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徹底的なリサーチで怪異をリアルに浮き彫りにする川奈怪談最新作『実話奇譚 邪眼』冒頭の長編試し読み、朗読動画

体験者を徹底取材!
精緻な調査で恐怖の真髄を暴く川奈怪談

あらすじ・内容

1000人を超える怪異体験者に取材を敢行、徹底的なリサーチで怪異をリアルに浮き彫りにする川奈怪談、その真骨頂が堪能できる一冊。

・釣りが好きな女性が住んだアパートで起きる奇妙で恐ろしい怪異の連鎖…「
・とある私鉄の新宿駅の地下に今も出没しているのは…「新宿駅の地下一階
・女友達からの邪な呪いが送られる…「邪恋
・父親の家族の壮絶な因縁…「三兄弟
・地方の格安で買った家の屋根裏から骨が納められた箱が出てきた…古い民間信仰なのか土地の謂れなのか考察する…「クダの匣
――など22話を収録。

試し読み

 怪談作家を名乗る者、ことに実話にこだわる者は、私を含め、体験談を集めることに汲々きゅうきゅうとせざるを得ないものだ。
 私は、月に一五人から二〇人あまりの怪異体験者さんを取材するが、これは、〆切を恐れる私の小心と、量で稼ぐしかない貧乏性及び才能の欠如の結果にすぎない。
 ともあれ、取材した体験者さんは一〇〇〇人を超えた。
 一人の体験者さんが一回のインタビューで何話も話してくださるときもあるから、今までに傾聴した話の数も相当なものだ。昨年の夏に雑誌の取材を受けるにあたって数えてみたところ約五〇〇〇話もあった。現在はさらに増えている。
 数だけは、長年愛読している根岸鎮衛ねぎしやすもりの『耳嚢みみぶくろ』を超えたわけだが、これだけ集めると、玉石混淆ぎょくせきこんこうぶりも『耳嚢』に似通ってきた。
 本家には、怪談どころか奇譚と呼ぶのもはばかられる話も少なくない。『耳嚢』第一巻第一話からして、禅僧と商人の毛抜きと鼻毛を巡るダジャレ合戦なのだから。
 そんな話は怪談集には載せられない。怪談としては、勘違いでは済まない怪異を伴い、奇妙かつ恐ろしい話が理想的であろう。
 しかも実話縛りで……となると、これがなかなか出逢わない。
さらに、怪談慣れして恐怖に耐性ができている私でも、震えあがってしまうような話となると、本当にまれだ。
――今回は、稀な例をご紹介したい。

 私が思うに、釣りにる人は、最終的には水辺に近い所に住む傾向がある。
 三三歳のその女性、織香あやかさんも、例外ではなかったようだ。
 海に近く、近所に川も流れている、神奈川県某所に六年前から住んでいらっしゃる。
 しかし、その前にいたところも釣り場までのアクセスが良かったそうだ。釣りに凝りだしたのは小学生の頃だそうだから、歳は若くても年季が入った釣り師である。
 釣り竿やリールにはこだわりがあるが、住居については、駐車場と駐輪場があって、家賃が手頃で釣りに行きやすければ、後はどうでもいいという。
 今の住まいも、賃料が破格に安い代わりに、古い汚い狭いの三拍子が揃っている。
 釣り好きとして残念なのはベランダがないことだったが、幸いすぐに大家と仲良くなれたので、道具や長靴を庭に干させてもらえるから支障がない。
 大家は七〇代半ばのおばあさん。入居から間もなく、千円ぐらいのお駄賃と引き換えに、庭の草むしりやお使いをお願いされるようになった。半日がかりでスマホの使い方を教えてあげたこともある。何を頼まれても毎度快く引き受けていたところ、なんとなく孫扱いされだして、たいがいのことは大目に見てもらえるまでになった。
 アパートは、おばあさんの連れ合いが健在だった頃に、庭先に建てた二階建て。
 一階に二室、二階に三室の、合計五室があって、織香さんは二階の真ん中の部屋、202号室を借りている。
 一階の101号室には、おばあさんの弟が住んでいる。無口な老人でアパートの外には滅多に出ない。けれども、201号室のAさんとは親しくしていて、庭で立ち話する二人や、101号室に出入りするAさんをたまに見かけた。
 Aさんはアパートができた頃からの、つまり昭和五〇年代からの住人だと聞いていた。
 五〇代の独身男性で、織香さんと一度だけ立ち話をしたことがあった。
 入居から半年ほど経った、葉桜の頃だ。
 名残の花がぽそぽそ咲いた快晴の土曜日、明け方から自転車に乗って川釣りに行き、午後早くに帰ってくると、アパートの庭にAさんがいたのである。
「釣りですか?」と話しかけてきた彼も、彼女と同じく釣行ちょうこう帰りのいでたちだった。
 同好の士と出逢ったことが嬉しいようで、頬を緩ませている。
「僕も〇〇川から帰ってきたところです」
 まさにその川で釣りをしてきたところだったから、彼女はちょっと驚いた。
「私も〇〇川に行ったんですよ。河口へ、シーバスを釣りに」
 バスやシーバスはキャッチ&リリースするのが常識で、彼女も、今日釣った魚はみんな生きたまま川に放してきた。
 対するにAさんは釣果ちょうかを持ち帰ったようで、クーラーボックスを重そうに提げている。
「僕はこい釣りが好きで。車で川上の方へ……。いつもはリリースするんですけど、今回は小ぶりなのを一尾だけ捕ってきました。春の鯉は甘くて美味しいから」
 彼女は、鯉の身は泥臭い気がして苦手だった。だから、つい「そうですか」と素っ気なく応えてしまったが、Aさんは彼女にうらやましがってほしかったのかもしれない。
 その後は会話が弾まなかった。間もなく、それぞれの部屋へ引き揚げた。

 やがて水曜日になった。明け方、救急車のサイレンの音が間近に迫ってきたせいで、目が覚めた。アパートの前で停車したようだと思っていたら、次いで、鉄の階段を踏み鳴らして二階へ上がってくる、大勢の足音に鼓膜を搔き乱された。
 階段は、この部屋の真ん前だ。うるさくて、到底、寝ていられない。
 ドアを開けて外のようすを見ると、救急隊員たちが隣のAさんの部屋へ入っていくところだった。すぐに大家のおばあさんや101号室の弟さんも階段を上ってきた。
 おばあさんも驚いている。と、いうことは、Aさんは自分で救急車を呼んだのだ。
 駐輪場で会ってから四日も経っているから、鯉にあたったわけでもあるまい。
 間もなくストレッチャーに乗せられたAさんが部屋から運び出されてきた。
 固く目をつむり、顔が土気色をしていた。酸素マスクで口もとを覆われているが、胸が上下しておらず、息をしているようには見えなかった。

 その夜、彼女が仕事から帰って寝る支度をしていると、何かがコツコツと窓を叩いた。
 ベッドの横にある、腰高のガラス窓。そこをコツコツと叩き続ける音がする。
 風で揺すられた木の枝が、連続してガラスに当たっているかのようだ。
 だが、そちら側には木など生えていなかったはず。また、Aさんがいた201号室の窓からも、反対側の203号室の窓からも、手の届く距離ではない。
 もっとも、窓の下には路地があり、そこから小石を投げつけられないこともない。
 石にしては優しい音だが。そう。まるで礼儀正しくドアをノックしているみたいな……。
 カーテンは閉まっている。コツコツ、コツコツ、音が続く。
 たっぷり三分ほど、窓の前で織香さんは固まっていた。
 音が止んでから、ようやくカーテンを開ける勇気が湧いた。思い切って開けてみた。
 ――ガラスに当たりそうな枝はおろか、何も見当たらず、窓を開けて周りを確認したところで、どこにも変わったところがなかった。下の路地にも、人っ子ひとりいない。

 翌朝、大家のおばあさんから、Aさんは搬送中に臨終が確認されたと聞かされた。
「心不全ですって。五十路いそじなんて、早すぎますよ。お気の毒に」
 そう聞いた途端、昨夜の窓を叩く音が脳裏に蘇って、少し背筋が冷える思いがした。
 ところが、その晩、帰宅すると、アパートの建物の前にAさんが立っていた。
 死んだというのは、おばあさんの勘違いだったのだと思った。
 しかし、ホッとしたのも束の間、Aさんのようすがおかしいことに気づいた。
 棒立ちの姿勢で、ただ、上を向いて口を開閉しているのである。
 左右の腕をぴったりと体の両脇につけて、両脚を閉じた、何か不自然な立ち姿だ。
 動かしているのは口だけ。左右の眼は大きく見開いている。だが、二階を見上げているようでありながら目の焦点が合っていなさそうで、しかもまばたきをしていない。
 ひたすら口をパクパクと開けたり閉じたりしている。
 そして、口が開くたびに「ズーッ」という、ある種、電気的な振動音のようなものを咽喉のどの奥から発しているようだとわかったが、あまりにも不気味で、とてもではないが彼に声を掛ける気になれなかった。
 Aさんから目を逸らして小走りに階段を上り、部屋に飛び込み、ドアに鍵を掛けた。
 その夜もまた、窓がコツコツと鳴らされた。昨日と同じで、三分ほどで鳴り止んだ。
 ――呆れたことに、朝になっても、Aさんは同じ場所に立っていた。

――続きは書籍にて!

著者紹介

川奈まり子 (かわな・まりこ)

怪異の体験者と土地を取材、これまでに5000件以上の怪異体験談を蒐集。怪談の語り部としてイベントや動画などでも活躍中。単著は「実話奇譚」「一〇八怪談」「八王子怪談」各シリーズのほか、『実話怪談 穢死』『赤い地獄』『実話怪談 出没地帯』『迷家奇譚』『少年奇譚』『少女奇譚』など。共著に「怪談四十九夜」「瞬殺怪談」「現代怪談 地獄めぐり」各シリーズ、『実話怪談 犬鳴村』『嫐 怪談実話二人衆』『女之怪談実話系ホラーアンソロジー』など。日本推理作家協会会員。

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