怪異体験と社会的事件。新たな切り口で迫る怖い話『怪事件奇聞録』(吉田悠軌/著)著者コメント+収録話「S坂の怪 1」全文掲載
怪異体験と社会的事件――新たな切り口で迫る怖い話!
あらすじ・内容
「この怪談を語るたび、必ず悪いことが起こるから」
初めて明かされる絶対禁忌の体験談
(収録話「話してはいけない話を話したこと」より)
・帰宅途中の道に現れるという黒いロングヘアの白い女。調査により明らかになる、とある事件との関係「S坂の怪」
・付き合っていた女性とその子供たち、一緒に暮らしはじめるが不穏なことが…「新しい家族」
・ラジオ番組を録音したはずが聞こえるのは阿鼻叫喚「カセットテープ」
・聞いた人ではなく話をした人に悪いことが起きると、頑なに口を閉ざす男。その話とは? 男の顛末は? 「話してはいけない話を話したこと」など。
実際の事件や事故にまつわる怪異、そしてあくまでも個人が体験した一回性の怪異――誰かが体験して話し、誰かが聞くことで怪談が生まれる。その現場を目撃せよ!
著者コメント
試し読み1話
S坂の怪 1
新宿にあるS坂はやけに狭く、昼でも日陰に沈んでほの暗い。
一方通行の車道のすぐ両脇を、古い低層ビルと崖のように切り立った高い壁が挟んでいるからだ。喩えるなら、鎌倉の切通しをコンクリートに変えたような景観とでもいおうか。
そこは江戸時代、寺の地所を削って新設した坂らしい。なので高い壁は土地を削ることによってできた傾斜、建築用語でいう「切土法面」なのだろう。
とはいえこのS坂、大通りを避ける裏道として意外に交通量が多い。私もテレビ局の仕事終わりにタクシーに乗せてもらえると、たいていそこを通り抜けて帰宅していたものだ。
アップダウンの激しい地形が好きな私は、人工の谷底であるこの坂をまじまじ眺めながら、なんだか怪談にふさわしい場所だなあと感じていたのだが。
それは的外れな感想ではなかった。
不動産関係の仕事をしている義男さんに、何度か取材を重ねたことがある。
彼は二十年前、S坂の近所に住んでいたそうだ。
「その頃は、四谷の荒木町が主な遊び場でした」
深夜まで営業しているバーと飲食店を夜っぴきハシゴしてまわった末、明け方近くに家を目指す。その時いつも通るのがS坂だったのだ。
当時は両サイドの壁の上に高い樹木までもが生い茂っていたので、暗闇の濃さは今以上だったという。ただ先述どおり車の通行も多く、街灯が付いた電柱もぽつぽつ並んでいたため、特に恐怖は感じていなかった。
「これはもう時効ってことで告白しますが……」
S坂に並ぶ電柱のうち、特定の一本の陰にそっと隠れて立小便をするのが義男さんの日課だった。
コンクリートの壁に向かって放尿すると、激しい水音とともに湯気がたつ。落とした目線の先、地面に近い部分の壁は、そこだけ古い石垣だったことを今でも覚えているそうだ。
その日も、義男さんは午前をとうにまわる時刻に、ようやく荒木町を後にした。とぼとぼと自宅近くまで辿りつき、鼻歌まじりにS坂を下る。すべてがいつもと同じルーティン、膀胱も勝手にいつもの準備を始めている。
目当ての電柱が見えてきたところで、その夜だけの異変に気付いた。
電柱の脇に、夜目にも白い人影が立っていたのだ。
女のようだ。その顔がやけに白い。着ているのはこれも上から下まで白い、大きめのダボついたドレス。
そんな白一色の中、パーマのかかった黒いロングヘアがうねっている様子も見て取れた。
……こんな時間に、女が一人?
当然、この状況で立小便などもってのほかだ。というより我慢するまでもなく、尿意が自然と消え去ってしまった。
その女の姿が目に入ったとたん、全身に危険を報せるシグナルが鳴り響いたからだ。
これは違う。外見はまったく普通の女性。特徴的なファッションをしているが、非常識な点はいっさいない。しかし、これは違う。
そう思いながらも、足は前へと進んでしまう。
一歩、二歩、白い女と電柱がもうすぐ近くへと迫っていく。
と、そこで女の姿を見失った。目をそらしたわけではないのに、古いトリック映画さながら、周囲の風景から女だけが一瞬で消え去ったのだ。
それでも足はまた一歩、二歩と前へ進む。電柱の真下へ辿り着くと、その道路上に黒い染みが広がっているのが分かった。さきほどまで女が立っていた地面が、ぐっしょりと濡れていたのだ。
しばし茫然と眺めたが、その水たまりが消えることはなかった。となるとあの白い女も、アルコールによる目の錯覚ではなさそうだ。
……ついてくるなよ……。
思わず、そんな言葉を心の中でつぶやいた。
駆け足で帰宅した義男さんは、トイレだけ済ませると急いでベッドに潜り込んだ。
とにかく早く寝てしまおうと両目を閉じたその瞬間。
パン! という破裂音が顔のすぐ前で弾けた。
とっさに瞼を開く。女の顔がそこにあった。
互いの鼻がつきそうなほどの至近距離で、無表情の顔が視界いっぱいに広がっている。
さっきの女だ、と直感的に理解した。あまりに近いため、あのダボついた白い服もうねったロングヘアーも見えてはいない。それでもあの女だと確信できる。
こちらの額や耳元にポタリポタリと冷たいものが滴ってきたからだ。ほぼ視界の外だが、それがなにを示しているかは分かる。
ぐっしょりと濡れた髪の毛から、水滴が落ちているのだ。
声を出せず動くこともできないでいると、喉元がぐうっと圧迫されるのを感じた。明らかに、首を絞められている。
そこで周囲に甲かん高だかい音が鳴り響いた。救急車のサイレンに似ているが音階が違う。
──いぁ~うぃ~いぁ~うぃ~いぁ~
並びの崩れた、耳障りな音がリフレインする。
苦しみのあまり勝手に瞼が閉じる。不快な音が大きくなる中、もはや呼吸もできなくなった。額に滴る水滴は、ボタボタボタと勢いを増していく。
……このまま死ぬんだな……。
諦めとともに全身の力が抜けた。
すると箪笥や扉、襖といった部屋中の木材がガタガタと揺れる音が聞こえてきて。
……他にもう一人、誰かいる……?
なぜかそう感じたところで、意識を失った。
目覚めると、窓の外から朝日が差し込んでいた。
とっさに時計を見れば、帰宅から三時間ほどが経過している。
夢を見たのか……との考えは数秒で打ち消された。
ベッドの掛け布団のあちこちが、黒く滲んでいたからだ。そのシミは、細長い足のかたちをしていた。汚水による足跡が、いくつも布団に残されていたのである。
いたんだ、あの女は確かにいたんだ。
そう思った瞬間、首元に違和感が走った。とっさに触れた右手がぬるりと滑った。
首になにかが巻きついている。慌ててそれを引きちぎると、ブチブチという音とともに、ぐっしょり濡れた長い髪の毛が何本も指先に絡みついてきた。
洗面所に駆け込んで鏡を見ると、首まわりがぐるりと一周、赤く腫れあがっていた。
まるで巻きついた髪によって、その皮膚が毒されたかのように。
「それから女は二度と現れませんでしたが、もうあの坂道を通ることはやめました」
義男さんが体験談を語り終えたとたん、私は体を前に乗り出した。
話の最中に浮かび上がってきた幾つもの質問を、ずっと我慢していたからである。
――続きは書籍収録の「S坂の怪 2」をお楽しみに!
さらにもう1話!
こちらより公開!
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著者紹介
吉田悠軌 (よしだ・ゆうき)
著書に「恐怖実話」シリーズのほか『中央線怪談』『新宿怪談』『教養としての最恐怪談』『ジャパン・ホラーの現在地』『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』『現代怪談考』、「怖いうわさ ぼくらの都市伝説」「オカルト探偵ヨシダの実話怪談」シリーズなど。共著に「煙鳥怪奇録」シリーズ、『会津怪談』『実話怪談 牛首村』『実話怪談 犬鳴村』など。月刊ムーで連載中。オカルトスポット探訪雑誌『怪処』発行。文筆業を中心にTV映画出演、イベント、ポッドキャストなどで活動。