❖足元美術館XIII(気高き生き様)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年6月13日)
◆足元美術館XIII(気高き生き様)◆
けっして同情のような気持ちなど抱いてはいけない。
奴は可哀そうでも寂しそうでもないのだ。
他の仲間と一緒に暮していた花束の中から、はぐれて道端に落ち、気づかれないまま放置されてしまっているとしたら、そんな気持ちになってもよいだろう。
だが奴は違う。
奴は自ら望んで現在の境遇に身を置いているのである。
「光栄ある孤立」
仲間を欲し、所属することに安心感を持ちたい者からすれば、独りであることは身が引き裂かれるような思いになるだろう。
だが奴は違う。
そうやって他者との繋がりに依存するような受動的な生き方を無意識にしている人々は、「本当の自由」というものの宿命ともいえる「孤立」に不安を覚えてしまう。それは、フランクフルト学派のエーリッヒ・フロムに言わせれば「自由からの逃走」にほかならない。100年も経っていない少し前の時代に、そうした精神構造が、人々をファシズムへと向かわせてしまったとフロムは分析している。
いわゆる「権威主義的パーソナリティ」である。
だが奴は違う。
奴はそうして人々を惹きつけてしまったファシズムと戦ったイギリスの精神を引き継いでいるのである。イギリスがファシズムと戦っていたとき、イギリスは「光栄ある孤立」ではなかったが、「孤立」からは離れても「光栄ある自由」の価値は守っていた。そして「自由」のために「孤立」を離れて戦った。
そんなイギリスの気品が奴からは感じられる。
奴の周りには悲しさや寂しさは微塵も感じられない。
奴の気高き生き様それ自体がアートを構成している。
ちなみに「気高い」はタイ語では「スーン ソン(สูงส่ง)」という。スーン(สูง)は「高い」を意味し、ソン(ส่ง)は「送る、提出する、言う、発する」などの意味を持っている。
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