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【小説】 夜のない街 【ショートショート】

 あまりに短い夏が過ぎると、名残を惜しむようにこの街の太陽は沈むことがなくなり、空は夜の存在をすっかり忘れてしまう。
 一日中薄明りに照らされた極寒の霧が晴れる頃、外へ続く道のないこの街の中央へ、生活物資が投下される。

 この街で生まれ育った私は、今年で十五歳になる。
 けれど、世界の誰よりも世間を知らないし、世界の誰よりも冷静な目で世間を知っているつもりだ。

「ヴェラ! 信じられない物が届けられたよ!」

 同級生のイヴァンが興奮気味に私の所へやって来て、DVDのパッケージを差し出して来た。
『大脱走』というタイトルが書かれたパッケージを見た途端、私は堪らず噴き出してしまった。

「国はついにジョークまで届けてくれるようになったのね」
「これってさ、アメリカ式のジョークだよ!」
「そうね。この街には脱走出来る道路すらないっていうのに」
「まったくだ。冬に太陽が沈むくらい、脱走なんて有り得ない話だよ」
「本当よ」

 フェンスで囲まれた四方五キロメートルの街の暮らし。人口は三万人。その大半が国の機密に関する仕事をしていて、私も、イヴァンも将来はどうなるのか生まれた瞬間から決められている。
 この街で生まれた人間はこの街で生きて、そしてこの街で死ぬ。
 国が大事にしている水槽の中でしか生きられない、ずっと同じ場所を泳ぎ続ける回遊魚。
 でも、それが私達の生き方なのだ。

 吹雪いた風にオレンジ色の陽光が輝いて、街は時々幻想の中にでも立っているかのように思えるほど美しく煌めく。
 その景色には無数の大人や子供達が存在していて、投下された物資を囲んで騒ぐ姿はまるでお祭りのようだ。
 世界はグローバルを迎合する状況にあって、その癖に誰もが定規を用いた理屈で理解し合おうとしている。
 管理者は感受性や人の考え方にすら方程式を与え、解を出す為の問い自体を審査する。
 誰もが正しく生きられる世界で、答えを知らない者達は柔らかに弾圧され、手渡された真綿で子供達にショックを与えぬよう、首を絞め上げ続けている。
 当たっているのか、それとも外れているのかは確かめようがないけれど、それが私の知っている今の外の世界だ。

 その点、私達の管理者は実に都合良く出来ている。彼らはこの場所の暮らしに何ら興味を示そうとしない。
 必要な物を定期的に届け、見えない水槽の中で生きる私達が不自由のない営みやサイクルが形成出来るよう常に努めている。
 テレビも、映画も、食料も、お酒も、インターネットも、ここにさえ居れば困ることはない。
 与えられた役割をこちらが果たす限りは、何の干渉も何の詮索もして来ない。

 ここは夜のない極寒の楽園だと、長年の務めから解放された老人達は口々に言う。
 老人達は酔う度に昔の栄光を語りたがるが、それを聞くのもまた若者の勤めだと私達は理解している。
 昔の栄光を語る老人達の肌はまだらに黒ずんでおり、それがいかに想像を絶する労苦に耐え抜いて来たのか一見しただけで分かるからだ。

 学校へ行き始めると、まず初めに授業で教わるのがこの街の「意味」からだ。
 街区番号五十二。まず、それがこの街に非公式に与えられた名前だ。
 近隣の街へ行き来する道路はなく、軍が管理している山間のトンネルを抜けない限りはこの街へは辿り着けない。
 核兵器、化学兵器、生物兵器、それらに関する研究所を所有する他の非公式な街は数あれど、この街で取り扱うものは他のどれにも該当しない。
 第四兵器とも言えるその機密は、人間が本来持つエネルギーに関連付けられている。

 イヴァンを含めた男子生徒が初めて施設へ研修へ行ったその晩、彼らの大半が高熱にうなされ、幻聴や幻覚に苛まれた。
 街の中心に大きな正教が存在するのは罪の懺悔や安らかな死を祈る場所ではなく、浄化の意味合いが強いのだとその時初めて実感した。
 施設で働く私の父や母も週に二度、水曜と日曜に礼拝の為に正教へ行くけれど、それは宗教の為ではなく身を護る為の行いなのだ。

 二週間前の晩、勤務を終えた父の右腕が夕食中に青く変色していることに気が付いた。

「父さんの腕がおかしいわ」
「あぁ……しまった。母さん、すまないが司祭様に連絡を。ヴェラ、大丈夫だ。心配ない」
「本当に大丈夫? 腫れて来ているようにも見えるわ」
「痛みはない……が、裂け目から蛆が湧いて来た。おっと、いけない、蛆が床に落ちていないか? それに、食事についてしまったら申し訳ない。何か腕を覆うものはないかな……ビニールでも構わないんだ」
「父さん、違うわ。蛆なんて湧いていないわよ」
「ヴェラ、何を言っているんだ? ほら、次から次へと皮膚を食い破って……赤色の蛆だ。どんどん出てきている、見れば分かるだろ?」
「ヴェラ、まともに聞いてはダメよ。司祭様に連絡をしてみるから、その間は父さんをお願いね」
「うん、わかった。父さん、きっと実験の影響よ。本当はなんでもないの。父さんの腕は裂けてなんかいないし、蛆も湧いていない」
「仕事をしていないおまえに何がわかる!! あぁ、ダメだ。蛆が開花して行く。次から次へと……死の灰を降らす花だ……潰してくれ、ヴェラ」
「うん、潰したわ。だからもう大丈夫よ」
「詭弁はよせ!! 娘のおまえまで私にそうやって平気で嘘を吐くのか!? これを見ろ! 食卓は赤い蛆と死の花でいっぱいじゃないか! スープにもこんなに混ざってしまって……もう、私はダメか……」
「ダメじゃないわ。司祭様がお助けになって下さるから、安心して?」
「司祭……あの買春親父か? あの買春親父に何が出来るって言うんだ。施設に勤めている訳でもないのに偉そうに……何が神の御言葉だ、何が御霊の精霊だ……ふざけやがって……神など居て堪るか。神がまだこの世の支配者のつもりなら、俺があの台座ごと地獄に引き摺り下ろしてやる。おまえの時代は終わったんだとハッキリ言ってやる! この声で! ハッキリとな!」
「父さん、これは現実じゃないの。違うわよ」
「貴様らは同じ場所に魂を囚われた奴隷に過ぎない。この永久凍土を作ってやったのは神なんかじゃない。俺達だ。分かるか? 俺達が作った真の楽園なんだよ! ヴェラ、分かったなら早く死ね! お友達も連れて、さっさと死んで私の奴隷になれ! その方がまだ自由が楽しめるぞ! ははははは!」 
「違うの。気象条件がこうしただけよ。神は関係ないの」
「そうだ、神は関係ない。だからヴェラ……頼むから死んでくれないか?」
「私は、生きて行くわ」
「貴様らの宣うその言葉は、希望なんかじゃない。ただの言い訳だ。死ね」

 映画のように対話をしたり説き伏せる訳でもなしに、司祭はかなり強引な方法で父を助けた。
 夜半過ぎ。男手によって縛り上げられた父は懺悔室に閉じ込められた。
 懺悔室には同じ姿の男の先客が、三人居た。
 二日後、何事もなかったかのように父は元の姿でふらりと家に帰って来た。

 生まれた点と死ぬ点が、一本の直線で繋がっている。
 逃げることは許されない。そして、逃げる理由を探してはならない。
 その為に国は私達の水槽に餌と新鮮な水を与え続けている。

 物資を回収し終えた人達が満面の笑みで屋内へ戻り始めると、霧で霞んだ視界の奥で赤いランプが点滅し始めた。
 オレンジ色の陽光の中で明確に何かを伝えるその赤色に、心の底が一瞬ざわつき始める。
 一体、誰だろう。そう思い始めて間もなく、銃声が轟いた。
 屋内に戻ろうとしていた人達は足を止め、互いに顔を寄せて何やら囁き出す。

「ヴェラ、いつまでここに居るんだ?」
「イヴァン、あれ」
「あぁ。DVDが本当になった」
「誰だろう。セティかしら」
「セティ? 奴にあんな度胸はないよ。ほら、あそこでウロウロしているじゃないか」
「あっ。本当だ」

 セティは男子の中で一番ひ弱で臆病な子だ。けれど、カッとなると身の回りの物(例えば鉛筆とか)で相手を攻撃したり、自制が利かなくなる時がある。
 いつの日か自分の立場や運命を理解したその時に、自我が保てなくなってフェンスを越えてしまうのではないかと気が気ではなかったけれど、今回はセティではなかったことに少しだけ安堵した。

 街の隅へジープが走り出して行って、誰だったのかをその後知った。
 私達の同級生の女の子、ニナだった。
 バレエが大好きな子で、独学で練習している線が細くて目の大きな可愛らしい子だった。

「ヴェラ、私の夢を聞いてもらって?」
「夢? どんな夢を見たの?」
「寝て見る夢じゃなくてよ。私、バレエの舞台に立つの。それも一等立派なホールの。オーディエンス達から盛大な拍手を受けて、多くの人々に希望を与えるの」
「希望は自らに返る毒よ。授業で教わったじゃない」
「毒をも薬に変える力があれば、夢は叶う。ねぇ、そう思わない?」

 ニナは舞台に立つことなく、この街から消えてしまった。
 学校へ行くと、その存在すらないことになっていた。
 クラス中の誰もがニナの話しをしようともしないし、微かな声で彼女のことを訊ねたセティはみんなの笑い者になった。

「ニナって誰? セティったら、またおかしなことばかり言って」

 こうして、みんなは笑い方が上手になって行く。私もそれと同様に、笑い方が上手くなっていると思う。
 この街から逃げる者はいない。そう、元々いなかったのだ。
 夜のない街に、朝はない。昼もない。もちろん、夕方でさえ存在しない。

 今日も私は薄ぼんやりとした街の隅を眺めている。
 いつもとは違うもっと離れた場所から、生まれて死ぬまで暮らすこの街を、眺めている。
 風が強くなって、陽光に散らばったガラスのように舞い上がる雪は煌めいている。
 生と死が押し込められた小さな箱庭でも、その美しさは外と何ら変わらない。
 自然はいつも、人間に興味など示さない。だから、信頼出来る。
 夜が降りるのはもうしばらく先になるだろう。その頃に見る星の瞬きを、何度見てもすぐに忘れてしまうのは何故だろう。

 私の名前を、誰かが呼んでいる。けれど、そんな気がしているだけかもしれない。風が強いから、色々な音が混ざっている。
 これで良かったと思えるならば、私も少しはニナの理解者になれるのだろうか。
 生前のあなたを少しでも疑ってしまった自分の恥を、一体誰に届ければ良いのだろう。
 すぐ傍で点滅を繰り返す真っ赤な灯りの眩しさに、私は時折目を瞑っている。

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大枝 岳志
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