【なんと】 清世さんに記事を書いてもらった! 【ビックリ!】
夕凪を歩くとすっかり金木犀の香りも漂って来ました。
みなさん秋ですね!今年も落ち葉をたくさん食べましょうね!
はい、挨拶も早々に驚愕の出来事が
「青天の霹靂とは正にこれこれ~!」
と思うタイミングで起こり、喜びの四面楚歌になったのでお知らせしたいと思います。
なんと、僕が一方的に敬愛してやまない(割とガチ目のオフィシャルストーカーです)清世さんが僕の記事を書いてくれていました!わー!!
全然気付かなかったー!!※ストーカーの癖に
【ありがたい記事はコチラ↓↓↓↓】
記事の内容は作品や企画の話題という事ではなく、実は僕と清世さんの間で最近ひっそり続いている質問箱を使った遊びについてだ。
★大枝の質問箱です↓↓↓↓ 随時質問受付中★
清世さんから飛んで来る質問は
「あ、これは清世さんの質問だわ」
と一瞬で分かる。
それは何故かというと、質問の内容が
・小説に出てくる人物、周りの人間になり切ってその世界の質問や相談を投げ掛けて来る
という作者の僕にとっては中々スリリングなものを送って来てくれるからだ。清世さんのツイッターをフォローしている方なら一度はお目に掛かったことはあるかしら??
初めのうちは質問箱からごく普通の質問を皆に送ってもらおうと思ったのだけど、いかんせん殺人小説ばかり書いているせいなのか、普通の質問すら集まらない状況だった。
noteとツイッター合わせて500人以上フォロワーはいるはずなのに、一週間ほど質問が「0」というアンハッピーセットが出てきて流石のドナルドも悪魔の玩具で足を滑らせズコーッ!する状況が続いていた。
「カレーとシチューどっちが好きですか?」
そんな質問に
「ん〜どね〜、あどで〜(んーとね、あのね)」
と、幼少期の貴ノ花のような気持ちで応えようとしたのだけれど、そもそも質問が来ない!!
そこでちょこっとTwitterで宣伝してみたら(おそらく)初めに清世さんが質問を色々としてくれた。
※ストーカーの思いが通じた数少ない例だと思うので、警察関係者の方いらっしゃいましたら参考にして下さい。
そして清世さん自身「#絵から小説」で膨大な量の作品を読み込んでるおかげだろうか、いつの間にか小説の登場人物になり切って様々な質問を投げ掛けてくれるようになった。
では、何故それが清世さんの質問なのか? とわかるというとツイッターで答え合わせをしてくれているからだ。
僕は毎回それをハラハラドキドキしながら待つ身となる。
正直、一度ハズした時は筆を折って切腹してやろうかと思うほど悔しかった。
正解を直接やり取りしないのも感性の遊びの範疇だと思っているので、遊ぶ時にはあらゆるツールを駆使して遊んでいるこの感覚がとても好きなのだ。
もちろん、皆さんからの
・好きな色はなんですか?
・休日は何をしてますか?
・犬と猫どっちが犬ですか?
・おさんぽ中に何回轢かれかけましたか?
なんていうほのぼのした質問は随時募集しているので、是非なんでも僕に聞いてみて欲しい。
「これを聞いたら人はどんな反応をするのかな??」
なんていう実験台にしてもらっても構わない。基本的にタブーはないです。
間口は広く、楽しく遊べたら(遊んでもらえたら)いいなぁと思っている。
どうせみんな無料で使ってるものだし、使い方なんかそれぞれ自由でいいと思うしね。
話を少し戻すが、清世さんは今回の記事の中でこう仰ってくれている。
彼の自己紹介欄には"モットーは「文が苦手な人でも読める作品づくり」。 作風はブラック&ハートフル。"と書いてある。
「文が苦手な人でも読める作品づくり」
「絵を描く敷居は低く、楽しく」
作風はブラック&ハートフル。
鉛筆とほんわか系(?)の絵このあたりも、とても近しいものを感じる。違ってたらごめんなさい。
これを目にした途端、僕は「とてもウレシーギョー!!」とさかなクンと全く同じ声とテンションで驚いてしまった。これ、この事に関して全く同じ意見です。
僕と清世さんはやってる表現も手法も全く違うんだけど、元々の感性のスタンスが物凄く高い標準で似ていると思っている。
初めてインスタを聞いた時に感じた声の柔らかさと、鉛筆とのギャップ。
自身の中にある柔らかさを認識しながらも、筆を持った途端に「想像」を「創造」するような絵を描けるのも僕にとってとても惹かれる部分だったりもするのだ。
僕自身、普段から人を殺すような事ばかり考えているのか?といえば決してそういう訳ではない。
割と(?)普通の人間っぽい感情も持ち合わせているし、痛い時は痛いし泣く時は泣く。助ける時は進んで人を助けたいと思ったりもする。
けれど、時として人や存在を守る為には無慈悲になる瞬間や行動を取る場合もある。
人の持つ暖かさを知らなければ描(書)けないもの。
鉛筆や筆を持ち、人の瞬間の「向こう側」を捉えて走らせる。
まだ見ぬ空想を練り上げ、真っ白な画面に文字を叩き込む。
手法は違えど、表現を行う上での共通項が実はとても多い。
質問箱を使った遊びに関しては清世さんは「斬り合い」と表現しているが、まさにその通り。
画家と物書きが真剣に向き合い、間合いを取りながらいつ斬り込んでくるのだろうか?と構える刹那。質問を打った時はきっと打った手応えを感じているのだろう。
それが分かるから僕も様々な角度から熟考し、答えを打つ。
将棋は得意ではないが、駒を盤に打ち込むときの「ピシャリ!」という感覚が脳内に響く。
どれだけ読み込んでその世界の中に自身が存在しているのか、どれだけ作者が自身の作品と背景を理解しているのか試される真剣勝負だ。
例えそれが遊びでもこうやって楽しい瞬間を結べる関係が僕はとても好きだし、清世さんに対しての尊敬の念は常に尽きない。
この感覚は参加した事のある人なら分かると思うけど、「絵から小説」の感覚にとても近いのかもしれない。
【未知の人のために概要貼っておきます。とっても面白いから見て!】
ひとつのお題に対して自由に想像を膨らませ、ひとつの物語として答えを出す。質問する側も、答える側も良い緊張感が生まれる瞬間だろうと思う。
これからも清世さんは清世さんのやり方で、僕は僕のやり方で双方間合いを詰めたり離したりしながら遊ぶだろうと思う。(お願い!遊んで!)
時として一切容赦なく真剣に打ち合う事が出来る関係を、物書きとして恥ずかしながら何と呼べば良いのか(適切か)分からないが、きっと探しても見つからないものだと感じている。
こんな偶然を与えてくれたnoteという場。そして巡り巡って引き合わせてくれたnoterのみなさんに改めて感謝を申し上げたい。
あなた達がいてくれて、今の僕がいます。
ここまで話していると中には
「あれ? お二人ってどういう関係なの?」
とニヤニヤしながら聞きたくなる気持ちになる人もいるだろう。
その答えは
『実は会ったことは愚か、一度も話した事はない。そもそもツイッター以外の連絡先知らない』
かもしれない。
話したことのない相手だからこそ、想像が生んだ結果「遊びの範囲」が広がっている。
元を正せば僕が一方的にひっそりこっそり「この人すげーな。けど知らない人こわひ」状態だった訳で、記事から絵に参加させてもらったご縁で何とかやっと最近になって相手をしてもらえている状況。
想像がその先の出来事を生むのは物書きの原点や基本でもあるし、いくら腐っても僕は物書きの端くれ。
二人を想像してもらって、それを想像するのも僕の創作意欲の種になったりする。
会ったらどうなるんだろう?とかね。
その辺りは僕のささやかなプライド()として伝えておきたい。
清世さんと同じく、作品を読んでみて「自分もやりたいッス!」って方がいらっしゃいましたら、大枝は喜びのあまり小枝をボッキボキに折りながらお待ちしております。
最後に、清世さんの次の企画!!
「#記事から絵 第2回」
が行われるので要チェック!詳細は来週辺りに投稿されるそうなので、その間は清世さんの相談に是非みなさん、乗って頂きたい。
↓↓↓↓
ご存知ない方のために、僕も参加した第一回の概要↓↓↓↓
この企画は僕がnoteで参加した初めての企画だった。
おかげでnoteでの活動の幅も広がったので、これからも散歩したり変人に絡まれたりあくなきチャレンジを続けたいと思っています。
清世さんのことについて書くと毎度熱が入って長くなるけど、文ってそういうもんだから(生意気でした、すいません)。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。
最後に、このような遊びを日々楽しませてくれている清世さんに深い感謝を申し上げます。
あなたから受け取った感性は作品として新たな生を受け、皆さんのおかげもあって今日も読まれ続けています。
これからも向き合いながら、必死に笑いながら走り続けましょう。
いつかどこかで、鉢合わせになる日を願って。
その時は指を差し合ってせいいっぱい笑えたら嬉しく思います。
読了ありがとうございました!!