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我楽多だらけの製哲書(70)  ~コラムの整理整頓とゴッホ~

Facebookでの本格的な投稿を開始してから、早いもので7年が経とうとしている(noteは去年くらいから並行して投稿を開始)。当初は、日常の出来事の中から抽出できそうな論点について一般化し、それを先哲の思想と結びつけることを狙いとした「日々の教養」というシリーズのみであった。そのときは、自分の専門である公民の知識を、日常生活と積極的に結びつけることができれば、公民の知識が授業だけで終わらず、日常生活と密接な関係を持っていることを具体化できるのではないかという思いつきであった。

その後シリーズのタイトルを、現在の「我楽多だらけの製哲書」に変更した。こちらの方が、教養を伝えるというような押し付けがましさがなくなり、自分で勝手に趣味の領域として、思いつきのガラクタにすぎないという気軽さから綴ることができるようになった。

最近は別のシリーズでの投稿が増えたため、シリーズ第一世代の「我楽多だらけの製哲書」の投稿数は低調であるが、それでも現在まで数えてみると「349」であった(noteにおいては、登校開始時期が最近なので、当然にこれよりも少ない数である)。

その後2021年になり、シリーズ第二世代として「少々見聞録」と「ファートンいきもの記」がスタートした。

これら3つのシリーズの関係性について、以前の投稿で私は次のように文章で整理をしていた。
「製哲書」は、日常の出来事を材料にして、それを先哲の思想と結び付けて考察する表現形式であるため、人文学・人文科学が中核に位置する。ただ日常の出来事を材料にしている以上、人間の心理や思考をテーマにすることもあれば、社会的事象として制度・ルール・時事などもテーマになるし、自然現象として風雨・寒暖・乾湿などもテーマになる。様々な場所で出会う昆虫たち・動物たち・木々たちなどもテーマなる。そのため、人文学・人文科学だけでなく、社会科学とも自然科学とも繋がるし、こちらも論理を用いて考察しているので、形式科学も関わっているのは当然である。

次に「少々見聞録」は、自分が外国での生活で見聞した内容を材料にして、それをSDGsと結び付けて考察する表現形式で、様々な国の制度や現状が関わっている。そのため、主となるのは社会科学ではあるものの、その土地の人々の様子なども扱っているので、人文学・人文科学にも関係していることになる。そして、それを考察するにあたり論理を用いている以上、その土台には形式科学が当然に関係しているし、SDGsのゴールやターゲットについて説明する際にデータも用いているので、統計学も関わるため、やはり形式科学と繋がっていることが分かる。

それから「いきもの記」は、自分がこれまで海外や日本で遭遇した「いきもの(植物を含む)」たちを材料にして、それらを「擬人化」し、その様子からエピソードを想像しつつ、もしゲーム上のキャラクターならばどんなステータスや能力を持っているかについて創作する表現形式である。そのため、材料自体は自然科学に関わりつつも、擬人化したエピソードに関わるものであり、またステータスをレーダーチャートで示した部分は数量的なので形式科学に関わるものと考えられるのである。

併せて、「形式科学」、「人文学・人文科学」、「社会科学」、「自然科学」、「総合科学」、「応用科学」などの領域とこれら3つのシリーズの関係性についてヴェン図を用いて試行錯誤したのが、図1~図6であった。このときは、シリーズが3つしかなかったので、図6が当時の考察の着地点であった。

現在、シリーズ第二世代の「少々見聞録」の投稿数は「52」で、「ファートンいきもの記」投稿数は「55」である。

そのうちに、しっかりとしたシリーズというより、とにかく毎日何らかの投稿を継続しようと考えて始まったシリーズが「まいに知・あらび基・おもいつ記」である(一応これがシリーズ第三世代である)。これは2021年9月の終わりから始まり、当初は本当に文字数など全く気にせずに、思いついたスマホのメモをほとんどそのまま使う感じであった。

しかし人間というのは欲深いもので、しだいに体裁を整えるようになっていくのである。そのうちに、このシリーズ内に各種のコーナーが生まれ、それぞれのコーナーの投稿数が増えていくことで、「まいに知・あらび基・おもいつ記」はそれらのコーナーをとりあえず抱えておく便利な枠となっていった。

「まいに知・あらび基・おもいつ記」全体としては現在までで「298」の投稿数であるが、内実は別々のコーナーが混在した無秩序な集合体になってしまっている。
 現在の主力コーナーとして「まいに知・あらび基・おもいつ記」を牽引するのが、バンコクに住み始めてから始まった❖見タイ!知りタイ!伝えタイ❖である。これは現在までで「74」である。他には❖七色タイトル写真館❖(投稿数「10」)、♪🎵ポッとDEポエム🎵♪(投稿数「18」)、❖カオマンガ『愛』❖(投稿数「8」)、❖足元美術館❖(投稿数「13」)などがある。

さらに、2021年12月頃から始まったシリーズが3つあり、それぞれ「❓❕【哲探進歩/てったんしんぽ】❕❓」「▼哲頭 ⇔ 綴美▲」「【一人で勝手に旅気分】」というタイトルである(これらがシリーズ第四世代である)。

「❓❕【哲探進歩/てったんしんぽ】❕❓」は、日々の出来事の中に「問い」を見出し、それらを「探究の4つのプロセス」と「先哲の思想」で考察し、その考察結果が将来の進路(学問や仕事)とどうつながるかを考えるものである。これは現在までで投稿数「12」である。

次に「▼哲頭 ⇔ 綴美▲」は、先哲の思想を理解するときに、それを左脳ではなく右脳で捉えるとどのようなイメージになるかを考え、さらにイメージに近い美術作品との繋がりにも触れていくものである。このシリーズでは逆にある美術作品と接したとき、そこからどのような先哲の思想を抽出することができるかについても考えるものであり、「先哲の思想(頭、理性)」と「美術作品(美、感性)」とを双方向で考察するシリーズで、現在までで投稿数は「9」である。

それから「【一人で勝手に旅気分】」は、過去の自分の旅を純粋に振り返るだけのシリーズであるが、それなりの文章を考えるという産みの苦しみがある他のシリーズに比べて、本当に気楽なので大切な「癒し」となっている。これは現在までで投稿数「52」である。

ここまでの第一世代から第四世代までシリーズにおける投稿数を単純に合計してみると、「827」になった。我ながらたくさん投稿したものである。

「偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。」
これはオランダ出身のポスト印象派の画家であるフィンセント・ファン・ゴッホの言葉である。私の積み重ねが、いずれ偉業になるかどうかについては疑わしいが、少なくともこうして投稿を積み重ねることによって、「事実」として、そして「量」として、それなりに迫力のある表現の集合体にはなっていると思われる。最初は軽い気持ちで始めた表現活動であったが、これだけ積み重なってくると、けっこう見栄えがあって、自己満足のツールとしては十分に機能してくれていると感じている。

以前「図6」において、「〇〇科学」の領域と、3つの表現形式(第一世代と第二世代のシリーズ)の関係をまとめたわけだが、その後に加わった表現形式(第三世代と第四世代のシリーズ)も位置づけてみたのが「図7」である。

こうしてFacebookやnoteで日々表現活動をしていることが、ようやく「趣味」と他者に言えるようになってきた。「趣味」とはいうものの、自分の脳内での活動なのでお金がかからないのが良い所である(PCの電気代は多少かかるが)。一時期は、とにかく投稿することが目的になることがあって、典型的な「手段の目的化」だった。しかし、最近はそれも通り過ぎて、「1日の生活リズムの一部分」になったような気がする。ようやく「呼吸のように綴る」の状態に近づいてきたわけである。

デカルトの言葉に寄せて表現するならば、「我綴る、ゆえに我あり」である。

#哲学   #ゴッホ
#私の作品紹介

(以下は試行錯誤したスライドを紹介)

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