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「ほんとうの自分」は空白にいる
「ほんとうの自分」ってなんだろう?
普段の日常を生きているとき、ふと、感じるときがある。
これは、
この人生は、
自分の「ほんとう」だろうか?
これは、
自分が「ほんとうに」生きたかった人生なんだろうか?
ただ単に、人生という「流れに」「無意識」に「無選択」に「機械的に「反応的」に生きてきただけ、なんじゃないだろうか?
昨日も書きましたが、何かショッキングなことが目の前に起こると、
いままで無意識で生きてきたそれまでの「プログラム」が「停止」することがあります。
安全に、予定調和のなかで、無理せずにサバイバルしていく、という『自我(エゴ)』のプログラムが強制停止がかかることがあるんです。
すると、今まで頭の中に走っていた「思考」がとまります。
思考停止
という状態になります。
僕たちは、いつも、つねに、あたまのなかで「しゃべって」います。
あ~でもない
こ~でもない
あ~なったらどうしよう
こ~なったらどうしよう
もっとああすればよかった
もっとこうすればよかった
心の中は、いったりきたり。
ほとんどの場合、、過去と未来を行ったり来たり。
つまり、後悔(過去)と、不安(未来)ばっかりで、「いま・ここ」にはいないってことです。
そして、その頭の中のおしゃべりは、目が覚めている間じゅう、ほとんどずっと続ているんです。
でも、自分がそれに「気づいて」いない。
しゃべっていること自体に、「気づいて」いない。
でも、ショッキングな事、出会いが目の前にやってきて、そのおしゃべりが「停止」したとき、「空白」が生まれます。
そう、そうなんです。
自分の「ほんとう」は、その「空白」から聞こえてくるんです。
頭の中でおしゃべりを続けていると、「空白」が生まれる「隙間」がありません。
おしゃべりで埋め尽くされていると、「空白」「隙間」は生まれないんです。
ですから、ショッキングな出来事や出会いは、ほんとうの自分にアクセスする「チャンス」です。
今回の「さといぬ」第2話はそういうお話です。
主人公「ジョン」の「思考」が停止して、「空白」が生まれる。
お楽しみください。
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