫る様子に、葛下さんも決定的な何かがあったのだろうと判断した。
「あのね、私、ここに引っ越してきてから、何か良くないことが続いているような気がするの。夫も娘もここにくる前はあんな人ではなかったのに――」
 そう言うと、彼女ははっと気付いた顔で、「長年住んでる人に悪いこと言ってしまってごめんなさい」と謝罪した。
「ううん。それは全然良いんだけど、確かに引っ越してきたときから大分変わっている気がする。それで――相談事って?」
「あのね、笑わないでね。何か運勢が良くなる方法を試したいの」
 ――神頼みだ。
 葛下さんは表情に出さず、心の中で嘆息した。
 彼女にはもう自力でできることは全て尽きてしまったのだ。少なくとも彼女はそう考えている。
「そうなんだ。それなら一人知り合いにいるから、紹介できると思うよ」
 葛下さんは知り合いの占い師の連絡先を教えた。
 その占い師は葛下さんの古くからの友人で、何やら俄には信じられないような話もするが、占いの腕は確かだ。
 葛下さんの紹介なら、驚くような報酬を要求することもないだろう。
 その場でメッセンジャーアプリで連絡を入れると、明日でもいいとの返事だった。
〈ただし、その奥さん一人で来なきゃダメだよ〉
 条件はそれだけのようだった。

 翌々日の午後、葛下家のインターホンが鳴った。
 隣家の奥さんだった。
 彼女は何やら高そうなお礼の品を携えていた。報告とお礼だという。
 葛下さんは断ったが、気持ちだからと言って譲らない。
「それで――占いはどうだったの?」
 そう訊ねると、奥さんは報告してくれた。
 一言目から占い師の言葉は奥さんの心に刺さった。
「あなた――家で犬を飼ってるでしょう? ひょっとして、プロパンガスの近くに犬小屋がない? それが元凶よ」
 とにかく犬の扱いが問題だというのだ。
 占い師の指示通りに、犬小屋を家の北東の方角に置くことにした。
 餌は一日一回とし、散歩も占い師の決めたコースに変えた。
 ――丑寅の方角?
 占い師のことは信頼しているが、彼女が何かを企んでいるように思えた。
 少なくとも、犬小屋を家の丑寅に置くなど聞いたことがない。
 だが、葛下さんはそれには触れずに言った。
「それで色々良くなると良いですね――」

 そこからは早かった。
 一カ月と経たずに、御主人が倒れたとの報告を受けた。
 職場での会議中に頭が痛いと言い出し、そのままソファーに横になって我慢していたらしい。ただ、途中から呂律が怪しくなったのを心配した周囲が救急車を呼んだ。
 診断の結果、脳梗塞だったことが明らかになった。
 初動が遅れたことで、重い障害が残り、今は記憶もあやふやだ。
 葛下さんは、その頃から柴犬が時折狂ったように吠え立てるようになったのに気付いていた。日の当たらない北東の隅に犬小屋を移された柴犬は、十分に散歩させてもらえていないらしかった。栄養不足なのか脱毛も酷く、ガリガリに痩せてしまっていた。
 ある日、葛下さんは、その吠え声が聞こえないことに気付いた。
「もうあの吠え声にも耐えかねたので、保健所に送ったの。占い師さんにもそれが良いって言われたので――」
 やっぱりあの犬が来てから全部がおかしくなったのよ、と奥さんは満面の笑みを見せた。
 別れ際に彼女は言った。
「あのね。私、主人の介護で大変だけど、今が一番幸せなの――」
 その表情に、葛下さんは背筋が凍るような恐ろしさを感じた。

 葛下さんは、その夜に紹介した占い師に電話を入れた。
 奥さんのことも心配だったが、何故一家が不幸に陥るようなアドバイスをしたのかが知りたかったからだ。
「――ああ。あの奥さんね。あれはもうダメよ。あんたも関わらないほうがいいよ。家を買ったのを妬んだ奴に、毒犬を送り込まれてたんだよ」
「毒犬?」
「うん。呪いの一種。友人だと思ってた奴に妬まれたんだよ。可哀想に。だからこれ以上関係しないほうがいい。あの奥さんさ」
 ――そろそろ犬になるよ。
 電話口でそう断言されて、葛下さんはそれ以上会話を続けることができなかった。

 半年ほどして、葛下さんの家のインターホンを押した隣家の奥さんは、黒いマスクを着けており、その言葉はくぐもっていて、酷く聞き取りづらかった。
「葛下さんには占い師の紹介もしていただいたし、お礼をしたいの。もし都合が良かった
ら――上げてもらえる?」
 占い師の〈関わらないほうがいい〉という言葉を思い出したが、葛下さんは断ることができなかった。
 ただ、家に上げたくなかったので、嘘を吐くことにした。
「今日はねぇ、ちょっと片付けを始めてしまって荷物が凄いから、玄関先でごめんなさいね」
 玄関扉を開けると、雨に濡れた犬の臭いが鼻を衝いた。
 久しぶりに隣家の奥さんの顔を見た葛下さんは、何も言えなかった。
 奥さんの顔の下半分が、妙に突き出ている。
 まるで犬のようなシルエットだ。
「聞いてくれる? あのね。うちの娘なんだけど、馬鹿な男にくっついて家を出ていったの。帰ってこいと連絡しても帰ってこないし、今はもう連絡も取れないわ。でも彼女の人生だから仕方がないよね――」
 妙にサバサバした口調だった。
 そして彼女は、夫が昨晩階段から転げ落ちて入院したのだと続けた。これから保険金の手続きをしないといけないと言う彼女は、嬉しそうに目を細めた。
 マスクの下で発される、くぐもった声が聞き取りづらい。
「あ、ごめんなさいね」
 そのとき、奥さんがマスクを掛け直した。
 外した彼女のマスクの内側は涎だらけだった。どうやら喋るときに、長すぎる舌を口の中に納めきれていないようだ。
 彼女は口元から、生臭い息をハァハァと吐きながら続けた。
「私、葛下さんには、本当に感謝しているの――」


―他エピソードは書籍にて―

著者紹介

神沼三平太 Sanpeita Kaminuma

神奈川県茅ヶ崎市出身。大学や専門学校で非常勤講師として教鞭をとる一方で、全国津々浦々での怪異体験を幅広く蒐集する。主な著書に『怪奇異聞帖 地獄ねぐら』『実話怪談 揺籃蒐』『実話怪談 凄惨蒐』、ご当地怪談の『甲州怪談』『湘南怪談』、三行怪談1,000話を収録した『千粒怪談 雑穢」など。近著は、若手実力派二人と組んだ『怪談番外地 蠱毒の坩堝』(若本衣織、蛙坂須美/共著)。その他共著に「恐怖箱 百物語」シリーズなどがある。

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