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「5年後も、僕は、生きています。⑤生きてるだけで、いいんです」

「5年後も、僕は、生きています。⑤生きてるだけで、いいんです」」

第5回「生きてるだけで、いいんです」

あっという間に次の診察日8月10日になりました。

ステロイドを止めた事による身体のダルさは相変わらず続いていて、胸の中のチクチクや、肋骨がつ~んと痛くなったりすることが気になっていました。

夜、布団の中で横を向くと、肺がつぶれるせいか、息苦しくてまだ横を向いて寝ることが出来ませんでした。肺活量が絶望的に下がっていたので、大きく息を吸い込めず、あくびも出来ない状態が続いていました。

治ってきているとは思っていたけれど、不安もありました。

身体は、ホントに大丈夫なんだろうか?

血液検査の結果がまた悪くなってるんじゃないだろうか? 

診察室に入る前、少しドキドキと心臓が高鳴りました。

この当時の僕は、まだ不安を客観視することがうまく出来ていませんでした。

サレンダーを経験して、不安や恐れに巻き込まれてしまったり、それをむりやり打ち消そうとするようなことは少なくなありましたが、診察の直前は心臓の高まりを抑えることが出来ませんでした。

これが、再発の不安ってやつなのかな…

やはり体調が悪いと、気持ちも引きずられて下がってしまう僕がいました。

名前を呼ばれて診察室に入ると、井上先生が嬉しそうに言いました。

「血液検査の数値、また下がっていますね」

ほっ…よかった…

僕の心配をよそに、血液検査の数値は更に改善していました。腫瘍マーカーCEAは7月20日に計った34.2から、約1ヶ月で半分近くの16.6まで下がっていました。

これで基準値の5.0以下が現実的な数値として見えてきました。

骨転移の指標としているALP(基準値322)は536から393へ、肝臓転移の指標としているKLー6(基準値500)は1157から829へ、それぞれ調子よく下がっていました。

井上先生は血液検査のデータを見ながら言いました。

 「念のため、もう2週間、アレセンサを半分の量で服用しましょう。次回の数値を見てこのまま問題なければアレセンサの量を通常量に戻すことにしたいのですが、よろしいですか?」

 「あ、はい、わかりました」

最近の身体のだるさや体調不良も重なって、一日でも早くアレセンサを通常量に戻したいという気持ちもありましたが、僕は井上先生の指示に従いました。

 ま、そんなに早く元に戻る訳ないな。だってまだ退院してから1ヶ月なんだから。

 焦らない、焦らない。

翌々日の8月12日、僕は家族と一緒に実家に帰省しました。

実家には両親と姉夫婦、姉の長男と僕の4人の家族、全員で9人が揃いました。

僕のつるつる頭を見慣れていないはずなのに、みんな何も言わずに笑顔で迎えてくれました。

「ね、結構似合うでしょ。お坊さんみたいでしょ。このまま出家しようかな」

僕が両手を合わせて般若心経を唱えるふりをすると、みんな笑いました。

「おととい診察があってね、また数値が落ちてたんだよ。CEAが16.6まで下がってたんだ」

「それってすごいの?」母が聞きました。

「うん、入院してたときは50だったからね。基準値は5.0なんだ。だからこの調子でいけば、もうすぐ基準値にはいるよ」

「すごいね~…ホントに良かったわ~」母の目がうるみました。父も言いました。

「最新医療は本当に素晴らしい。奇跡みたいなことが起こるんだ。いや、最先端の医療技術はどんどん進んでいるんだ。人類の進歩はすごい。さすがは東大病院」

父は少し言葉を詰まらせると、続けて言いました。

「本当に良かった。本当に感謝しかない。実は入院する前にお母さんと三人で会ったとき、健が帰った後お母さんが泣き出しちゃってね。あのままだと、あまり長く持たないかもって…」

父はしんみりと母を見ました。父に代わって母が口を開きました。

「あのときは正直、もうダメかもって思ったの。会うたびにどんどん痩せていっちゃうし。

でも目だけギラギラしていて、大丈夫・大丈夫って言って、私たちが何を言っても聞きそうになかったし…

お父さんと、もう健に任せるしかないって言ってたの」

「そうなんだ…」

「私もお父さんも、ほんとうに、どれだけあなたの身代わりになりたいって思ったことか…

毎日神様にお祈りしていたの」

僕は闘病中の母の気持ちを初めて聞いて、何も言えませんでした。

「でも、本当によかった。神さまに感謝だわ。ああ、なんてありがたいのかしら」

母はそう言って、手を合わせました。

「そうだね、ほんとうにありがたいこどだね」父もうなずきました。

「私はね…」

母はそう言うと、言葉を詰まらせました。

「…あなたがね、生きていてくれるだけでいいの。

健が生きているだけで、私は幸せなの。

それだけでいいの…」

母はそう言って、目をうるませ、涙をふきました。

そのとき、僕は気づいたのです。

そうなんだ…

生きているだけ…

生きているだけで、生きているだけで良かったんだ。

そうか…そうだったんだ…

僕たちは、自分にいろいろと制約をかけています。

~しなくちゃダメ

~できなくちゃダメ

~してはダメ

~までクリアできなくてはダメ

迷惑かけちゃダメ

完璧じゃなくちゃダメ

他人を喜ばせなくちゃダメ

一生懸命頑張らなくちゃだめ

弱いとダメ

役立たないとダメ

早くこなさなきゃダメ

あ~でなきゃダメ

こ~でなきゃダメ

あ~しなきゃダメ

こ~しなきゃダメ

ダメ、ダメ、ダメ…

いっぱい、いっぱい、自分に制約をかけて、ダメ出しを続けて、

その制約をクリアしたときだけ、ちょっとだけ自分にオッケーを出す。

僕は、自分が完璧でなくてはダメだと思っていました。

完璧でない自分は存在してはいけない、くらいに。

僕はそうやって、自分に負荷をかけ続けたのでした。

だから、ガンになった。

ほんとうは違う。

人は、生きているだけでオッケーなんだ。

それだけで、それだけで良かったんだ。

父も母も、最初からそうだったんだ。

僕の勘違いだったんだ!

僕は、最初っから、生きているだけでオッケーだったんだ。

それなのに、僕は勝手に壁や思い込みを作って、自ら作ったその壁や思い込みで病気になってしまったんだ。

それが、僕の気づきでした。

ガンという体験は、そういう自分で作った思い込みや壁がほんとうは幻想だった、と言うことを気づかせてくれたのです。

そう、完全でなければ生きていてはいけない、という思い込み、あれは僕が自分で勝手に作り上げたフィクションだったのです。

「ありがとう。ご心配をおかけしました。とりあえず、もう大丈夫です。ガンはほとんど消えたし、数値も順調に落ちてるから」

「会社の方はどうなの?」

「うん、11月末の休職期間いっぱいまで、休んでいいって言ってくれてる」

「そうか、それは本当に助かるな」

「いい会社ね~」

「ホントにいい会社だよ」

僕は、心からそう思いました。

そのとき、僕はその後の会社や仕事の予想外の展開など、まったく知る由もありませんでしたが。

第6話へ続く

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読んでいて、泣けてくる人が多いそうです。

僕も泣きながら書きました(笑)

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