❓❕【哲探進歩/てったんしんぽ】❕❓…8歩目(白川郷とネパールから見えた未来の姿)
🐾8歩目(白川郷とネパールから見えた未来の姿)🐾
(「散歩」で気づきを得て、「探究+哲学」で考察を重ね、「進路」で学問・仕事と結びつける)
「散歩…気づきの土台・地面」
博士ちゃんという番組の新春スペシャルで白川郷が扱われていた。スペシャルでは世界遺産に非常に詳しい少年が伊集院光と白川郷を訪ね、建物の中を見学したり、合掌造りの郷の景色に見入ったりしていた。
白川郷を俯瞰で捉えると、世界遺産として、その歴史的な価値が認められたかつての風景が残されている。しかし、建物に近づくとその内部では現代の生活が営まれているのである。
「探究<課題の設定>…気づきの芽」
なぜ、世界遺産であるものにも関わらず、そこで現代的な生活が許容されているのだろうか(❓)。
「探究<情報の収集>…気づきへの無機養分」
自然と密接な関係で歴史が刻まれてきた合掌造りは、あくまでも人為的な建造物なので、時間とともに劣化するのは仕方のないことである。また、地震や大雨や大雪などで破壊されることもあれば、乾燥による自然発火で焼失することもある。人為をあくまで自然の一部と捉えるならば、そういった自然の力で失われることも、自然の摂理として受け入れるのが道理であると主張する人もいるだろう。
ただ、歴史的価値を重んじ、一度失われてしまえば、かつての価値をそのまま再生させることができないと考え、劣化を防ぐため補修をしたり、焼失を防ぐため消火設備や消化体制を整えたりすることの大切さを主張する人もいる。実際、白川郷では生活のルールが細かく定められていて、例えば花火など火気厳禁である。また、それぞれの家に脇に消火用のポンプが設置されていて、もし火事が発生した場合には、各自がそれを操作して延焼を防ぐことになっている。
「哲学…気づきへの水」
20世紀初頭、環境問題に関する考え方には二大潮流があった。一つは、産業社会の発展を前提とし、自然や環境は人間に利用されるものと考えた上での全体最適を目指す人間中心主義寄りの考え方である。もう一つは、自然や環境を原生のまま保つことを最優先する自然中心主義寄りの考え方である。前者は「保全主義(Conservationism)」と呼ばれ、ギフォード・ピンショーが代表的な思想家であった。後者は「保存主義(Preservationism)」と呼ばれ、ジョン・ミューアが代表的な思想家であった。
「探究<整理・分析>…気づきの剪定」
先ほど述べた白川郷をどのように捉えるかという2つの主張も、保全主義と保存主義と重なる部分があると思われる。建造物の劣化を受け入れるというのは、自然を原生のまま保つことと重なり保存主義寄りと言える。そして、人間が建造物に関わり続け、人為によって管理していくというのは、人間に利用される上での全体最適を目指すことと重なり保全主義寄りと言える。
しかし、人間が建造物に関わり続けるとしても、白川郷のように合掌造りの中で現代的な生活を普通にしているのは、果たして全体最適といえるかというと疑問もある。確かに建物内部は普通の家屋と変わらないような様子なのだが、合掌造りに配慮したような細かなルールがあるため、そこで生活する人間は多かれ少なかれ窮屈な思いをしているはずである。それならば他の現代的な家屋に移り住んだ方が、気を使わなくて済むだろう。それに普通に生活している以上、何らかの不手際で、建造物の破壊や焼失のリスクも高まると考えられる。だから、住民は近隣の現代的家屋に移住し、合掌造りについては管理組合などが定期的に補修点検した方が全体最適になるのではないだろうか。
この問題をさらに細かく考えるため、シンキングツールの「マトリクス図」を用いてみる。マトリクス図の2つの軸として何を設定するかを考えたとき、私は白川郷の風景と類似した風景を思い出した。それは私が2年前にNGOのボランティアキャンプで訪れたネパールの山村の風景だった。
ネパールはインドに接する国境付近には平地が広がるが、ヒマラヤ山脈が国土の大部分を占める内陸国である。私はヒマラヤの山奥の村で一週間ほどホームステイをしながらボランティア活動を経験した。空港がある首都カトマンズから長距離バスで4時間かけ、いくつもの山を越えたところに村があった。多くの人は山間の低い場所に住んでいるものの、山の斜面にも家屋があった。私がホームステイした家も低い場所から少し上った所にあった。山の斜面に合わせていくつもの建物があり、一家の長である夫婦が生活する建物、長男夫婦が生活する建物、次男夫婦が生活する建物、調理場と食事場所を兼ねた建物、ゲストが宿泊する建物などが所狭しと並んでいた。
崖のようなギリギリの場所にベンチやテーブルが置かれ、日本でいう縁側のようなスペースもあった。朝になり、そのスペースから見渡す風景は圧巻であった。標高が高いので、雲が低いところを漂っていて、ふもとの家に覆いかぶさっているような不思議な世界だった。山と山に挟まれた空間を利用して人間の生活が営まれている様子は、白川郷にも通ずるものがあり、自然や環境と人間との関わりが一体的であるように感じた。ここから、マトリクス図の一つの軸は「自然や環境と人間との関係性」となる。
また、ネパールの人々は山の恵みに感謝をして生活をしていた。その山に対する接し方は山を霊的なものと捉えているようで、山などの自然や環境は彼らにとって単なる物質的なものではなかった。白川郷の方たちも、合掌造りを含め自分たちの周りの自然や環境を単なる物質と捉えていないからこそ、彼らは合掌造りとともに営みを続けているように感じた。ここから、マトリクス図のもう一つの軸は「自然や環境の捉え方」となる。
そして、合掌造りの方も、自然だけでなく人間も含めた様々な生きとし生けるものと関わり合う時間を過ごすことを望んでいるのではないだろうか。それは、建造物が人為的なものである以上、彼らを生み出した人間とともに存在することを喜びとしていると考えても不思議ではないからである。建造物は、人間の記憶から忘れ去られることを積極的に望んではいないだろう。だから、記憶から忘れ去られた後に起こる変化(劣化や風化)よりも、人間とともに過ごすことで起こる変化(破壊や焼失)を受け入れたいと思っていて、仮にそれによって前者の変化よりも早く姿を消すことになっても、それは仕方がないことであるし、幸せだったと考えることができる。
「探究<まとめ・表現>…気づきの花」
ネパールの山村はヒマラヤという屈強な自然が壁とになり、急速な人為の変化を抑えて、人間と自然や環境との共存を保っている。白川郷も同様である。それらの姿は未来に残したい風景ではあるが、かつての営みを時計の針を止める形で、できるだけありのままの姿に留めておくという保存主義が優先されているわけではない。かといって、保全主義の観点から、人間のために自然があるというような人間優位の捉え方ではなく、あくまでも人間は自然によって生かされ存在しているという感謝の気持ちに溢れている。だから、かつての保存主義でも保全主義でもない考え方となる。それは「自然や環境と人間との関わり」に「時間経過の必然」を含めて導かれる考え方で、時間を留めておきたいという理想は求めず、いかに持続可能を目指すかというかなり現実的な考え方である。この考え方は「エコロジズム」という名でよばれているものと一致すると私は考えている。ネパールの風景も白川郷のそれも、「未来に残したい」から、「未来に繋げたい」に昇華した風景として、人間と自然や環境が一体となり、持続可能という輝きを放っている。
「進路…気づきの果実」
今回の考察によって、人間と自然や環境との関わりとして目指すべきは、典型的な保全主義でも保存主義でもなく、持続可能性に基づいた「エコロジズム」であることが明らかになった。ここから、学問の一例として「風景学、民俗学、文化人類学、環境学」など、仕事の一例として「フォトグラファー、学芸員、レンジャー」などが連想される。
最後に、未来に『繋げたい』風景の動画を紹介しようと思う。
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